第2話 眠れぬ夜

 昨日の長谷川の告白、その後は授業が別だった。なんとかそれぞれの棟に行くまで並んで歩いたものの、いつもと違う空気が流れ、さらにその後は俺もバイトが入っていて、それっきり長谷川とは会えなかった。


 バイトは、半年くらい前から始めたコンビニのバイト。俺は上の空だった。

 長谷川のことばかり考えていた。


 長谷川といる時の、あの安定した時間の流れ。これまでの部室でのくだらない遣り取りとか、試験前に教えてもらいながら徹夜で勉強したこととか。

 なんか、もう、もうあんな感じにはならないのかも知れない。

 それから…思い出すのは、俺が断る直前の長谷川の表情。

 長谷川は、絶対に断られると分かってた。

 そういう顔、してた。


 あんな顔、するんだ。


 喜んだり笑ったりするのは見たことがあるけど、怒ったり悲しんだりは表に出さない奴だった。

 あの、初めて見た不思議な表情。



 レジに入ると重大なミスをしてしまいそうで、同じ時間に入っていた田代に、できるだけレジのカバーをしてもらうようにお願いした。

「あんまり寝てなくて。なんかやっちゃいそう」

「了解了解。今度俺がやばい時に助けてよ」

「もちろん」

 そんな会話の後、田代が訊いてきた。

「なんかあった?」

「ん?」

「眠そうっていうより、なんか元気なさそう」

 田代はこういうところ鋭い。

「そんなふうに見える?」

「うん」

 田代は頷いて、『ま、必要だったら話聞くよ』と言った。

「ありがと」

 ありがたい。

 でも、この話は今は誰にもできない。特に、田代は長谷川とも友だちだ。



 品出しをし、時々レジに入り、バイトが終わったのが夜10時。


 荷物とロッカーがぎゅっと詰め込まれている『更衣室』に入るなり、俺はスマホを確認した。

 絶対連絡なんて入っていないと思いながら、長谷川から何かメッセージが来ていないかチェックする。


 …無いか。

 当たり前だ。


 後から来た田代が俺を揶揄った。

「何チェックしてんの」

「いや、別に…」

「彼女できた?」

 俺は首を横に振った。

「できてない」

「植田は?付き合わないの?」

 こんなふうに、田代は事ある毎に『植田と付き合わないのか』と言ってくる。

「だから植田は違うって」

「だってお前らいつも一緒にいるじゃん」

「俺が便利に使われているだけだよ」

「それが怪しいって言ってんの。植田ね、絶対千萱のこと好きだって」

 これも、毎回言ってくる。


 違うよ、植田は長谷川狙いだもん。

 そう思って、また長谷川のことを思い出して、ため息をつく。

「とにかく、植田は違うんだよ。俺はあいつの好みも知ってるし。俺じゃ無いんだ」

「はいはい。毎回そう言うね」

「お前もだろ」

 コンビニの制服を脱いだ。自分のTシャツに着替える。店内を通って次のバイトに挨拶し、田代と一緒に外に出た。



「まあとにかく今日はありがと」

 休憩時間に買っておいた、田代の好きな銘柄のカフェオレを手渡す。

「気を遣うなって」

「ううん。まじで今日ちょっとダメージ強くて。レジ多かったらやらかしてたと思う。助かった」

「そっか」

 田代がカフェオレを受け取った。

「じゃあまた」

 田代が、まだ話を聞きたそうにしていたが、俺はさっと距離を取った。

 それで田代にも、今日は相談するつもりがないんだということが伝わったようだった。

「じゃあな」

 手を振って別れた。



 一人になってからも長谷川のことが頭から離れなかった。あのままになって、明日から話ができなくなったらどうしようと思ったり、いやいや距離を置いた方が良いのかも、と考えたりした。

 何度もLINEをしようとしてしまった。何も無かったみたいな、昨日までのノリのメッセージを残して、無かったことにしてしまいたくなった。でもそれは、思い切って告白した長谷川の気持ちを考えると、とてもできなかった。

 どうしたらいい?って訊いてみたくもなった。男友だちに告白されたら、これからどんな態度を取ったらいい?これからも仲良くしたいんだ。

 でもそれを長谷川本人に訊ける訳がない。

 ああ。



 ろくに眠れずに翌朝を迎えた。

 朝になるころには、めちゃくちゃ長谷川に会いたくなっていた。

 告白に応じることはできないけど、拒絶するつもりもないことを伝えたかった。これからも今まで通り仲良くやっていきたいという気持ちを伝えたかった。

 でもそれを、うまく言葉にできないから、顔を見て普通に話しかけることで俺の意志をうっすらと表現するしかないから、だから会いたかった。


 一コマ目の授業は無いけど、俺は朝イチで大学に出かけた。

 これまでみたいにやたら偶然に、俺が『やたら偶然に』と思っていたように、長谷川と出くわす機会は減るんだろうか。

 …仕方が無い。

 そんなことも思いながら、部室に顔を出した。



 部室は、小さい図書室みたいな部屋だ。

 20畳くらいの場所に、会議用の机が6本、パイプ椅子が適当に置かれており、両サイドの壁が全て本棚になっている。

 入って奥が窓。本が日焼けし過ぎないようにカーテンが吊られているが、締め切ると暗すぎるのでいつも中途半端に開いている。


 部室のドアに鍵がかかっていなくて、誰かいることに気付いた。そっと扉を開けると、一番奥の、窓際のパイプ椅子に長谷川が座っていた。他に人はいない。

 長谷川は本を読んでいた。



 ドアの開く音に顔を上げて俺に気付いた長谷川の唇が、おはようと動いたが、声はあまり聞こえなかった。

「おはよう」

 俺からも挨拶を返した。会えたことにホッとしていた。長谷川のところまでまっすぐに進んで行って、隣のパイプ椅子に座った。

 しかし、隣に座ったものの、どうして良いか分からない。

 会いたいと思ってはいたが、具体的に話す言葉を考えていたわけではなかった。

 困ってしまって、チラッと目をやると、長谷川は黙ってこちらを見詰めていた。

 ああ、ちょっと気まずいな。

 そんな気持ちになって表情を歪めると、長谷川の眉もハの字に歪んだ。

「どしたの。早いね」

 話しかけてきた。でも、こちらはうまい返しが思いつかない。

「うん」

 頷いてみて、それっきり沈黙が続く。

 どうしよう、次の授業まで、90分くらいこのままか。

 凄く困っていると、長谷川がちょっと笑った。

「千萱、今困ってるだろ」

「え?あ、いや」

「困らせてゴメン」

「え?何、いや、あの…」


 何謝らせてんだ、俺。


「…謝らせてごめん」

 本当にそう思って、心の底から謝った。こんなノープランで来るんじゃなかったと思いながら。

 でも、長谷川はそんな俺の気持ちまで分かっているかのように話し始めた。

「ううん、びっくりさせたのは俺だから。昨日あんなタイミングであんなこと言うつもり無かったんだ。でもちょっと焦っちゃってさ」

「焦ったって、何が」

「千萱、最近植田さんと居ること多いから、なんかそれで、焦って…」

 長谷川が俯いた。

 俯いた長谷川の耳が、次第に赤く染まる。

 バカ、俺と植田の間には何も無い、基本お前の話をしてるんだよ、と言ってやりたいが言えない。

「でもさ」

 俯いたまま、長谷川が続けた。


「焦ろうが焦らまいが、どうにもならないのに」

 

 そう言われて、息をのむ。

 確かにそうなのだ。

 俺にだってどうにもできない。


「ごめんな、千萱を困らせただけだった。今日だって気にして来てくれたんだろ。それとも、じっとしてられなかったのか、そういうことだろ」

 長谷川がそう言って顔を上げて、申し訳なさそうに俺の顔を見る。

「千萱が気になるんだったら、俺が部を抜けるよ。それか、名前だけ置いてもらって、ここには来ないようにする。授業が一緒になるのはごめん。あんまり避けてると周りも変に思うかも知れないから、しばらくは近くに座らせてもらえたらって思ってる」

 すらすらと言うのを聞いて、きっと一晩中考えていたんだろうと思った。

 俺も眠れなかったけど、長谷川こそ、本当に本当に眠れなかったに違いない。

「あのさ、長谷川」

 俺も口を開いた。

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