第4話 真—過去

 

『知らないのか? 本当の善行っていうのは、人に知られないようにするものなんだよ』


 彼は得意げな顔で、でも照れ臭そうに言った。

 その笑顔が、わたしにはとても輝いて見えた。


 彼のあの言葉はずっと、わたしの指針になっている。

 そう、最期の時まで。







 わたしがまだ6つの頃。

 お母様が妹を産んだ後、産後の肥立ちが悪くそのまま亡くなって、心身を癒すためという名目で、わたしは領地で生活していた。

 けれど、本当は知っていた。

 それは体のいい厄介払い。

 お父様は、わたしのことが好きではなかったから。



 もっと小さい時には、可愛がられずとも嫌われてはいなかったと思う。

 けれど5つの時に、お父様が頭を悩ませていた東部の飢饉について意見を言ってから、何かが変わってしまった。

 わたしの意見はそのまま採用されて、お父様は素晴らしい王だと賞賛を受けた。

 最初は役に立てたと鼻が高かったけれど、そういったことが何度かあるうちに、日に日にお父様の目が、父のそれではなくなっていったことに気付いた。


 酷く冷めたい目。


 わたしはとても悲しかった。

 そしてお母様が亡くなってすぐ、わたしは王家の直轄領の一つに向かうことになった。


 田舎で療養なんてしたくなかった。

 本当はお父様と妹の側に居たかった。

 けれど、お父様はもう決心していた。


 仕方なくわたしは領地へと向うことになった。

 領地は王都から遠く、馬車で2週間もかかった。

 そうまでして辿り着いた領地では、話し相手もおらず、ずっと一人だった。


 退屈になったわたしは、ある日変装して城を抜け出し、1人で散歩に出かけることにした。

 今思えば、賢い子どもではあったけれど、子どもらしい好奇心も持っていたんだろう。

 城の周りには森があって、木漏れ日がキラキラ輝いて綺麗だったし、見たことのない花が珍しくて夢中で周りを見ながら進んで行った。

 そしていつの間にか、道が分からなくなってしまった。

 不安と恐怖で焦ったわたしは、意図せずより森の奥の方まで歩いて行ってしまった。


 かなり奥まで進んだ頃、野犬が現れた。

 わたしは怖くて必死に逃げたけれど、野犬はあっという間にわたしに追いついて、わたしに飛びかかろうとした。



 するとその時、1人の少年が剣を片手に飛び出してきた。


 何故かそんな状況なのに、真っ黒な髪が揺れてとても綺麗だなと思ったのを覚えている。

 少年の剣の腕前はかなりのもので、少年とは思えない身のこなしで野犬に切り掛かった。

 それでもまだ力が足りないのか野犬に押され、顔や手足に爪が当たって血が滲んでいた。

 やっとのことで野犬にとどめを刺す頃には、少年は傷だらけになっていた。



「おい君! 大丈夫か!?」


 そう言って少年は、わたしに手を差し伸べた。

 自分の方が大丈夫じゃないのに、とわたしはハンカチを取り出して傷を拭った。


「わたしよりあなたの方が大変よ! どうしましょう、ひどい傷だわ」

「見た目より大したことないさ。大丈夫だよ」


 そう言って少年はニカっと笑った。

 服装から言って、きっと平民ではない。

 それにしてはどこか明け透けな雰囲気で、気さくな少年だった。

 年はわたしよりも5つか6つは上のように見える。

 なかなかの男前で、わたしにはとても素敵に見えた。


「どうしてこんな所に? 君はどこから来たんだ?」


 少年は血を雑に袖で拭いながら、首を傾げる。

 わたしはフードを取って素顔を見せ、本当のことを言うかどうか迷った。

 結局、彼の態度が変わるのが嫌で、フードをまぶかに被って嘘を吐くことにした。


「丘の上の街に両親と泊まっていたのだけれど、森を散策するつもりで迷ってしまって……」


 丘の上の街は、この森と接している所で一番大きな街だ。

 この辺りには何もないけれど、もっと内陸の山の方は大きな湖があって観光客に人気だ。

 そこに向かう道中、丘の上の街で一晩宿を取ることは珍しくない。

 王族はわたしが今過ごしている城に泊まるし、高位貴族は別邸を持っている。

 出来れば下位の貴族令嬢か裕福な商家の娘だとでも思ってくれればと思い、吐いた嘘だった。


「なるほど……。じゃあ、丘の上の街まで送るよ」

「そうして下さると助かります。道が分からなくて……。でも、あなたはよろしいのですか? 何か予定があったのでは?」

「いいや、この森は俺の庭みたいなものさ。ただ勉強をサボりたくてうろうろしてただけだよ。気にしないでくれ」


 そう言って彼は、わたしの手を引いて森の外まで送ってくれた。

 少年はルーと名乗った。

 ルーとわたしは、色々なことを話した。

 ルーは上にお兄さんが2人居て、良く喧嘩をするとか。

 毎年春には、この森に家族みんなで狩猟に入るとか。

 ルーはわたしと違って、家族みんな仲が良いようだった。



「あの、改めてお礼が出来ればと思うのですが……お家を教えてくださいますか? 貴族の方……ですよね?」


 森を抜け、丘の上の街まで着くとわたしはルーにそう言った。

 正直、このままお別れするのが勿体無いと感じたのだ。

 本当は家の名は既に分かっていた。

 この森を庭のようだと言うことからして、わたしが療養している領地と森を挟んで接している、ヴァールハイト男爵家だろう。

 貴族の系譜を習った際に、ヴァールハイト男爵家には男児が3人居ると聞いた。

 確か三男の名が『ルフェル』だったように思う。

 だからきっと間違い無いだろう。

 けれど彼の口から聞きたかった。

 王族でもなければ、普通男爵家の三男のことなど知らないだろうから。



「あーいや。気にしないでくれ。大したことはしていないんだ」

「ですが……」

「知らないのか? 本当の善行っていうのは、人に知られないようにするものなんだよ」


 彼は得意げな顔で、でも照れ臭そうにそう言った。

 その笑顔が、わたしにはとても輝いて見えた。


「まあ、ここまで姿を出してしまったから、不完全だけど。本物は誰にも見られず、誰にも知られず、誰も気付かない内にみんなの為になることをするものなんだって。じゃないと賞賛や褒美の見返りがあるだろう? 見返りなんかなくたって行うのが善行。そういう人間になりたいんだ」


 ルーはどこか憧れるような瞳で遠くを見ていた。


 後になって知ったことだけれど、これは当時少年たちの間で流行っていた冒険小説の中の台詞だった。

 だからあれは、純粋な少年が勇敢な主人公に憧れる程度の思いだったのだろう。

 けれどその時のわたしには、目の曇りが晴れるような、雷で頭を撃たれるような、まるで天啓のように感じたのだ。




 見返りを求めず、誰にも気付かれない。

 それが本当に正しい善行。

 これをすれば認めてもらえる。

 褒めてもらえる。

 そう思うのは間違いなんだわ。


 だから。

 だからお父様は、わたしのことを嫌うのかもしれない。

 わたしの浅ましさを、見抜いているのかもしれない。



 幼い子どもの考えることだ。

 今ならそれが飛躍した考えだいうことが良く分かる。

 けれど、その日からわたしはそれを実践するようになった。

 するとそれから、色々なことが上手く回り始めたのだ。




 結局ルーは身分を明かさず去ってしまい、わたしは街で巡回の騎士に声を掛け、領地の城へと戻った。

 城を出てからかなりの時間が経ってしまった為、城ではかなりの大騒ぎになっていた。

 執事や専属メイドには泣きながら今後こういうことはしないで欲しいと懇願された。

 それ以来、わたしの警護は格段に数が増え、もう隙をついて抜け出すことは出来なくなってしまった。

 正式にヴァールハイト家にお礼を贈ろうか、せめて手紙だけでもと考えもしたが、嘘をついてしまったことと、やはりルーの態度が変わってしまうのではと不安になり、何度も手紙を書いては破って、結局一度も出すことが出来なかった。


 ルーとはそれ以来、一度も会うことはなかった。




 何年か過ぎると、お父様は改めてわたしを王都へと呼び戻した。

 心身の療養とは言え、幼い子どもを長期間追いやるのは外聞が悪いと思ったのかもしれない。

 もしくは、また何かわたしの意見を聞きたい案件があったのかもしれない。

 お父様の本心は分からなかったけれど、今度は決して、自身の口で自らの意見を言うようなことはしなかった。

 領地で使用人たちを相手に、言葉の選び方や話の運び方を一生懸命実験しながら練習して、わたしの意見をさも相手が自分で考えついたかのように思える会話術を習得した。

 時間はかかったけれど、かなり上手くできるようになったと自負していた。



 お父様にもその会話術を使って、さも自分でその解決策を思いついたかのように言葉を操った。

 そうしたら、どんどんお父様の機嫌が良くなっていって、また昔のようにわたしを可愛がってくださるようになった。

 わたしは、本当に嬉しかった。


 やがて、お父様は賢王と呼ばれるまでになった。

 わたしは誇らしかった。

 わたしの考えが誉められたからではない。

 わたしの考えで、国を良くすることが出来たからだ。

 もしわたしが直接意見を口にしていたら、子どもが言うことなどと侮る人もいただろう。

 けれど、他ならぬ王の考えなのだ。

 わたしは間違っていないと確信した。


 考えを改めてから、全てのことが上手くいくようになった。

 まだ幼い妹は純真無垢でありながら、とても優秀だ。

 お父様が玉座を退いた後は、2人でこの国を支えていくんだという、明確な未来が見えるようだった。



 わたしは、この国が大好きだ。

 この国を愛している。



 だから、

 気付いてしまったこの国の闇は、全て、わたしが被ればいい。





 お父様は賢王で、宰相はそれを支える高潔な人物でなければならない。

 彼らがまさか、裏であのような恐ろしいことをしていたなんて信じられなかった。

 実際に実行しているのはリューゲ侯爵の手の者だけれど、黒幕はお父様だ。

 探り出した手掛かりと証拠からは、そうとしか考えられなかった。


 こんなことが国民に知られれば、この国は混乱に陥る。

 それは必ず避けなければ。

 彼らの所業が知られる前に、この国の体制を作り替えなければならない。



 わたしはそれから、我儘で傲慢な王女として振る舞った。

 急に性格が変わったと思われないよう慎重に、思春期に伴う変化のように、徐々に印象付けていった。

 人身売買に手を染めてもおかしくないと、疑いの余地など持たれないよう、完璧な悪女に。


 自ら噂を流すこともあれば、彼らがわたしに罪を押し付けることもあり、わたしはどんどん悪女として有名になった。



 わたしは、この国が大好きだ。



『本当の善行っていうのは、人に知られないようにするものなんだよ』



 人身売買に出された子どもたちは、皆身寄りのない子どもたちばかりだった。

 彼らを買った人々と、人を介して取引して取り戻し、様々な役割を与えた。

「わたし専用の屋敷が欲しい」という我儘で避暑地に屋敷を建て、子どもたちをそこに集めて教育した。

「あの街にケーキ屋を作りたい」と言って店を作り、料理が得意な子たちを働かせた。

「わたしの好きな桃が採れる果樹園が欲しい」と言って果樹園を作って、農家出の子たちを送った。

「誕生日に山のようなルビーが欲しい」と言ってルビー鉱山を買い、力自慢の子たちを送った。


 どの場合も、人選にはかなり気を使った。

 これ以上苦しまないように。

 これ以上傷付かないように。


 わたしの指示だと言うことは分からないように気を付けたつもりだ。

 けれど、まだ未成年で本来の身分を隠して出来ることには限りがあった。

 だからどうしてもわたしの名前を端々に出さざるを得ず、聡い子たちの何人かは、わたしに気が付いた。

 そういう子たちは皆、わたしの側で働くことを願った。


 ガイもその内の1人だった。


 ヴァールハイト男爵領にある海辺の町出身だという彼は、諜報活動を担ってくれていた。

 そんなガイに、1つ長期的な任務を課した。

 それは、ルフェル・ヴァールハイトを探り、時には接触して彼の近況と為人を定期的に報告すること。


 彼はわたしに天啓を与えてくれた人だ。

 けれど、だからと言って何故そこまでするのか、自分でも分からなかった。



 今にして思えば、好きな人のことを知りたいという、単純な欲望だったのだろう。


 きっとあれが、わたしの初恋だった。

 いや、最初で最後の恋だった。



 今でも彼は、あの頃のままなのか。

 自分の正しいと思う道を選ぶことが出来る人なのか。

 わたしの思い出が、美化されているだけなのではないか。


 そう思ったけれど、彼はわたしが思っていた通りの人だった。


 彼は王立騎士団の騎士になっていて、彼の剣の腕なら当然だろうと思えた。

 彼は真っ直ぐ、時に上司とぶつかりながらも、常に善良だった。



 彼なら、この国の民の支えとなってくれるだろう。



 いつかはこの国の膿を出さなければならない。

 いつかは宰相を、そして父を討たなければいけない。

 それは、今の国民の支えを失うということ。

 この国には、新たな支えが必要だ。


 だからこれは、その下準備だ。






 鍛錬場に向かい、自らルフェルに会いに行った。

 わたしは緊張していた。

 ガイから逐次報告は受けていたけれど、実際に会ったのは10年以上前のこと。

 あの時は変装してフードを被っていたし、彼がわたしのことを覚えているとは思えない。

 彼の言葉は、ただの小説の台詞だったかもしれないけれど、それでもその言葉通りに行動できる人はほとんど居ない。


 彼はいつしか、わたしにとって目指すべき道標であり、心の支えになっていた。

 不思議な話だ。

 10年以上前に、一度会っただけなのに。



 彼に会いたい。


 純粋にそう思った。




 鍛練場では、ルフェルと別の騎士が対戦をしていた。

 確か、相手は伯爵家の次男だ。

 それまでルフェルが相手を圧倒していたにも関わらず、最後ルフェルはふっと力を抜いた。



「あなた、さっき何故急に手を抜いたの?」


 わたしはわざとそう聞いた。

 騎士団の暗黙の了解のことは知っている。

 ふざけた慣習だ。

 王立騎士団という組織は、腐っているとは言わないまでも、貴族的な階級意識が変に染み付いている場所だ。

 これまで対外的には大きな戦争や災害もなく、個人の力量を示す機会が長らくなかったことが影響しているのだろう。

 国の安定は王族として誇らしいことだが、しかしその慣習は正すべき事案だ。


 それ故、ルフェルが何と答えるのか気になった。

 真実を話せば、騎士団の恥ずべき慣習を晒すことになる。

 それに、対戦相手の伯爵家次男を自分より格下だと示すことになってしまう。

 しかし仮に真実を告げなければ、王族に、しかも悪女と名高いわたしに対して、あからさまな嘘を吐くことになってしまう。

 他でもないルフェルを試すようなことを言う自分に辟易とする。

 けれど、ようやく会えた彼の為人を知るには、最適な質問だった。



「……いいえ。あれが私の実力です」



 ああ。

 やっぱり彼は昔のままの彼なんだわ。

 他の誰かが傷つくくらいなら、自分が不名誉を被ってしまう不器用な人。



「そう……。あなた、明日からの旅行について来なさい」


 内心、わたしはとても嬉しかった。

 ルフェルが思い出通りの人だったこと。

 彼がこの国を守る者の象徴として、民の心の支えとなり得ること。

 彼とこれから少しの間でも一緒に過ごせること。

 色々なことが、全てわたしの喜びに変わった。


 彼はこれから、この国の裏側を見てしまうことになる。

 けれどきっと、正しい選択をしてくれるだろう。

 彼になら、任せられる。



 その時はまだ、自分の本当の気持ちに気付いていなかった。

 いや、気付きながらも認めたくないだけだったのかもしれない。


 本当はただ、

 ただ、好きな人に自分を誤解されたままでいたくない。

 本当の自分を知ってほしい。


 そんな浅ましい感情からの行動だったなどと、認める訳にはいかなかった。



『本当の善行っていうのは、人に知られないようにするものなんだよ』



 まるで忠告のように、彼の言葉が頭に響いていた。

 それをわたしは、必死で知らないふりをし続けたのだった。

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