薬屋の少女と迷子の精霊〜私にだけ見える精霊は最強のパートナーです〜

蒼井美紗

第1章 精霊がいる薬屋

第1話 一日の始まり

 王都中に響き渡るその鐘の音は、静謐とした夜明けの街を一気に騒がしくさせる。私はこの鐘の音色が大好きだ。鬱々としたものを全て吹き飛ばすような、日が昇ったことを祝うようなその音色が。


「ヴァレリアさん、朝の鐘が鳴りましたよー」


 私の一日はまず、雇用主であり同居人でもあるヴァレリアさんを起こすところから始まる。住み込みで働く薬屋の自室を出て、隣がヴァレリアさんの部屋だ。


「うぅ……」

「ヴァレリアさん、今日は依頼が詰まってるんですよね? 早く起きないと終わりませんよ」

「分かってる、分かってるけど……あと五分」


 私はその言葉を聞いてあと三十分は起きないだろうと判断し、先に一階へと降りることにした。

 ヴァレリアさんがすんなりと起きてくれることなど年に数回、それ以外の日は朝食を作って匂いで釣るしかないのだ。本当に手が掛かる雇い主だ……そう心の中で文句を言いつつも、私は自然と笑顔になる。


『レイラ、またヴァレリアさんは起きないの?』


 階段を降りていると、どこからか精霊であるフェリスが姿を現した。精霊は寝ることがないようで、夜はいつもどこかに出掛けているのだ。こうして朝の鐘がなるとふらっと戻ってくる。


「そうみたい。まあいつものことだから、美味しい朝食を作ればそのうち起きてくるよ」

『ふふっ、レイラはあの人に迷惑かけられてるのに、いつも楽しそうだよね』

「うん。今のこの生活は凄く楽しいの。それにヴァレリアさんには雇ってもらってる恩もあるからね」


 フェリスは私のその言葉を聞くと、にっこりと笑みを浮かべてから私の肩に乗った。


「昨日の夜はどこに行ってたの?」

『王宮の厨房だよ。僕の大好物があるから』

「もう、また行ったの? 誰にもバレてない?」

『僕の姿はレイラにしか見えないからバレるわけないよ』

「でも物を動かしたらそれは見えるんだから、気を付けてよね」


 この国には昔から精霊の存在は周知されている。しかしそれは、この世界を作った人智の及ばない存在として語り継がれているというだけで、誰も精霊の姿を見たこともないし、その存在を感じたこともない。

 おとぎ話では精霊は精霊界にいて、人間の世界に来ることはないとされていることが多い。


 では何故ここにフェリスがいるのか。それは私も詳しくは知らないけど、フェリスは精霊の中でかなり能力が低く、精霊界でいじめられて下界に落とされたんだそうだ。

 下界に落とされて泣きながらふらふらしていたフェリスと出会ったのが、七年前の八歳の時。


 あの時は本当に驚いたな……フェリスは小さな人型だから最初は幽霊かと思って、フェリスを見るたびに叫んだり逃げたりして皆に気味悪がられた。

 でも今はフェリスと出会えて良かったと思っている。フェリスは私の一番の友達だ。


「なんで私にはフェリスのことが見えるのか、本当に不思議だよね」


 フェリスが下界にいるとは言っても、人間にその存在を感じることはやはりできないのだ。例外である私を除いて。

 何で私は例外なのか……この問いの答えは何度も考えたけど、答えに辿り着けたことはもちろんない。


『レイラは特別なんだよ』


 この話をすると、決まってフェリスはこの言葉を口にする。私は特別ってどういう意味なのかな……確かに精霊が見えるなんて、特別な力を持っていることは確かだけど。

 

『レイラ、絶対に僕のことを誰かに話しちゃダメだよ』

「分かってるよ。ちゃんとヴァレリアさんにも秘密にしてるでしょ?」

『あの女ね……何となく気付いてるような気もするんだ』

「え、本当に?」

『たまにそんな気がするってだけだから、大丈夫だと思うけど……とにかく気を付けて』

「分かった。今まで以上に気をつけるよ」

 

 ヴァレリアさんが寝てると思って朝はこうして会話をしているし、もしかしたら話し声が大きすぎたのかも……気を付けないと。

 

 精霊が見えて話せる存在なんて、その力を知られたら必ず利用しようとする者が現れる、だから絶対に明かしちゃダメだ。フェリスには最初の頃からそう言い聞かせられている。

 誰にもその存在を話せないことは寂しいけど、仕方がないことだ。私も自分の身を危険に晒すようなことはしたくない。


「でも私だけじゃなくてフェリスも気をつけてね。こんなに小さいんだから」

『もう、レイラ忘れてない? 僕はこの世界の何にも捕まることはないんだよ。そもそも誰も僕に触れられないんだから』

「……そういえばそうだった」


 私がいつでも触れられるのは、フェリスが許可を出してくれているからだ。そのことをつい失念してしまう。


『ほら、見て? 僕が触れようと思わなければこの通り』


 フェリスはそう言って、私の周りを大きく飛び回り始めた。壁や床などは一切気にせず、全てを通り抜けて。そして満足したのか、壁から顔だけを出した状態で止まる。


「ふふふっ、なんでそこで止まったの……っ」


 その状況が面白くて私が思わず吹き出すと、フェリスは左右を確認して壁の中に止まったことに気付いたらしい。ぷくっと頬を膨らませて壁から出てきた。


『もう、笑わないでよね』


 私はそんなフェリスが可愛くて、指先で頬っぺたを突いてみる。すると問題なくフェリスに触れることができた。


 こうしていつでもフェリスに触れられるのは、フェリスが私なら絶対に酷いことはしないと信じてくれているからだ。その信頼が凄く嬉しい。


「ごめんごめん、もう笑わないから。じゃあそろそろ朝食の準備をしようか」

『……仕方ないな、僕も手伝ってあげるよ』


 フェリスは照れ隠しなのかぶっきらぼうにそう言って、壁を通り抜けて台所へと行ってしまった。私はそんなフェリスに頬を緩めながら、楽しい気分でフェリスを追いかける。


 台所があるのは一階の居住スペースだ。エプロンをつけてから手を洗い、魔道冷蔵庫の中身を確認するのが毎朝の日課。ソーセージと卵があるから焼いて……あとは野菜が少しずつ残ってるし、スープにしようかな。


 メニューを決めたらさっそく調理開始だ。コンロに火を付けてフライパンを乗せ、少しだけ植物油を入れる。油が温まったらそこに卵を割り入れ、そのまま弱火でじっくりと焼く。今日は目玉焼きだ。

 さらにフライパンの端にソーセージを四本入れたら、フェリスに私が昔使っていた子供用のお箸を手渡す。


「ソーセージが焦げないように裏返してくれる?」

『はーい』


 フェリスは手伝いをするのが楽しいらしく、私もフェリスが頑張ってるところを見るのは微笑ましくて好きなので、こうしてできることは任せているのだ。

 基本的にヴァレリアさんが寝ている朝しかできないことだから、フェリスは毎朝張り切っている。


 こうして自由に話ができるのも、この朝の時間だけだ。周りに人がいたら話せないし、バレないように視線を向けることにも慎重にならなければならない。いつでもどこでも話せたら嬉しいんだけどね……


 野菜を一口サイズに切り分けたら、フライパンの隣に水を入れた鍋を設置した。そして火にかけながら野菜を入れ、塩や香辛料などで味を整えていく。

 スプーンでスープを掬って味見をすると……美味しい、我ながら完璧だ。


「フェリス、味見する?」

『する!』


 フェリスは何も食べなくても生きていけるらしいけど、人間の食べ物も嗜好品として食せるのだ。食べるとエネルギーが増えるらしいし、私は周りに人がいない時はよくフェリスに食べ物をあげている。

 フェリスは本当に美味しそうに食べてくれるから、ついつい嬉しくてあれもこれもとあげたくなってしまうのだ。


『う〜ん、美味しい!』

「良かった。じゃあスープは完成。ソーセージも卵も焼けたかな?」

『ちょうど良いと思うよ』


 確認すると焼き加減は完璧だったので、その二つをお皿に盛り付けた。そして空いたフライパンに今度は少量のバターを溶かす。バターで切ったパンを焼くと、そのまま食べるより何倍も美味しくなるのだ。


 バターの風味とパンの香ばしい香りが漂ってきたところで火を止めて、パンもお皿に盛り付けた。そしてスープを器によそって朝食の完成だ。テーブルに運んでカトラリーをセットしたら、エプロンを外して二階に向かう。


「ヴァレリアさん! 朝食ができましたよ!」

「はっ、レ、レイラか」

「もう、いつも全然起きないんですから。早く起きて着替えてください!」


 私は下着だけで寝ているヴァレリアさんに、部屋の隅に置いてある服を手渡した。ヴァレリアさんって凄く美人でスタイル良くて仕事もできるのに、このズボラさと生活能力ゼロなところがダメなんだよね……


 容姿に惹かれた男性がいたとしても、これを見た瞬間に冷めるのだろう。実際にヴァレリアさんに求婚していたけど、このズボラさを見て姿を消した男性が何人いたことか。


「ふわぁ……今日も頑張るか」

「そうしてください。依頼は詰まってますからね」


 やっと起きてくれたヴァレリアさんを連れて一階に降り、先ほど作った朝食を二人で食べた。パンはかりふわだし卵はちょうど半熟、今日の朝食も完璧だ。


「美味しかった。レイラ、いつもありがとな」

「良かったです。そう思ってるならもう少し生活を見直してくださいね」

 

 私のその言葉に顔を引き攣らせて、曖昧に頷くヴァレリアさん。これは絶対に改善されないな。


 でもそれでも良い。私はヴァレリアさんの薬師としての才能を、心から尊敬している。才能溢れる人は、少しぐらい他の部分がダメでも仕方がないよね。それをカバーする人がいれば良いのだ。

 私がヴァレリアさんの助けになれるよう頑張ろう。



〜あとがき〜

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