それっぽいけど
石井 至
第1話 彼と彼女の「片想い」
大学生協のカフェのカウンター席で、一人で時間を潰していたら植田友里子が隣の席に座った。
俺は植田をチラッと見た。白いTシャツにジーンズ。いつもと同じ格好をしていた。これは植田の制服代わり。物が良いからかスタイルが良いからか、非常に感じが良い。
「誰かと一緒?」
植田が俺に探りを入れてくる。
「いいや」
俺の返事に、植田は席に深く座り直した。
「じゃあ今日って長谷川はバイト?」
植田の狙いは長谷川だ。
「うん。さっき駐輪場で本人がそう言ってた」
スーパーカブに跨って長谷川は『今日は10時までバイトなんだ』と俺に言ったのだ。
「え?さっきまで会ってたの?」
植田が片眉を上げた。
「うん。授業一緒だったから」
「良いなあ。なんで連れてきてくれなかったの?」
羨ましそうだ。
「授業終わったらすぐ行っちゃったよ。急いでたんじゃないかな」
そう言ったら、植田はつまらなさそうな顔をして言った。
「そっかぁ。教室の周りでウロウロしておけば良かったなぁ」
「そこまでしたらちょっとストーカーっぽいでしょ」
俺が揶揄うと、植田はやめてよ、と呟いた。
「そういうんじゃないの。ちょっと顔見たかったってだけ。チラッと。顔見たら元気もらえるから」
「あ、そう」
そんなもんかな。
そんなもんか。
…そっか。
そういや長谷川も。
大学生協の安いカフェで、2人で長谷川の話をする。
なんだこの状況は、と思いつつ、毎回付き合っていた。構内でバッタリ会ったら、そのままなんとなくここまで歩いてきて、俺はホットを頼み、植田はいつもカルピスを飲んでいる。
植田と長谷川は俺を通してお互いに顔を知っている。でも2人で話すような感じにはならなかった。俺を挟んで互いに小さな会釈をするような、奥ゆかしい関係だった。それはそれで妙に微笑ましいと思っていた俺だった。
植田は、長谷川が好きだけど、俺から見ると好きというよりファンに近い感じがする。直接ぐいぐい話しかけるでもなく、少し離れたところから様子を見て喜んでいる。または俺などから情報収集して喜んでいる。
植田って、高校の時彼氏とかいたっけ。
植田とは高校が同じだった。でも2年の時にクラスが一緒だったというだけで、特別仲が良いという訳では無かった。
だから、彼女の高校生活についてはあまり思い出せない。
大学生になってから、学部は違うが同じ大学にいることに気付き、学食とか共通の授業で会えばちょっと話す程度関係になった。
多分、高校の時より今の方がよく話すようになったと思う。
そして話題は長谷川のことばかり。
もしかして、俺と長谷川がよく一緒にいるので近づいてきたのかも知れない。
まあそれはそれで構わない。
こちらとしては植田に恋愛感情も無いし、でも長谷川の話を嬉しそうにしている彼女を見るのは嫌いでは無かった。
長谷川は派手さの無い堅実な奴だ。男友だちに人気が出るというか、仲間が多いタイプで、しかし大学生ともなると、こういうのが優良物件だと女子も分かってくるのだろうか。実のところ俺よりずっと女友だちが多い。
長谷川は地味ながら紳士で、付き合った女子は幸せになれる気がする。
そんな長谷川とは大学で知り合った。だからまだ一年にも満たない程度の仲だ。学部が一緒で、教養系の授業がよく被る。
隣に座った長谷川がテキストを忘れてたのに気付いて見せてやってから、なんとなく親しくなった。
長谷川は外国語研究部というお堅い名称の部活に入っていた。何かのついでに部室に行くのに付き合って、結構ゆるい部で居心地良さそうに感じたので俺も入ってしまった。
部室には色々な言語の書籍が並んでいるけれど誰も読んでないし、集まったメンバーで喋っているだけで、とても長閑で好きな空気感だった。
居心地の良さという意味では長谷川本人も適度な真面目さと緩さを併せ持ち、俺にとって、ちょうど良い存在だった。
昨日までは。
何が昨日までかと言うと、俺は昨日長谷川に告白されたのだった。
「俺、千萱が好きなんだ」
「え?」
このことにより、俺の感じていた居心地の良さは一旦消滅した。
けれども、だ。
告白された時、正直なんだか嬉しく思っている自分がいたのは事実なのだ。
嬉しかった、は言い過ぎか。
言い訳をするとしよう。
多分それは、相手のことを嫌いじゃ無かったし、それどころかちょっと尊敬していたからだと思う。良い男だと思っていたし、いろいろ自分より上だと感じていた。
そんな長谷川に好きって思われたことが、妙に自分の胸をぎゅっと掴んだ。
自分が肯定しているものに、肯定された感じ…。
それって結構、いや凄く嬉しいことだった。
生まれた初めての経験だった。
でも、俺としての返事は一択しかなかった。
『丁寧に断る』だ。
理由は、何だろう。
男同士である、というよりも。
長谷川が植田の好きな人だから、かも知れなかった。
こんなことになった場合のシミュレーションをしたことが無かったのも選択肢の幅を狭める一因だった。植田の惚れている長谷川に、自分が好意を示されるとは。
気配でも感じていれば、こんなことがあった時にどうすべきか、もっと準備というか、考えておけたと思うのだが。
いや。
愚鈍な俺が気配を感じ取れる訳がない。
「ごめん」
だから俺は頭を下げたのだ。
断ることは明白だから、返事は早くないといけなかった。
ゆっくり考える時間は無かった。
顔を上げると長谷川は『分かってた』って顔をして待っていた。
「こっちこそゴメン。混乱させて」
目が合うと、ちょっと照れ臭かった。
そして少し照れ臭そうな、何かを諦めたような長谷川の表情を見て、何かを失ったような悲しみと混乱が押し寄せてきた。
断るしか無かった。
でもそれが正解だったのか。
平日の午後。大学の構内。この時間は人気のない藤棚のベンチ。
長谷川が立ち上がった。
「行くわ。次、中国語の授業あるから」
行くな。
このまま別れたら、明日から俺たち、どうなる?
俺も慌てて立ち上がった。
「教育学部棟?俺も行く。講堂で授業あるから」
並んで歩き出す。
「千萱の次の授業って、地域経済だろ?」
「うん」
何気ない会話はこれまでどおりだった。
俺は、できれば長谷川とこれまで通りの関係でいたかった。
でも長谷川の告白の後では、これまでと全く意味が違って聞こえることにも気付いた。
俺の次の授業、知ってるのはそういうことだったのかな、とか。
今日も、いつも通り藤棚で、待ち合わせをした訳でもないのに自然に会ってた。
そういうのも、これまでも、もしかしてそういうことなのか。
そうとも知らずに俺は、長谷川のことを好きな植田に、なんかばったり会うんだよね、って言って色々情報を提供していたのか。
長谷川の情報。
毎朝服を決めるのがめんどうだから、白いボタンダウンのシャツを5枚買って着回していることとか。
右手の中指に地味な指輪をしているのは、おじいちゃんの形見をいたずらしていて抜けなくなって、紆余曲折の末にそのままにしておくことになったってこととか。
バイト先のスーパーに長谷川以外に長谷部って先輩がいるせいで『ガワ』って呼ばれていることとか。
コーヒーはブラックばかり飲んでいるけど、学食ではコーヒーが煮詰まって苦いから絶対にブラックで飲まないこととか。
兄弟が多くて、実家に帰っても部屋がもう無いこととか。
大量に詰め込んで、植田に横流ししていた情報が急に脳内で膨らんで 俺に襲いかかってきた。
ごめん、長谷川。
そういや、興味ありげに話を聞いていたかも知れん。
それが思わせぶりだったんならゴメン。
講堂が見えてきた。どの学部棟とも離れ、独立して建っている。
「じゃあ」
手を振った。
「長谷川、今日部室行く?」
訊いてみた。
「ううん、バイトあるから」
「そうだったっけ」
「うん。べーさんの代打」
「そっか。頑張って」
「うん」
それが、昨日のことだった。
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