第2話 回想と配達

 そもそもヴァレリアさんと私が出会ったのは、この生活能力のなさが理由だ。

 あれは確か私が九歳の時、孤児院で暮らしていた私はフェリスとこっそり話をするために、人気のない裏路地に向かった。そして誰もいないか辺りを確認して……路地の先に人が倒れているのを見つけたのだ。それがヴァレリアさんだった。


 ヴァレリアさんは仕事に熱中しすぎて食事を忘れ、さすがに倒れると思って何かを口にしようとしたところ家には腐った食べ物しかなく、仕方なく買い物に出かけた途中で力尽きて行き倒れていた。

 あの時は助けてから理由を聞いて呆れたっけ……今でもあり得ないと思ってるけど。


 それから交流ができて、私がヴァレリアさんの家を定期的に訪れて片付けをするようになり、そのうち調薬を教えてもらうようになり、十二歳の時に正式に薬師助手として雇ってもらった。


「今日の午前中は配達を頼んでも良いか?」

「もちろんです。配達先はどこですか?」


 私の仕事はこの家の家事やさまざまな雑用など多岐に渡るけど、その中で一番大切なのはヴァレリアさんが調薬した薬を依頼者のもとに届けることだ。

 ヴァレリアさんはこんな感じだけど腕だけは本当に一流で、王都中から調薬の依頼が来るので、私はいつも王都をあっちへこっちへ飛び回っている。貴族からの依頼も多いので、貴族街に行くことにも慣れてしまった。


「今日はこの五つをお願いしたい。この四つは平民、これが男爵家だ」

「平民の住所は……比較的近いところばかりですね。男爵家もいつも行っているところですし問題ありません。これなら早めに帰って来れると思います」

「じゃあよろしく頼む。昼食はどこかで好きなものを買ってきてくれ、私の分は多めにな」

「分かりました。行ってきますね」


 私はいつも使っている肩掛け鞄に薬を丁寧に入れて、お金など必要なものが入っているかを確認してから薄い上着を羽織った。今の暑い季節は直射日光が強くて、半袖だと肌が焼けてしまうのだ。


「気をつけてな」

「はーい」

 

 この薬屋は王都の住宅街にひっそりと佇んでいて、外から見たら薬屋だとは誰も思わないだろう外観だ。基本的には依頼を受けて調薬をするスタイルなので、店頭に薬を並べて売っているようなお店ではない。しかしそれにしても、看板のひとつもないのはいかがなものか。

 せめて小さな看板をつけないかと何度も提案しているけれど、飛び込み客が来たら面倒だからと毎回却下されている。確かにヴァレリアさんのところにはひっきりなしに依頼が来ていて、凄く忙しいからその気持ちも分かるんだけど。


 出かける前に郵便受けを見てみると、また何通もの依頼の手紙が届いていた。うわっ、これ伯爵家からの依頼だ。本当に凄いところから依頼が来るよね。


「ヴァレリアさん、また依頼が来てたので中に置いておきますね!」

「はいよー」


 ヴァレリアさんのその返事を聞いてから、今度こそお店を出て歩き出した。向かうは乗合馬車乗り場だ。


『レイラ、あの男爵家に行くの?』

「そうだよ」


 周りに誰もいないので、小声でフェリスと束の間の会話を楽しむ。今日行く予定の男爵家は定期的に薬を配達している家で、いつも私のことをお茶に誘ってくれるのだ。

 そして帰りにヴァレリアさんと食べなさいと毎回お土産を渡してくれて、フェリスはそのお菓子が大好きなので、男爵家に行く時はいつも嬉しそうに飛び回っている。


「今日もお菓子がもらえると良いね」

『僕はあのクッキーが良いなぁ』

「真ん中にジャムが乗ってるやつ?」

『そう! あれは下界で一番美味しいよ』


 昨日の夜も王宮に忍び込んでクッキーを食べたはずなのに、フェリスは本当に食いしん坊だ。最初の頃こそ盗みはダメだと思って私がお菓子を買ってあげていたんだけど、あまりにも食べるのでお金が足りなくなり、今では目を瞑っている。

 精霊だし人の法に縛られる必要はないよね……と自分を納得させている。


「すみません、一人乗れますか?」

「おう、乗れるぞ。銀貨五枚な」

「これでお願いします」


 お金を払って馬車に乗り、まだ空いていた窓際の席に座った。真ん中の席は窮屈なので、窓際の席が一番人気だ。この席に座れると少しだけ嬉しくなる。


『レイラ、斜め右前のおじさんのカバンの中にクッキーがあるよ』


 他のお客さんの鞄を覗いて楽しんでいたフェリスが、キラキラした瞳でそう報告してきた。しかしそのおじさんはあまり身だしなみが整っているとは言えず、その鞄というのもかなりくたびれたものだった。


「フェリス、食べちゃダメだからね。盗んで良いのは裕福な人からだけ、約束よ」


 手で口元を隠しながら自分にすらあまり聞こえない程度の小声でそう言うと、フェリスはちゃんと頷いてくれた。


『分かってるよ。ただ美味しそうだなぁって』


 本当に食いしん坊なんだから……フェリスはこの小さな体のどこに入ってるのかと不思議なほどによく食べる。人間とは消化の過程や結果が違うから、考えても仕方がないのだろうけど。


 それからはフェリスも大人しく私の肩に座っていて、しばらくして目的の場所に着いたので馬車を降りた。


『最初に平民の家を回るんだ』

「男爵家は時間がかかるから、できる限り早く薬を届けてあげたいでしょ? あっ、そこの家だ」


 ヴァレリアさんに薬を頼むのは平民の中では比較的裕福な人が多いから、小さくても一軒家に住む人が多い。しかし今回は珍しくアパートの一室のようだ。


 扉をノックして声をかけると、中から「はーい」と声が聞こえてきた。不在の時は郵便受けにお金を入れておいてもらって、私がお金と薬を交換することになってるけど、できれば直接渡せたほうが安心なのでいてくれて良かった。


「お待たせ。……君は?」

「ヴァレリア薬屋の者です。ご依頼された薬をお持ちしました」

「ああ、薬屋の子か、待ってたんだよ!」

「こちらが傷口に塗って使う軟膏、そしてこちらが痛み止めの飲み薬です」


 部屋から出てきた男性は腕の広範囲に包帯を巻いていた。体格とチラッと見えた部屋の内装からして冒険者なのだろう。冒険者の独り身ならアパートに住んでることも納得だ。


「いやー助かるよ。先輩から君のところの薬がよく効くって教えてもらったんだ。これはどうやって使えば良いんだ?」

「ありがとうございます。こちらの塗り薬は患部を清潔に洗い流してから傷口が隠れる程度に厚く塗り、その上から包帯を巻いてください。できれば毎日包帯を交換して塗り直すことをお勧めします。そしてこちらの痛み止めは痛みが耐えられない時に飲んでください。できれば食後に、そして一度服用してから半日は追加で飲むのをやめて下さい」


 私のその説明を部屋に戻って紙にメモした男性は、人好きのする笑顔を浮かべながらお礼を言ってくれた。そして薬とお金を交換して男性の下を後にする。


 あんなふうに喜んでもらえると凄く嬉しい。薬師という仕事は人を助けられる素敵な仕事だと思う。私も早くヴァレリアさんのように、効果の高い薬を調薬できるように頑張らないと。


「じゃあフェリス、次に行こうか」

『うん!』

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