第4話 10時30分

 自分の部屋にたどり着き、とにかく寝ることにした。

 学生用ワンルームマンションは、玄関ドアを開けてキッチンとバスルームに挟まれた通路部分を通り過ぎればすぐ部屋だ。

 ベッドに倒れ込む。

 すぐに眠りにつく。

 完全に眠ってしまう前に、長谷川が夢に出てきた気がした。

 愛想笑いをしなくて良いと嗜められた。




 スマホの呼び出し音で目が覚めた。

 長谷川からLINEが入っている。


『今から寄っていいか?』


 今って、いつだ。

 10時30分と表示されている。

 朝?

 夜?

 窓の外は真っ暗。夜か。

 バイト終わり?


 回らない頭で『いいよ』と返事を打った。起きなくちゃ。

 シャワー浴びようかな。

 とりあえず水飲もう。

 キッチンへ行ってコップに水を入れた。飲むと身体も頭も少しスッキリした。

 深呼吸をする。長谷川、一体何だろう。お互い1週間くらい考えることにしたつもりだけど。

 程なくしてインターホンが鳴った。

「はいはい」

 ドアを開ける。長谷川が立っていた。

「おはよ」

「寝てたのか」

「うん。ごめん」

 別に謝る必要は無いのだが、目の前の長谷川も日中眠そうにしていたことを考えるとつい謝ってしまう。

「入れよ」

「うん」

「どしたん」

 そのくらいまで、俺の意識は、 目の前にいるのは「友だちの長谷川」だった。

 でも、次の長谷川の一言で、色んな前提がひっくり返った。


「顔、見にきた」


 思わず動きを止めてしまった。

 どういう意味だ。

 友だちに言う『顔、見にきた』なのか。

 違うのか。

 振り返る。

 長谷川の顔が、断った時と同じような表情をしていた。


 そっか。


 長谷川、 俺が好きって前提は崩さないんだな。そうなんだな。

 それにしても、そんなストレートに言う?


 俺の目の動きで何かを察知したんだろう。長谷川が笑った。

「千萱、今ちょっとビビったろ」

「いや」

 否定してみた。

 長谷川が俺の顔を覗き込む。

 植田が『好き』と言っていた顔。近いとそれなりにインパクトある。分かった、分かったよ。確かに顔が整っている。離れて。

「ごめん、ビビった」

 見つめられ負けて言い直した。

 長谷川の手が伸びて、俺の頭を撫でた。

「正直でよろしい」

「ごめん」

 落ち着け、俺。長谷川、言葉と視線に意味と含みが倍増してるけど、態度は以前とあまり変わっていない。

 そう。以前からこんな感じだった。

 …俺だけがぎこちなくなってしまっている俺の部屋。

 撫でる手をひと睨みで払い、さっさと部屋の中に進む。ベッドに座った。長谷川も後をついてきてテレビの前の座布団に座った。うちに来た時の長谷川の定位置。

 長谷川、何をしに来た?

 俺、迂闊だった?

「長谷川、俺もしかして、もうちょっと意識しないと駄目だった?」

 そう訊いてみた。長谷川が『まあね』と言った。

「ここ来ていいか訊いた後、断られると思って緊張してた。でもいざ来て良いってLINEが返ってきたら、凄く複雑だった。意識されてないんだって実感したし。でもまあそれは、朝会った時からそうなんだけど」

「ごめん」

「ううん、そういう所が千萱の良い所だし」

 鈍感ってことか。

「反省します」

「いいよ。ずっと隙だらけでいてくれてもいいしさ」

「なんだよ、それ」

 隙だらけってどういうことだよ。

「千萱が隙だらけってこと」

 意味が分からない。けど、とにかく俺の認識は甘いってことだ。じゃあどうすれば、なんて考えていると、長谷川が続いて話しかけてきた。

「千萱さ、 1週間くれたけどさ」

「…うん」

 あげたって感覚でも無いんだけど。

「俺、俺なりにアプローチするよ。無かったことにしてもらうってことも考えたけど、千萱だったらそういうふうに持っていくことも許してくれるんだって思ったけど、でも、意識してもらわないと、結局いつか辛くなるんだろうなって、思うから」

「うん」

 ははは。読まれてる。

 何となく無かったことにできないかなって思っていること。

 でも、長谷川はそれを望まないんだな。

 そりゃ、そうか。

 俺だって、完全に無かったことにしようと思っている訳じゃないけどさ、でもやっぱり関係性が大きく変わるのは怖いよ。だけど。

「千萱は、1週間経たなくっても、嫌だったらそう言って離れてくれればいい」

 仕方が無い。

「分かった」

 ちょっと覚悟して、頷いた。長谷川が立ち上がった。

「じゃあ、帰るね」

「え?もう?来たばっかりなのに」

 反射的にそう言ってしまった俺に、長谷川が苦笑した。

「ほら、全然意識してない」

「あ、ごめん」

「いいよ」

 長谷川が玄関へ向い、俺もベッドから腰を上げた。


「また明日ね」

 長谷川は玄関で靴を履くと、振り返って小さく手を振った。その様子はいつも通りで、何ならちょっと可愛いかった。

 ちぇ。今までだったら、夜通し遊べたのに。

 そんなことを考えていたら、長谷川が俺に軽くデコピンをした。

「何考えてんの」

「何でも無いよ。はやく帰れよ」

 寂しいとか、言っちゃ駄目なんだろ。

 そう思いながら見上げる。

 すると、長谷川は急に表情を歪めて俺の手首を引っ張った。

「ああ、お前ってば全く」

 突然だった。

 長谷川が俺をぎゅっと抱きしめた。

「は、長谷川?」

 優しいような強いような。

「あの、ちょっと」

 離れようとしたが離してもらえない。

 強い。

「長谷川ってば」

「ちょっとは意識して」

 耳元でそう言われてドキッとする。

「う、うん。分かった。だから、あの、ちょっと」

 少し押してみた。それでも長谷川は俺を離さない。

「ちょっと、長谷川」

 もう少し強く、両腕を突っ張った。



 

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