第6話 憂鬱の丸顔
器物損壊には至らなかったが、生協カフェのスタッフさんにはめちゃくちゃ謝った。
長谷川に頬を吸われかけた俺は、派手な音を立てて椅子から落ちた。
その直後に俺の座っていた椅子もぶっ倒れた。
怪我はしなかったが、長谷川に『お前ね、冗談も時と場所を選んで』と言いかけたら、奴は食い気味の興奮気味で言葉を被せてきた。
「時と場所を選んだら千萱吸っていいの?」
良い訳ないでしょ。
ある意味大怪我。
「お前、怖いわ。離れて」
内心本気で、表向きは冗談めかしてそう言って、長谷川と距離を取る。
本当に長谷川との距離感が分からなくなってきてる。
その後も微妙に距離を取って歩いていたら、情報社会の授業で講堂に着いた時、植田が誰とどう席に着くか、困ってしまっていた。
ちょっと、あんたたち仲直りしてよ。
そんなふうにこっちを見る。
仕方ないなぁ。
2人の肩に手を置いた。
「俺の顔をどうにかしようとする奴らは、まとめてどっか行って」
植田が長谷川の隣に座れるようにそう言った。気をきかしたつもりでもあるし、自分もちょっと頭を冷やしたい気持ちがあった。
「え、ちょっと」
植田は驚いて、複雑な表情を浮かべた。これまで俺を挟まずにろくに話したことのない2人だ。いくら長谷川のファンでも植田が戸惑うのは当然だった。
でも。
行けって。
植田に目配せをした。
それから長谷川をチラッと見た。
苦笑しているような、感情の読めない表情をしていた。
広い講堂で、俺は長谷川と植田の二列後ろの席に座った。
長谷川が植田に話しかけ、会話は自然にスタートしていた。
お似合いじゃん。
2人ともセンス良いし。
お見合いのセッティングでもした気分で後ろから眺めていたら、田代が声をかけてきた。
「あれ?長谷川は?」
「前」
「ん?」
田代が2人を見た。
「あれ?長谷川、植田とくっついた?」
「さあね」
田代が俺の隣に座った。
「何かあった?」
「ううん。2人して俺の顔がむくんでるのをオモチャにするから離れて座ってる」
「何それ」
田代も俺の顔を見た。
「まるいな」
「うん。炭酸飲みながら朝までゲームしてた」
「ははは」
田代が俺の頬をつついた。
「風船みたい。写真撮っていい?」
「やめろ。撮ってどうすんだよ」
「写真残ってたら、普段の自分の顔と比較できるよ」
「比較してどうする」
「面白がる」
結局それじゃんか。
「あほかやめろ」
「撮らせろ」
攻防を繰り広げる。
俺は自分の顔を両手で押さえて隠した。
その手を田代が引き剥がそうとする。
「ちょっとムキになるなって」
「どっちが」
「千萱」
気付いたら、横に長谷川が立っていた。かなり真顔。こええ。
「な、何?」
「いつまで植田さんと2人にしておくつもりなんだ」
…怒ってる…かな?
「大丈夫でしょ、別に。仲良さそうに喋ってたじゃん」
「俺も植田さんも大人だから話し合わせてるだけだろ」
見ると、植田は席にいなかった。
「植田は?」
「友だちから連絡入って席を外したけど、教科書とか置いていったから戻ってくるよ」
すると田代が立ち上がった。
「仕方ない。俺が行くか」
なんでだよ。そしたら俺と長谷川が2人になるじゃんか。それは困る。
そう思った俺は田代と一緒に立ち上がり、荷物を持って席を移動した。
「長谷川って、植田はそんなにタイプじゃないの?」
田代が小声で長谷川に訊いた。長谷川はえ?という顔をして口籠った。そんなことを訊かれるとは思いもよらなかったのだろう。『まだ…良く知らないし』などとモゴモゴ歯切れの悪い返事をした。
「良いじゃん、お似合いだし。これから仲良くなったら」
田代にそう言われて黙り込む。
「千萱とばかりつるんでないで、な」
田代が追い討ちをかけた。
長谷川が何か言いたそうにこっちを見た。
助け舟は出せなかった。
なんとなく、まだ戻らない植田を取り囲むように席についた。俺はやっぱり一つ後ろの席に座った。
長谷川がチラッとこっちを振り返って、じっと見つめてくる。
千萱、どうして俺を女子とくっつけようとしてんの?
そういう表情。
責めるなよ。
くっつけようとした訳じゃない。
1週間かけて一緒に決めようって言った時、それに長谷川がアプローチするって言った時。こんな事態は予想できていなかったんだ。それは、長谷川の本気を甘く見ていたということだろう。
罪悪感が湧いて、目を逸らした。
植田が戻ってきて、なんで囲まれてるの?って驚いた。ごめんごめん、と良いながら長谷川が立ち上がって、何気ない様子で俺の隣に座った。
そのタイミングで講師が教室に入ってきてしまい、これからの90分の席が確定してしまった。
植田は田代と。
俺は長谷川と座っている。
長谷川が黙っているのは真面目に授業を受けたいからなのか、怒っているからなのか。
モヤモヤしながら授業を受けていたら、長谷川がノートの角で俺をつついた。
見ると、ノートの端に何か書いてある。
『迷惑なら言って』
驚いて長谷川を見た。
長谷川は怒っているんじゃなくて、悲しそうな表情をしていた。
ごめん。
もう少し待って。
そんな気持ちだった。
でも、気持ちに応えるつもりがないなら、ずるずる引きずらずに離れた方が良いんだろうか。
長谷川にとって、今って、とても辛いのかも知れない。
だったら、『待って』って言えない。
今俺が、ノートの端に「迷惑」と書いて長谷川に見せたら、2人の関係は完全に終了してしまうんだろう。
それも怖い。
でも、だからといって、待ってもらうことがこんなに罪なことと思わなかった。
ノートに、長谷川が何か書き足した。
『困らせて悪かった』
いや、多分悪いのは俺だ。
…長谷川、ほんとに俺が好きなんだな。
手を伸ばして、長谷川のノートを引き寄せた。
長谷川の言葉の下に、『ごめん』とだけ書いた。
どういう意味?と長谷川が小首をかしげてこちらを見る。
どんな意味も無くて、今の俺にはそれしか言えなかった。
一人、そっと授業を抜け出した。
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