第3話 男爵家へ

 それから三軒の依頼者のところを回り、平民に対する配達は恙無く終えることができた。あとは男爵家のところに行って今日の配達は終わりだ。


 私は近くの乗合馬車乗り場で貴族街に向かう馬車に乗り、さっきまでよりも揺れが少なく乗り心地の良い馬車での移動を楽しんだ。そして馬車から降りて数分歩くと、目的の男爵家が見えてくる。


「ヴァレリア薬屋のレイラです。男爵様からのご依頼の品を配達に参りました。こちらがご依頼書です」


 門番に名乗って依頼の手紙を見せると、数分してから中に入ることを許可された。何度もここには来ているので門番とも顔見知りだけど、この確認を省くことはできないのだ。


「レイラ様、ようこそお越しくださいました。いつも配達ありがとうございます」


 中に入るといつも迎えに来てくれる、男爵夫人のメイドさんが笑顔で待ってくれていた。


「こちらこそ引き続きご注文いただきまして、ありがとうございます」

「とても効果的なお薬で、奥様もお気に召されておりますから。では応接室にご案内いたします」


 いつも案内される応接室に入りソファーに腰掛けると、すぐに応接室へと執事がやってきた。この男爵家ではまず執事の方と薬やお金のやり取りをして、それが終わってから男爵夫人とお茶をするという流れだ。


「お待たせして申し訳ございません。早速ですが、薬を拝見してもよろしいでしょうか?」

「もちろんです。こちらがいつもご依頼いただく頭痛を和らげる飲み薬でございます。そしてこちらなのですが、毎朝茶葉にスプーン一杯程度を混ぜてお茶を淹れていただくと、気持ちが穏やかになる効果がございます。依存性はなく頭痛を和らげる効果もございますので、もしよろしければお試しください。こちらの料金は必要ありませんので」


 そう説明をしながらテーブルに置いた二種類の薬を、執事の方は手に取ってしっかりと数を数えてから、品質を確認していく。


「今回も問題ありません。高品質の薬をいつもありがとうございます。そしてこちらの新しい薬も試させていただきます」

「こちらこそいつもありがとうございます。新しい薬ですが、もし効果があるようでしたらご注文いただける商品ですので、お手紙をいただければと思います」

「かしこまりました」


 そうして薬を渡してお金を払ってもらい、配達は完了だ。本当はこれだけで帰っても良いのだけど、というか普通はこれだけで帰されるのだけど、この男爵家ではこの後に男爵夫人が毎回お茶に誘ってくれる。


「ではこちらでもう少しお待ちください。今回も奥様がレイラ様とお茶をなさりたいとのことですので、準備が整い次第ご案内いたします」


 それから十分ほど待っていると、メイドさんが迎えに来てくれて庭の東屋に案内された。お茶をする場所はその日の季節や気温で毎回変わるので、いつも新鮮でとても楽しい。

 東屋にはにこやかに微笑む、とても綺麗な女性が座っていた。この方がここリネール男爵家の男爵夫人だ。歳は三十を超えているはずなのに、本当に綺麗で可愛らしい。子供が三人いるとは思えない容姿だ。


「リネール男爵夫人、お招きいただき光栄です」

「良いのよ。私がレイラちゃんとお茶をしたいんですもの」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 もう何度もお茶会をしている仲なので、堅苦しい挨拶はほとんど省いてすぐに席を勧められた。そして私が座るのとほぼ同時に、メイドさん達が香り高いお茶を淹れてくれる。


「とても良い香りですね」

「今回は良いオレンジティーが手に入ったから、レイラちゃんにも飲んでもらおうと思って準備したのよ」


 私がフルーツティーを好んでいることにすぐ気付いて、こうして毎回美味しいものを取り寄せてくれるのだ。本当に素敵な方だよね……


 男爵夫人が紅茶を口にしたのを確認してから、私も少しだけ口に含んだ。この辺の作法は何故かヴァレリアさんが詳しくて、貴族家に配達をする前に基礎は全て教えてもらっている。


「鼻に抜ける香りが素晴らしいですね。味もすっきりとしていて飲みやすいです」

「気に入ってもらえて良かったわ。ではこちらのクッキーもどうぞ。今回はジャムの種類を変えてみたの」


 勧められたお菓子はフェリスが好きなクッキーだった。中に乗っているジャムは黄色と赤色だ。柑橘系の果物と苺……いや、前回苺ジャムのクッキーは出たから多分違う。他に赤色と言ったらラズベリーやクランベリーかな。


 クッキーも夫人が一枚食べるのを待ってから、私も手を出した。まずは黄色の方から。おおっ、これ凄く美味しい。でも柑橘系じゃないかも……この味は、あんず?


「なんのジャムか分かるかしら?」

「あんず……でしょうか? 爽やかな酸味と甘い香りがとても美味しいです」

「大正解! レイラちゃんは本当に凄いわね。舌が繊細だわ」


 ヴァレリアさんに薬師は舌が敏感でないとやっていけないと言われて、日頃から薬草の味を比べさせられているので、こういうのは得意なのだ。


『あんずなんて初めてだよね? 僕も早く食べたいなぁ』


 フェリスがお皿の前に座って、悲しそうにクッキーを見つめている。その姿があまりにも哀愁を誘い、私は思わず笑いそうになってしまった。しかしここで笑ったら頭がおかしい子になってしまう。必死に腹筋に力を入れて表情筋を固定し、フェリスを視界に入れないようにした。


「ありがとうございます。仕事柄こういったことは得意なんです。あんずは薬としても使われますから」

「あら、そうなの?」

「正確にはあんずの種子が咳止めの薬などに使われます」

「凄いわ、さすがの知識ね。レイラちゃんも将来は良い薬師になりそうだわ」


 そう言って優しく微笑んでくれた夫人の言葉が嬉しくて、私の頬は思わず緩んでしまった。本当にこの方は良い人だ。


 それからもう一枚のクッキー、クランベリージャムのクッキーもいただき、手土産にと残ったクッキーをメイドさんが包んでくれているのを待っている間に、夫人はふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、今度ナヴァール伯爵家から夕食に招待されているの。レイラちゃんと同い歳のご令嬢がいるのだけれど、手土産は何が良いのか迷っていて……ほら、うちは男ばかりでしょう?」


 夫人は少し苦笑しつつそう言った。ナヴァール伯爵家ってどこかで聞いたことがある気がする……今まで配達をしたことはないけど、最近名前を聞いたはずだ。


「ご令嬢への手土産は難しいですよね。やはり最近流行りのものでしょうか?」


 夫人に当たり障りのない返答をしつつ、頭の中では伯爵家の名前をどこで聞いたのか考えていた。


「そうよねぇ。大通りに新しくできたお菓子にしようかしら。それとも髪飾りや装飾品の方が良いのか……ご令嬢の好みが分かれば良いのだけれど。伯爵家からのお誘いなんて滅多にないことだから緊張して、手土産選びも進んでいないの」


 確かに男爵家が伯爵家に招待されるというのは、かなりの大事だろう。手土産一つとっても完璧にこなしたいという気持ちは分かる。いつも良くしてもらってるからできれば力になりたいけど……


『レイラ、さっき来てた依頼がその伯爵家からだったよね?』


 あっ、そうだ! だから見たことあるって思ったんだ! 私は教えてくれたフェリスに一瞬だけ視線を向けて、ありがとうと伝えると夫人に向き直った。


「私は貴族家に配達で赴くことも多いので、ナヴァール伯爵家のご令嬢について、何かしらの情報を得ることができましたらお伝えいたしましょうか?」


 依頼が来ていたことは伝えられないので曖昧な提案をすると、それでも夫人は瞳を輝かせて頷いてくれた。


「レイラちゃん、本当にありがとう。伯爵家の情報なんて男爵家では得られなくて。もし情報をいただけたら相応の対価はお支払いするわ」

「ありがとうございます。私なりに頑張ってみます」


 そうして夫人とのお茶会は、美味しいクッキーとちょっとした仕事を得て終わりとなった。

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