第5話 控えめの本気

 両腕を突っ張った。それに反発するように長谷川の腕の力が強くなった。

 包まれる。

 腕の中、とはこのことか。

 早くここから出なければ。

「長谷川、ちょっと」

 離してよ。

「何?」

 耳元で声。力が抜けてしまいそうで慌てる。

「分かった、分かったから、ちょっと離れて」

「ほんと?怪しいな。何が分かったの」

「意識する。ちゃんと。だから」

「了解」

 そう呟いて、長谷川が俺から離れた。

 笑いながら、

「やり過ぎ?」

と訊いてくる。

「やり過ぎ」

 睨みつける。長谷川は本当に嬉しそうにニヤニヤしていた。俺を揶揄って、面白くて堪らないのだ。

「控えめだよ」

 そんなことを言う。

「どこがだよ」

「もっと本気出そうか?」

 そう言われて長谷川の背中を叩いた。こっちは焦ってばかりなのに、長谷川の方はやけに余裕があってムカつく。

「帰れよ」

「はいはい」

 ほんとはね、もっと遊んでいたいのよ、俺も。でも仕方ないだろ。お前が俺にそういう態度を取るんだったら。

 意識しろってことなら、こちらも自衛せざるを得ない。

 

 長谷川が玄関を出る。鍵をかけた。

 窓の外からスーパーカブのエンジン音がして、急に心配になる。

 そういやあいつ寝てないのに、何しに来てんだか。

 窓の外を覗いた。

 いつもの銀色のヘルメットが見えて、暗闇に消えた。 


 ホッとしたような寂しいような気持ち。

 友だちっぽさを残しつつ、長谷川は友だちの範疇を越えようとしている。

 あいつ、あんなに大人っぽかったか?

 抱きしめられたことを思い出して、何だか整わない呼吸に慌てた。

 長谷川の方が、俺より5センチくらい背が高いから、声が少し上から降ってくる感じだった。耳に触れるギリギリのところで。

 ベッドに突っ伏したけど、眠れる訳が無かった。





「おはよう」

 振り返ると、植田が立っていた。

 いつもの大学生協カフェ。寝不足の俺。

「あれ?千萱、顔が変」

 覗き込まれて手で追い払った。

「俺に失礼」

「ごめんごめん。でも、なんだろう。丸い」

 そうなのだ。

「なんか起きたらこうなってた」

 仕方が無いのでガッツリ植田に向き合って顔を晒した。

「わあ、なんか…今日の千萱」

「なんだよ、あんま見るなよ」

「キャラみたい」

「うるせー」

「可愛い」

「はぁ?」

 可愛いとは思わないけど、今朝自分でもちょっとギャグ漫画みたいな輪郭になってると思った。

「何があったの?」

「一晩中ゲームしてた」

 あれから朝まで。

「それだけでこんなになる?」

「その間ずっと甘めの炭酸飲んでた」

「それだ」

 植田が俺の顔を左右から眺める。

「リンパ、流そっか」

「なんだよ、それ」

「顔のマッサージ」

 そう言って俺の顔に手を伸ばしてくる。

「やめろよ、触るなって。お前よく平気で大学生男子の顔に触ろうと思えるな、汚ないとか思わないのか」

「千萱は汚く無いって。今日はキャラっぽいし。抵抗感無い」

「抵抗感を持て。キャラじゃないし。とにかくやめろやめろ」

 植田は本当に平気そうだ。頬やこめかみに触れてくる。

「こらこら」

「大丈夫大丈夫」

「お前が良くても俺は嫌なの!」

「顔をスッキリしてあげる」

「嫌だ、このまま丸い顔で生きていくから放っておいてくれ」

 そう言ったら植田の攻撃が緩んだ。

「このまま丸い顔?新キャラ発生。それも良いかも」

 良くないよ。

「新キャラの名前はちがっち。ちがやっち。…やっち?」

「バカか」

 そんな遣り取りを続けていたら、カフェに長谷川が入ってくるのが見えた。こっちに向かってくる。 

「千萱」

 いつも通りの長谷川。

「お、おお、長谷川」

 昨日の今日で、ぎこちない俺。

 けれども、もっとぎこちなく固まってしまった人間がいた。植田だ。


 素晴らしい。

 そうか、植田の動きを止めようと思ったら長谷川を使えば良いんだな。


 植田が固まっているのに気付かず、長谷川が話しかけてくる。

「情報社会の授業、出る?」

 この授業は教養系で、色んな学部の生徒が集まる。俺も、長谷川も、植田も取っている。

「出るよ」

 返事をすると、長谷川は珍しく植田に声をかけた。

「植田さんも?」

 急に話を振る長谷川。罪な奴。

「う、うん」

 見ろ、植田はまともに返事できていない。なのに長谷川はそのまま質問を続けた。

「一緒に行っても良い?」

「え?」

 今まで、こんなこと訊いてきたことなかったから、俺も驚いた。植田も硬直している。

「それとも、邪魔かな」

「邪魔?」

「2人、仲良さそうだから。前から邪魔してるんじゃないかって、気になってた」

 植田がびっくりしてこっちを見た。

「長谷川、お前何言ってんの」

「邪魔じゃない邪魔じゃない」

 2人で大慌てで否定した。

「そ?じゃあ一緒に」

 長谷川はニコニコそう言って、俺の隣の席に腰掛けた。

「まだちょっと時間あるもんね…」

 そう言ってカフェラテを注文する。

「植田さんも何か飲む?」

「え?ああ、カルピス…」

「すみません、カルピスも」

 植田のオーダーを長谷川が店員に伝えている。その間に、植田がコソコソと俺に話しかけてきた。

「ねえねえ、なんか長谷川、雰囲気変わったね」

「ああ、うん」

 俺も驚き。

「何かあった?知ってる?」

 知らないよ、とも言えないし、でも長谷川の本心は知らないし。

 それとも、これが長谷川の言ってた俺へのアプローチなんだろうか。

「いや、えっと…」

 言い淀んでいたら、長谷川が席を立って俺ら2人の間に入ってきた。

「内緒話?」

「え?いや、違うよ」

「違う違う」

 また2人で否定する。

「やっぱ、仲良いね」

 長谷川が、少し拗ねた顔をしてみせた。妬いてんだな、と思うと、ちょっと可愛かった。

 カフェオレがテーブルに置かれて、長谷川が席に戻る。

「そういやさっき何してたの。顔揉んでなかった?」

「ああ、そうそう。今日千萱の顔が丸くて」

 植田が思い出してしまって、俺の顔を悪く紹介した。

「丸い?」

「炭酸飲みながら一晩中ゲームしてたんだって。丸くない?」

「ん?」

 長谷川が俺の顔を覗き込む。

 ……。

 じっと見る。

 ……。

 こらこら、そんなに見なくて良いだろ。

 しっしっと軽く手で払う。

「寝不足と水分の摂り過ぎで浮腫んでるね。吸い出そうか?」

 我が耳を疑った。

「はあ?」

 吸い出す?

 とかなんとか疑っている間に長谷川が俺の顔を両手で挟んで吸い付こうとした。

「わあ!」

 のけぞって椅子から落ちた。

 








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