第3話 仕切り直し
俺が話そうとした時、長谷川がちょっと背筋を伸ばした。
凄く緊張しているんだと思った。
でも俺もとても緊張していた。どんな言葉で話したら良いのか分からなかったからだ。
「あの…」
どう言ったら、お互い嫌な気持ちにならないか。
駄目か。
断った時点で長谷川は充分嫌な思いをしてる。
いや、だから、せめて…。
「俺さ」
慎重に。
「俺はさ、都合よく聞こえたら悪いんだけど、俺としてはさ、これまで通り…友だちでいられたらって思うよ」
そう言ってみて、長谷川の顔を見た。
長谷川は、困惑した表情でこちらを見ている。
難しい。言葉ってとても。
「いや、無理だって言うんだったら、長谷川の考えている通りにしていいよ。俺、正直どうしたらいいか分からないし」
気持ちに応えられないから、それ以外のことにはできるだけ応えたい。
「…長谷川は、どう思う?」
問いかけてみた。長谷川の困ったような表情は解消されない。
「ごめん、なんか俺、きっと変なこと言ってるんだよな。ごめんな」
謝ると、長谷川はううん、と首を横に振った。消え入りそうな声で話し出す。
「俺、俺さ、千萱に嫌われる、避けられるって思ってたから」
「……」
「だから、それ以外の今後って考えてなかったから」
チラッとこっちを見た。
「俺も展開が読めん」
そっか。
それで困ってるのか。
「分かった。…じゃあ、一旦それぞれ持ち帰る?」
提案してみたら、長谷川が急に吹き出して笑った。
「なんだよ」
「持ち帰るって」
そう言って笑っている。笑ってくれていることにホッとする。
「1週間くらいかけて、これからどうしていくか決めよう。俺は友だちでいたい。それは俺のわがままだから、長谷川はよく考えてから返事をしてくれたらいい。1週間で足りなかったらもっと考えてもいい」
説明し直すと、長谷川が『分かった』と言った。俺は続けて、自分の今の想いを伝えることにした。
「俺は昨日のことは誰にも言ってない。これからも多分言わないと思う。でも、だから、相談する相手がいないと思ってた」
長谷川が神妙な顔付きで聞いている。
「今日は、当たり前だけど、お前も悩んでるって気付いて、なんか、一緒に悩めば良いんだって気がしてきた。…間違ってるかも、だけど」
どうだろう?
顔を覗き込む。
長谷川が笑顔を見せた。小さく頷いた。そして『ありがとう』と言った。
「とりあえず、今日授業2コマ一緒のがあるけど、隣座って良い?」
訊いてみた。
長谷川が笑った。
朝にそんなことがあり、その日の俺と長谷川は通常運転となった。
前日までと同じ。でも内心は緊張を抱えつつ。
やっぱり意識しないのは無理だと思った。今までと同じ親切に、全て意味を考える。
席を取って待っていてくれていることとか。そこに意味を、含みを、考えてしまう。
俺も席取って待ってる。
あ、それって喜ばせちゃってる?
そんな事を一つ一つ。
でも考え過ぎと寝不足で、あっという間にどうでも良くなっていった。
隣に座った講義では互いに眠さと戦い、最終的には腕のつねり合いになった。
「千萱、右腕赤いんだけど」
「長谷川がすぐ寝るからだよ。感謝して」
「眠いんだよ、勘弁してくれよ」
「優しくしただろ」
「優しくない」
「俺だって眠いよ」
状況一緒じゃん。わざと顔を歪めてみせながら、俺も長谷川に左腕を突き出した。
「俺の腕、爪痕ついてる。犯人誰?」
長谷川が、俺の腕と、顔を交互に見た。
「犯人って。お前がつねったくらいじゃ起きなかったからだろ。俺は心を鬼にして」
「じゃあ犯人改め鬼」
「千萱!」
そんな事を言い合いながら駐輪場までやってきて、そこから長谷川はバイトへ向かった。
10時までバイトだと言い残して。
スーパーカブに跨る長谷川に、睡眠不足でバイクって大丈夫かなと心配になったけど、口には出さなかった。
気をつけて。
そう心の中で思いながら見送る。
俺の方は、今日はすぐに眠れそうな気がした。今すぐにでも帰って寝ようかと思うほどだった。悩みは解消されてないけど、とにかく長谷川と話せたし、今後もすぐに縁が切れるような状況ではなさそうだ。
っていうか、ほんとにあいつは俺が好きなのか?
左腕に思いっきりついた爪痕を、あいつ全然優しくないぞと思いながら眺めた。
と、その時、LINEの呼び出し音がなった。見ると田代から、授業のノートを貸してほしいというメッセージが入っていた。
いいよ、今どこ?と返信すると、まだ家から出ていないという。
『20分で着くから、生協カフェで待っててくれ。奢る』
おっけー、と返信し、俺はカフェで時間を潰すことにしたのだ。
そして、冒頭に戻る。
田代を待って時間を潰していた俺に、植田が話しかけて来たというわけだ。
長谷川のファンである植田の話に付き合うのは、これまでそんなに嫌では無かった。
しかし、事ここに至っては、どうも居心地の悪さを感じずにはいられない。
これまでは、自分の知っている長谷川情報はだいたい垂れ流してきた。
でもこれからはそういう訳にはいかない。
長谷川の好みが分かったよ、俺だってさ。
ははは。
そんなの、絶対言えないやつ。
…っていうか、今日の、普通の長谷川を見ていたら、それだって本当かなって思う自分もいる。
長谷川、本当に俺のこと好きなのかな。
なんで好きなのかな。
どこが好きなのかな。
何があったんだろう。
2人の間で起きた出来事で、何かが長谷川の中で引っかかり、心に大事件が起きたんだろう。
それは、少しは俺が関わっていることなのに俺にはちっとも分からない。
植田が隣にいるというのに、ぼんやりしてしまう。
眠いし。
田代、早く来ないかな。帰りたい。眠りたい。
「長谷川、そこのスーパーのバイト行ったのよね」
「そう。そんなに顔見たいんだったら帰りに寄れば?」
「いや、さすがにそれは」
大学でチラ見するのと、バイト先でチラ見するのと、何が違うのか俺には分からない。
「スーパーで会った事無いの?」
「あるけど、わざわざ行かないよ。狭いスーパーだし、なんか恥ずかしい」
本気で恥ずかしそうにしている植田が少し可愛く見えた。
「そういうもんなのか」
「うん。そういうもんなの」
植田の笑顔。
「でも、ありがと。帰りに長谷川のカブ見て帰る」
「変態っぽいな」
「それが変態っぽいなら世の中の女子、半分以上は変態だよ」
「まじか」
女子、よく分からない。
ばいばい、と言って植田が去った。
入れ替わるように田代がカフェに入ってきた。
「遅かったじゃん」
そう言うと、田代はニヤニヤしながら俺の頭を小突いた。
「植田といるのが見えたから、外で待っててやったの」
そうか、それであのタイミングだったのか。
「バカか。俺は眠くて植田の話もあまり聞いてなかったし、ただただお前を待ってたんだぞ」
そう言いながらカバンからさっきの授業のノートを取り出して田代に渡した。
「さんきゅ」
「寝坊?もう夕方だぞ」
「うん。朝までゲームしてた」
「ツーシン?」
「うん。途中まで長谷川居たぞ」
まじか。
長谷川、意外と悩んでなんていない?
ふふっ。
つい笑ってしまった。
「どしたん?」
田代が不思議そうに俺を見た。
「何でもないよ」
ほんとに。俺は真剣に長谷川の事考えて悩んでいたのに、あいつは田代たちとゲームしていたとは。…俺もあまり真剣になりすぎるのはやめよう。
「俺ってちょっと重いかも」
そんな言葉が、つい口から出てしまった。
「何?やっぱ彼女できた?」
田代が突っ込んでくる。俺は首を横に振った。
「彼女できてない」
「じゃあ何が重いんだよ」
「さあ…。でもいつかまた話聞いてもらうかも知れない。なんか、今俺自分のこと客観視できていないや」
長谷川の事というより、なんか、田代みたいにドライなタイプの人間に、俺ってやつをぶった斬ってもらいたくなった。
「俺って、いいとこある?」
ため息まじりにそう訊いたら、田代は間髪入れずに『ない』と返してきた。
「ノート返せ」
「うそ、千萱ってばノート貸してくれる良いヤツ」
「返せ」
「顔が良い」
「嘘つけ」
「優柔不断」
「それ悪口。返せ」
本気じゃないけど、田代の手にあるノートを引っ張った。
「ごめんごめん。まじごめん」
「…ふんわり悩んでるんだってば」
「ふんわりって何それ」
田代が笑った。
「俺にも分からん」
俺もちょっと笑った。
「お前の良いとこは、のんびりしているところかな。カリカリしてるの見た事ない」
それが田代の千萱評か。
「…ありがと」
田代の頭を撫でておいた。
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