罪と逢瀬
月日が経ち。
「おお、佐藤。お疲れ」
「お疲れ様です」
「そういえば、聞いたか? お前が一年前巻き込まれたあの事件の犯人、ウチに来るらしいぞ」
セイが逮捕されてから一年。取り調べでもほとんど否認せず、むしろ自分から『功績』をアピールしたという彼女には、つい最近裁判で死刑判決が下された。マスコミが派手に報道競争を繰り広げた一連の事件を起こしたセイは、僕の勤める拘置所内でも話題になっていた。
「はい。その節は、大変ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、今さらだろう? しかもお前にも不注意はあったとはいえ、あの極悪人の逮捕に最も貢献したのはお前だ。世間じゃ犯人があんなに自白しているのにまだ協力者を捕まえられない警察のほうが役立たずって言われてるしな」
「……身に余るお言葉です」
セイの協力者であったあの2人組は、仲間というわけではなかったらしい。死体処理業者として組織に属し、セイはそのお得意先として認知されていたようだ。セイが提供した情報で足取りを掴もうとしている警察だが、未だそちらの逮捕には至っていない。
セイと共に過ごしたあの二週間が懐かしくないといえば嘘になる。もちらん僕は彼女を恐れていたし、自分のしたことが間違っているとは思っていないけれど、どこまでいっても『普通』に絶望していた僕に、仮初めの恋をくれたのはセイだったから。
──そして僕らは再会した。立場を逆転して。
死刑囚として独房に入れられたセイは、一年の監獄期間を経てやつれた様子だった。だが彼女の内から滲み出るその美しさは、決して失われてはいなかった。
「セイ」
古びた拘置所の壁に背を預けて目を閉じていた彼女は、ゆっくりと目を開ける。僕の姿を捉えると、驚いたようにその綺麗な瞳が大きく開かれた。
「レン。……そういうことだったのね」
少し掠れた声でそう呟いたセイは、それでも一年前と同じように薄く笑いかけてくれた。
「──僕を、恨んでる?」
「まあ、少しはね。でもいつかは、──こうなる運命だったから」
小さな明かり取りの窓から差す明るい日光に照らされた彼女は、ふわふわと夢心地で実感がない。あの扇情的な化粧と月の光がないだけで、こんなにも雰囲気が変わるものなのかと思う。
「ねえ、セイ」
「なあに、レン?」
あの日々を噛み締めるように。
「死ぬ前に、最後にやりたいことは何?」
最初に出会ったあの時と同じように、彼女は口角を上げて魅惑的に微笑む。
「貴方と、付き合いたい」
* * *
こんなに堂々と規則を破るのは、初めてだった。でもこれを願ったのは僕で、始めたのも僕だ。だから様々なリスクを負って、今日も僕は彼女に会いに行く。
「レン」
「セイ。体調は大丈夫?」
死刑囚は死ぬこと自体が刑だから、刑務作業などを課せられることはなく、ただ生かされる。暇を持て余しているセイは、僕が来るだけでいつも過剰なほど喜んでくれる。
「ええ。貴方に会えるってだけで、前の頃より最近はずっと元気なの」
セイの刑がいつ執行されるかは分からない。法律では判決から6ヶ月の間に死刑執行と定められているがそれは現状と噛み合っておらず、最短の事例でも4ヶ月、長ければ50年近くも拘置所で過ごす死刑囚もいる。こればかりは完全に上の決定によるのだ。
扉を閉めてセイの隣に腰を下ろした僕の肩に、セイが甘えるようにしなだれかかる。僕は彼女の頭を撫でてやりながら、持ってきた湿らせたガーゼで彼女の顔をそっと拭く。
「ねえ、レン、次の宿直はいつ?」
「もうちょっと先。来週とかかな」
「そう。……来てくれる?」
「多分大丈夫だと思う」
セイとの束の間の逢瀬は今日のように職務途中のこともあれば、僕が宿直の夜のこともある。セイの独房には監視カメラが取り付けられているから、僕がデータを管理することが決まっている日はここに来られるけれど、そうでない日は厳しい。
人の多い昼はあまり長居すると不信がられるから、ここに居られるのは5分くらいだ。
名残惜しい気持ちを互いに抱えつつ、キスを交わす。
「また必ず来るから」
「うん。あ、レン」
繋いだ手を離す直前、セイが僕を静止した。
「明後日ね、仏教の僧侶さんとお話しをするの。もし、来られたら来て」
拘置所には、受刑者が自分の罪を振り返り反省を促すためのシステムがある。教誨室(きょうかいしつ)という独房ではない部屋で、仏教やキリスト教などの教師から教えを受ける時間が認められているのだ。
「分かった」
「──期待はしないで待ってるわ」
寂しそうに笑う、聞き分けの良いセイの弱い微笑みを見ると、胸が押しつけられたように痛む。彼女をこうしたのは僕なのに。
「またね」
そして僕は、明後日の予定を彼女のために最大限調整しようと決めた。
* * *
「ありがとうございました」
教誨の時間が終わり、部屋からセイが出てくる。彼女はさりげなく部屋の前で待っていた僕を見つけると、目を輝かせて駆け寄ってきた。──付き添いの年配の女性刑務官を振り切って。
「レン! 会いたかった」
「う、うん」
刑務官はもちろん僕の顔見知りだ。なんとか言ってセイを引き剥がそうとしている刑務官は、彼女を抱き止めるばかりの僕に既に不信感を抱いているに違いない。
セイは引き剥がされるのに逆らって僕の首をぎゅうと締め付ける。
「セイ、く、るしい」
「うん、うん、分かってる」
なんて、なんて無茶な行動をするのだ。これまで2人で秘密裏に守ってきた、大事に温めてきた想いを、全て明らかにするようなこと。
「苦しいよね、うん、大丈夫だよレン」
視界が揺れる。今まで首に掛けられていた腕が解けて、彼女の両手が僕の首に添えられた。
「私が──今、楽にしてあげるから」
──ああ、そうか、セイは。
本当に僕を、愛しているんだ。
この瞬間が訪れることを、ずっと覚悟していた。彼女がその綺麗な爪を、いつか僕の首に突き立てることを。
近いうちかずっと先かわからないけれど、セイはいつか殺されるし、僕だっていつかは死ぬ。それでも僕が後を追うなどと考えたことがないのは、多分心のどこかでこうなることを信じていたから。
刑務官が悲鳴を上げて、それに何事かと巡回警備員が駆けつけてくる気配がする。セイの手元にさらに力が込められる。抵抗などする気はないのに、息が詰まって咳が出る。彼女の邪魔になるようなことはしたくないのに、僕の手が暴れる。
──視線が落ちる中で、彼女の袖に銀色に光るものが見えた。どこから持ち込んだのかは分からないけれど。
「セイ。……君に、ちゃんと、殺されたい」
ぼうっとする頭で、彼女が目を見開いたのを見た。そして、微笑む。
言葉にしなくても、僕とセイだけが通じ合える。これが、僕らの恋の、愛の形。
「分かった。ありがとう」
そして目にも止まらぬ速さで──彼女が僕の喉を突いた。
すごく痛い。痛いけれど、白む意識の中で、この言葉だけは伝えなければならない。これまで片手で数えるほどしか言ってこなかったけれど──
「ぁ──し────ぅ」
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