第3話 裏—冬

 

 避暑地から戻りしばらくすると、巷にはある噂が流れた。

 悪女がある地方の村を焼き払ったという噂だ。


 偶然その地を訪れた悪女に対し、村人がそうと知れず無礼を働き、悪女は村に火を放った。

 しかし同行していたとある騎士が未然に住民を避難させたため、最悪の事態を逃れたのだと。



 ルフェルはその噂を耳にした時、何が何だか分からなかった。

 きっとその村とは、人身売買に使われていたあの集落のことだろう。

 確かに、あの後、地下室には火を放った。

 しかしそれだけで、地下室が崩れたのを確認して入り口を塞ぎ、火は消したはずだ。

 あの子どもたちは、村人ではなかった。


 同時に、また違う噂も流れた。

 悪女は人身売買に手を染めていて、その子どもたちが命辛々逃げ出したと。

 彼らも、とある騎士に助けられたのだという。

 この悪辣な犯罪に、人々は衝撃を受けた。



 ルフェルは確信する。

 噂の出所は、アイリーン自身だ。

 何故わざわざ、自分を貶めるようなことをするのか。



 アイリーンが悪女だという噂は、以前からあった。

 しかし父王が病に倒れてから、それが顕著になったのだ。

 これまで王が悪女を押し留めていたのが、それが出来なくなったからだろうと人々は言った。

 アイリーンが王に毒を盛ったのではないか、とさえ言われた。

 けれどいつも、噂だけで何の証拠もなかった。


 当然だろう。

 きっと、これまでのことも事実ではないのだろうから。



 子どもたちの行方が気になり、ルフェルは一度海辺の町に向かった。

 あれ以来酒場であの男と会うことはなかったが、酔った男から一度故郷の話をちらりと聞いたことがあったのだ。

 思えばあの時、男は急に別の話題に切り替えたように記憶している。

 きっと、本当は話すつもりがなかったのにうっかりと口を滑らせてしまったのだろう。

 そう考えると、あの男は以前からアイリーンの指示でルフェルに近付いたのかもしれない。


 記憶を頼りに町へと向かうと、意外にもそこはルフェルの実家の男爵領の中にあった。

 男爵領は田舎で、山も多いが面積も広い。

 領地経営に携わったことのないルフェルは、行ったことのない町だった。

 海辺の町に辿り着くと、そこには穏やかな光景が広がっていた。

 思ったよりも賑わっていて、皆笑い合い支え合いながら生活しているように見えた。


 そこで、ルフェルは信じられない人物を見かけた。

 以前アイリーンの不興を買って、処刑されたと言われた騎士だった。

 彼は妻と思しき女性と、小さな男の子と笑いながら並んで歩いていた。


「ザック……!」


 思わずルフェルは声を掛けていた。

 ザックと呼ばれた青年は驚き、目を見開いた。


「ルフェル……」


 その顔には、驚きだけではない、恐れと焦りが見えた。

 ザックは女性に先に家に帰るよう言い、緊張した面持ちでルフェルと対峙した。


「どうしてここが分ったんだ……?」

「この町に……この前子どもたちが来ただろう。あの子たちの解放に関わったんだ」

「そうか……。お前があの子たちの言う『騎士さま』なのか……」


 ザックはほっと息を吐き、ぽつりぽつりと話し始めた。


 かつて彼が騎士だった頃、とある人物が声を掛けて来たのだという。

 貴族ではない平民出身のザックにとっては、雲の上のような人物からだ。

 大金が手に入る仕事があるが、やらないかと。

 そう言われたそうだ。

 当時ザックは新婚で、互いに身寄りもなく、そして妻は妊娠中だった。

 正直に言って、新米騎士の給料だけでは、生活は厳しかった。

 ザックは怪しいと思いながらも、その仕事を受けることにした。


「まさかそれが……子どもたちを売る仕事だとは思わなかったんだ……」


 ザックは商品として売られようとする子どもたちを前に、仕事を辞めると拒否したそうだ。

 こんな仕事ならば金はいらない。

 話はなかったことにしてくれと。

 そう言うと、その人物はこう言った。

『ならば腹の中の子供ごと、妻を殺すまでだ』と。

 ザックはもう既に後戻りできないことを知った。

 商品となった子どもたちに、すまない、許してくれと懺悔を繰り返しながら、ザックは子どもたちを買い手に引き渡した。

 ザックは激しい罪悪感に苛まれた。



 その数日後。

 極度の心労と寝不足でフラフラとしていたザックは、騎士団の鍛錬中に倒れてしまった。

 その時、気まぐれに鍛錬を見に来たアイリーンが、運悪くザックの近くを通ったのだ。


『ちょっと。汚らわしいわね』


 確かに、倒れたザックは脂汗をかいていて、更に砂埃が着いて汚れていた。

 けれどアイリーンのドレスを汚した訳でもなければ、ましてや体が当たった訳でもなかった。


『申し訳ありません王女殿下……! こいつは今日体調が悪く……どうかお許しを……!!』


 騎士団長は膝を突いてそう懇願した。

 しかしアイリーンはそんな団長には目もくれず、冷酷な瞳で告げた。


『その男を連れて来なさい。処罰するわ』


 そう言って鍛錬場を後にした。

 任務のためその場に居なかったルフェルは、その話を聞き、なんて横暴なと激しい怒りが湧き上がり、抗議したのを覚えている。

 ザックも当然、自分はもう駄目なのだろうと思った。


「でも……王女殿下はご自身の離れに俺を運び、金を握らせて妻とこの町に行くようにとおっしゃったんだ。知っていたのさ。何もかも」


 ザックが何をやらされ、どんな弱みを握られているのか。

 それを、アイリーンが知っていたということか。


「ザック……。お前に仕事を任せたのは、誰だったんだ?」

「……リューゲ侯爵閣下だよ」

「そんな……! 閣下は高潔な人物で有名じゃないか!」



 この国に公爵は居ない。

 王族に次いで権力のある貴族は、3侯爵、その中でも最も有力なのがリューゲ侯爵だ。

 現在の当主は、宰相の職にも就いている。

 しかし彼は偉ぶらず、民のためを思う施策を展開し皆から慕われている。

 国王と宰相、どちらもこのように素晴らしい国など、他にはない。

 国民は皆、自国に誇りを持っていた。

 だからこそ、悪女の存在はこの国の汚点。

 そう思っていた。



 けれど、人身売買はむしろ侯爵が主導しているようだ。

 あんなに悍ましい所業を?

 王はこのことを知っているのか?

 まさか、王の病は侯爵の仕業なのか?



「この国は、見た目通りの国じゃない。お前もそう思ったから、ここに来たんだろう?」


 ザックはルフェルをじっと見つめ、そして顔を顰めてから、地面に膝を突いた。


「ルフェル。頼む。王女殿下の力になってくれ。この町に来て、行き場のなくなった人々がたくさんやってくるのを見てきた。全部、王女殿下がなさっているに違いない。

 俺には……家族がいる。あいつらを危険に晒すことは出来ない。あいつらを……残して行くことも出来ない。

 自分では動かないのに、お前にこんなことを言うのが間違ってるのは分かる。だが……あんな少女のような女性が、1人で戦うのなんておかしい。

 俺がこんなことを言うのはどうかしてる。

 だがどうか、どうか王女殿下を頼む」


 そう言ってザックは額を地面に擦り付けたのだった。






 町から帰ってからも、ルフェルはザックの言葉が耳から離れなかった。

 出来るなら今すぐにでも、アイリーンに問い詰めたい。

 一体彼女は何をしようとしているのか。

 一人で何を考えているのか。

 しかしルフェルは、アイリーンの専属騎士でもなければ護衛騎士でもない。

 用がある時だけ、アイリーンに呼び出されるだけだ。

 どうにか機会を伺おうにも、ルフェルの立場ではどうすることも出来なかった。

 結局、アイリーンに会うことは叶わなかった。




 そして、1年の時が過ぎた。




 また新たな噂が世間に広まった。


 悪女が自身の妹を塔に幽閉し、妹の婚約者に内定していたリューゲ侯爵の孫と、無理矢理に婚約したのだと。

 そしてどうやら、その噂は、事実のようだった。




 噂がルフェルの耳に届いた頃、ルフェルはまたアイリーンに呼ばれることになった。


「もうすぐ戦争が起きるわ。あなたにはその先頭に立って欲しい」


 アイリーンはルフェルの方を見ず、紅茶を口に運びながらそう言った。

 戦争など、初耳だった。

 どこからもそれらしい情報は入っておらず、そんな兆候もなかった。


「一体どことの戦争ですか? 何故?」

「隣国よ。随分と強気な外交施策を取ってしまってね。井の中の蛙が欲張るから」

「しかしそんなことは何も……」

「徹底的に情報規制をしているからよ。そんなことばかりに気が回るのだから。でも、もう民が知るのも時間の問題よ。この国には、確固たる英雄が必要だわ」


 そう言ってアイリーンは、今度こそルフェルの方を見た。

 真っ直ぐと、真剣な眼差しで。



「何故、俺を選んだのですか」


 ルフェルは今日この時まで、アイリーンに会えたら聞きたいことがたくさんあった。

 だが彼女を前にすると、頭の中が騒がしくなり、口を突いて出たのは、そんな言葉だった。


「あなたは人身売買で売られそうだった子どもたちを救い、火の手から村人を救った憧れの騎士じゃない。適任だと思うけれど」

「いえ、そうではありません。そもそも何故、あの時俺を選んだのですか」


 今回のことだけではない。

 何故あの時、ルフェルをあの村に連れて行ったのか。

 あの酒場で出会った男を、何故ルフェルに接触させたのか。

 ルフェルには全く心当たりがなかった。



「……あなたなら、きっと正しいことをするだろうと思ったからよ」


 長い沈黙の後、アイリーンは呟いた。


「あなたは忘れているかもしれないけれど、私たちはもっと昔に会ったことがあるのよ。その時にね、思ったの。この国にはあなたのような人が必要だと」


 そう言ってアイリーンは、泣きそうな顔に笑みを浮かべた。


「わたし、この国が大好きなの」


 まるで、その言葉は何かを懇願しているようだった。










 戦争が始まった。



 戦争の理由は、悪女が隣国のダイヤモンド鉱山を略奪したからだと言われた。

 ルフェルは、それが真実ではないことを知っていた。

 ルフェルは先陣を斬る小隊の小隊長に抜擢され、戦争に参加した。

 下級貴族が隊長になるなど、異例の配置だ。

 故に、それはルフェルがアイリーンの邪魔をして不興を買ったため、あえて危険の多い場所に置かれたのだろうと言われた。

 騎士たちは悪女の引き起こした戦争に憤り、疲弊し、絶望を感じ始めた。


 けれどルフェルは、ルフェルだけは、何としてもこの戦争に勝利しなければならないと思った。

 彼女の元に、帰らなければならないと思っていた。

 彼の強さと志に、地位など関係なく、皆惹かれていった。




 約2年に亘る戦争が終わったのは、寒い冬だった。

 戦争は、この国の勝利で幕を閉じた。



 ルフェルがこの戦争の功労者であることは、誰もが認めることだった。

 どんな状況でも諦めず、騎士たちを鼓舞し、誰よりも早く戦場を駆け巡った。

 ルフェルが居たからこそ、騎士たちは戦うことが出来た。

 彼は皆から英雄と称えられた。



 これで帰れる。

 帰ったら、以前聞けなかった色々なことを聞こう。

 今ならば、彼女の側に立っていても不釣り合いじゃない。

 それだけの地位を得た。

 会いたい。

 アイリーンに会って、彼女の秘密を知りたい。

 彼女を支えたい。

 会いたい。

 ただ、彼女に会いたい。

 寒さで白くなる息を吐きながら、ルフェルは必死に馬を駆った。



 この国の勝利が国中に知らされ、ルフェルたちは王都へと凱旋し、王城へと向かった。

 しかしそこでルフェルたちを迎えたのは、王でも、宰相であるリューゲ侯爵でも、そしてアイリーンでもなく、

 アイリーンの妹と、リューゲ侯爵の孫だった。




 囚われていたはずの姫が何故ここに居る?

 彼はアイリーンの婚約者であるはずなのに、何故姫の隣に居るのか?

 アイリーンは?

 アイリーンはどこに居るんだ?



 ルフェルは帰還の挨拶もそこそこに、2人に尋ねた。


「どうやら伝令と行き違ったようだね。

 実はあの第一王女殿下……いや、アイリーンが、私の祖父、リューゲ侯爵に毒を盛り、王の胸に刃を突き立てたんだ。……2人とも命を落としたよ。

 アイリーンは今は牢に幽閉している。処刑は免れないよ」


 侯爵の孫は、そう言った。




 ルフェルは、愕然とした。



 何故、どうして。

 一体何がどうなっているのか、さっぱり分からない。

 自分は、自分は一体何のために戦ってきたのか。

 アイリーンに聞きたいことがたくさんあるのだ。

 こいつらにかしずくために戻ったんじゃない。



 口から溢れ出しそうな罵倒を必死に押し留め、ルフェルはアイリーンの囚われている牢に行きたいと懇願した。

 しかし、それは許されなかった。

 ならばと勝手に行くことにした。

 王の崩御という弔事で凱旋祝賀パーティーが省略されたことを良いことに、ルフェルはすぐにアイリーンを探した。

 重犯罪人なら地下牢か、王族ならば妹も入っていた塔の方か。

 しかしいくら探しても見つからなかった。


 それまで男爵家の三男にしか過ぎなかったルフェルは知らなかった。

 城の地下牢のまた更に地下に、重犯罪を犯した直系王族を隔離しておく特別な牢があることを。

 その場所は王族と国の重鎮しか知らない。

 そこに入れられたら最後、食事を出されることもなく、ただ死を待つのみだった。



 アイリーンの処刑は異例の速さで決定した。

 ルフェル以外、誰一人として異を唱える者はいなかった。

 もっと慎重に審議するべきだと訴えたルフェルの声さえも、民衆の声にかき消された。

 無理もない。

 これまでとは違い、リューゲ侯爵の毒殺には確固たる証拠があり、王の殺害には侯爵の孫を含む多数の目撃者が居たのだから。



 ルフェルがもう一度アイリーンと会うことが出来たのは、広場で彼女が処刑台に乗った時だった。

 ルフェルは直前まで、必死にどうにか出来ないかと動いていた。

 けれど、アイリーンがどこからどのルートで広場にやって来るか、全く知ることが出来なかった。

 まるで、自分に故意的に悟らせないよう何者かの意志が働いているようだった。



 ルフェルは確信していた。

 アイリーンの処刑。

 これさえも、彼女の計画であり、彼女の意志なのだと。





 真冬だというのに、寒さなど気にせず多くの民衆が広場に集まっている。

 ルフェルは人混みをかき分け、壇上を見上げた。

 そこには、処刑台に括り付けられたアイリーンの姿があった。


「何故、こんなことをしたんだ」


 この2年間、ずっと会いたかった。

 けれどこんな姿で会いたかった訳じゃない。

 ルフェルはただ、アイリーンの側に居たいだけだったのに。




「何故? だって、それがわたしの存在理由だからよ」



 アイリーンの言葉に、ルフェルは愕然とする。

 民衆の罵声が飛び交うが、ルフェルの耳には入らなかった。



 そんな。

 彼女はなんと悲しいことを言うのだろう。

 それではまるで、彼女が蔑まれて死ぬために生まれて来たようではないか。

 違う。

 君はそんなもののために生まれたんじゃない。

 君は、他でもない、君自身のために生まれたんだ。



 ルフェルは駆け出した。

 人々を押し退け、壇上に上がろうとする。


「――――――」


 アイリーンの言葉にハッと目を向ける。

 その瞬間。

 刃が落とされ、アイリーンの首がごろりと転がった。



「うわあああああああああ!!!!」


 ルフェルの慟哭は、民衆の歓声に掻き消された。

 人々が歓喜に湧く。

 誰もが興奮しながら、喜びを叫んだ。

 その民衆の興奮は、一晩収まることがなかった。




 広場には、いつの間にかルフェルの姿はなくなっていた。

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