時は流れ、という言葉は時空間では使えない。時空間において時間とは座標であり、その移り変わりは場所の移動でしかなく、流れもしないからだ。

 物理学的な話はさて置き、アダムが時空間に来て『しばらく』が経った。一時間や一秒という単位は意味がなく、そもそも時間の経過を示す道具もないので測りようがない。しばらくと感じるだけの時、としか言いようがないのである。

 この時のアダムは、自分の身体の位置の動かし方を模索していた。


「(泳ぐように両手を動かしても、移動している感覚はないな)」


 水泳などろくに習った事もないので見様見真似であるが、クロールのように腕を動かしてみる。

 しかし物理的な移動方法では時空間の中は上手く動けない、とアダムには感じられた。

 時間が座標に加わっている時空間の中だから『三次元肉体的』な動きで進めないのは当たり前、というのは少し短絡的だ。ならばどうして自分はタイムマシンの中から外へと出られたのか。それに時間の座標は動かずとも、他三つの座標を動けば、十分動いているように感じられる筈だ。三次元空間を動く際にも、縦横奥行きの全方向に動かなければ『動き』が分からない事なんてないのだから。

 つまり、何かが足りていない。

 あの時はどうやって動いたか? 思い返してみるに、タイムマシンから出ようと強く意識していたと思う。

 あの時の感覚を思い出す。動け、進めと念じる。

 ……念じたところで、やはり動けるものではなかったが。ならば一体何が原因なのか、考え付く限りの手段を用い、あれこれと試す。幸いにして『時間』はいくらでもあり、何度でも試す事は出来た。

 そう、時間はいくらでもある。

 この辺りから、アダムは『時間』の感覚が本格的になくなり始めた。時間が座標でしかなく、なんの変化もないこの世界で時間感覚というのも妙な話だが、ともかく時間の感覚が薄れていく。ほんの一瞬意識が止まっていただけのような気もすれば、何万時間も考え込んでいたような気もする。血反吐を吐くほどの努力をこれまでの人生と同じだけしたと思えば、その休憩が瞬きほどの短さに感じた事もあった。

 無限の時の中で、気付けば、アダムは自分の身体の動かし方を覚えた。時空間に流れる時間を掴み、その勢いを利用して進むのだ。そしてそれには意識の指向性が欠かせない。タイムマシンの時には、タイムマシンの外へ向かうという指向性があったから、上手く時空間に出られたのだろう。

 この珍妙な移動方法をどうやって覚えたか? 初めて自転車に乗れた時のように、その時は大きな感動があり、言葉でもそれなりに説明出来た筈だ。なのに今となってはアダムにも思い出せない。最初から出来たかのように、何時の間にか無意識のまま泳げるようになってしまった。

 そうして時空間を泳げるようになっても、何処まで進んでも、広がるのは青い時空間だけ。動けても変化がなくては意味がない。動き回るのに飽き、ぼんやりと空を眺める時が、数えるのも馬鹿らしいほどの間続いた。

 更に、しばらくの(或いは途方もない)時が経つと、アダムは景色を覗けるようになった。

 青色ばかりと思っていた世界だが、目のピントをずらすような意識で見ると、薄っすらとだが何かが見える。黒い何かだ。更に一生懸命見ようとしたところ、本当に黒い……黒いだけの何かがあった。星を消した夜空のような暗さである。

 何もなくてガッカリした。

 されどそのガッカリ風景が、更に待つと変化した。

 黒さの理由が、とある時代の景色だと気付いたからだ。気付けた理由は延々と続く黒の景色の中で、偶然にも光が生まれる瞬間を目の当たりにしたから。光はそれから延々と輝き続け、今度は景色が白一色に染まる。

 ビッグバン、もしくはインフレーションだった。

 今まで見ていたものは、宇宙が誕生する前の景色だったらしい。これまたしばらく白いだけの景色が続いたが、やがて眩さは消え、光は疎らになっていく。その疎らな光は、よく観察すれば所謂恒星だと気付いた。星が誕生したのだ。

 宇宙誕生の瞬間を目の当たりにし、宇宙の成長を目撃する。科学を志す者であれば、誰もが感動する光景だった。

 ……この時になってアダムは、自分の時間感覚がおかしくなっていると自覚した。宇宙の誕生後、まともな『物質』が出来上がるまでに数十万年が掛かったと言われている。ましてやその集合体である星の形成は、ハッキリと何時とは分かっていないが、数億年は経っているだろう。

 数億年どころか数万年という時間、ただ暗闇だけを見つめていたら、普通の人間なら狂う筈。しかしアダムは、自分の精神は今までと特段変わりないように感じていた。四次元という空間に適応した結果か。それとも本当は狂っているのか……

 考えて、どうでも良い事だと思い至った。此処に人間はいない。自分が狂っていようがなかろうが、それで何かが変わる訳ではないのだ。

 気にしなくなったアダムは、思う存分宇宙を眺めた。

 宇宙の中で惑星が生まれ、数多の生命が誕生する。宇宙というのは存外多様なものらしく、一つとして同じ姿がないほどに、様々な生命体が惑星の環境に適した形で生まれた。その中から知的生命体が誕生し、時には宇宙に飛び出すほどに発展する事もあった。

 しかし宇宙の死・ビッグリップにより全てが無に帰す。

 宇宙が終わると再び暗闇が始まる。その光景は宇宙の歴史から見るとあまりにも長い時間続いて、されどやがてまた光を放つ。ばらばらになった量子が、奇跡的な確率の果てに新たな宇宙を生み出すほどの偏りとなった時の光景だ。そうして次の宇宙が生まれる。また新たな生命が誕生し、今度の宇宙は熱的死を迎えた。三度目の宇宙は陽子崩壊により消滅。四度目の宇宙はブラックホールに全てが飲み込まれ、そのブラックホールが蒸発して終わりを迎えた。

 宇宙は生と死を繰り返し、その度に新たな生命と文明が誕生していた。宇宙の歴史とは一度だけのものではない。幾万幾億の輪廻と転生を経ていたのだ。自分達人間はその中の一つの宇宙の、一つの星の住人でしかないとアダムは気付く。

 普通の人間ならば、自分のあまりのちっぽけさに気が狂いそうになるのだろうか。今のアダムは持ち合わせていない感情だった。むしろ目まぐるしく変わり、無限に等しい時間の中であっても同じものが現れない、宇宙と生命の多様さに驚くばかり。

 時折人間に似た生命が誕生しても、その価値観はまるで人間と異なり、技術の発展もまた違った。宇宙の死を乗り越えた超文明もあれば、森林伐採のし過ぎにより冬の寒さで滅んだ間抜けな文明もあった。無限に流れる時代を眺めるだけで、アダムは無限に暇を潰せた。

 そんなある時の事、アダムは『彼等』と出会った。

 かつて遭遇した、時空間生命体だ。しかも此度は一体ではなく、何百何千もの大群である。形は意外とバリエーション豊かであるが、巨大な頭のような外観と、触手のようにうねる部位は共通していた。間違いなく『同種』と見て良いだろう。大きさはどれも同じぐらいで、幼体と思われる個体は見られない。

 生命である以上一個体だけとは限らないと思っていたが、こんなにたくさん群れているのは想定外。驚きからアダムが見惚れていると、なんと彼等はアダムの下にやってきた。数多の視線を向け、アダムの傍をすり抜けていく。

 そのうちの一体が、触手でアダムの身体を撫でた。

 優しい撫で方であり、まるで「一緒に行こう」と誘われているようにも思えた。宇宙開闢クラスの独り身を拗らせて、こんな人外の人肌さえも求めた挙句の勘違いかも知れない。だが、『今』のアダムには行き先もない。意識を彼等が進むのと同じ方へと向け、時間の流れを読みながら、彼等と共に時空間を飛ぶ事にした。

 共に行動してみて、彼等が如何にこの空間に適応しているかが分かった。

 彼等が時空間を『泳ぐ』速さは凄まじい。長い年月(と主観的に感じている)を掛け、身体を慣らしたアダムよりも速いどころか、アダムが遅れそうになると後ろから押して手助けまでしてくれた。しかもそれほどの速さを延々と、何時までも続けていられる。休憩を挟む素振りもなく、時折疲れたアダムが不躾に寄り掛かってもへっちゃらなようだ。

 また、アダムが共に飛んでいるもの以外にも、幾つもの『群れ』が存在しているようだった。時折遠くで、アダムがいる群れよりも遥かに巨大な……何万何十万という大群で飛んでいるのを目にする。時空間では時間と座標が一致しているので、もしかすると『未来』や『過去』の姿を見ているだけかもしれないが。

 いずれにせよこの時空間で大繁栄を遂げた種族のようだが、しかし決して無敵の存在ではないらしい。

 天敵がいたのだ。その天敵は時空生命体と比べればいくらか地球生物に似た姿……とはいえ光沢が一切ない黒い身体と四枚の翅、イモムシのようなぶよぶよとした体躯の前後にタコのような触手を無数に生やしたという奇怪なものだが……をしており、時空生命体に襲い掛かってくる。そして全身で吸収するようにして時空生命体を食べてしまう。

 天敵達は時空生命体よりも速く、成体と思しき個体は体格も上回る。襲われた時には、上手く逃げられる時もあったが、大抵は誰かが犠牲になっていた。襲われる頻度も中々多い。

 たくさんの時空生命体が天敵に食べられていたが、時空生命体が繁殖する姿を見る事はなかった。これだと当然、襲われる度に群れを形作る仲間の数はどんどん減っていくが……小さな群れと出会うと、その群れと一緒に行動するようになり、これで群れの数を維持していた。無論この方法では種としての総数は減る一方の筈なのだが、不思議と数が減っている様子はない。群れはいくらでもいて、何もなかったかのように合流する。天敵達は出産や交尾をしていて如何にも生物的なのに、時空生命体はそうした活動と一切無縁な、ある意味ではとても非生物的な存在だった。未だ時空生命体の幼体の姿も見た事がなく、工業的に『生産』されているのでは? それとも過去や未来の『自分』と合流しているのか? 等の考えも浮かんだ。

 そんな彼等と共に行動した時間が積み上がるほど、アダムは彼等への親しみを感じ始めた。

 群れで生きる動物だからか、人間というのはやはり孤独を嫌がるものなのだろう。彼等はアダムを邪険にする事もせず、アダムが疲れれば助けてくれて、天敵に襲われた時にも一生懸命守ってくれる。彼等は自分を仲間と思っているのだろうが、しかし助けられてばかりでは、仲間とは言えないとアダムは思う。

 ある時、無性に彼等の仲間になりたくなった。

 或いは気の迷いだったかも知れない。人間はストレスを抱えると、自分ですら引くような行動をしてしまうものだ。そして人間の気分にはムラがある。振れ幅と言い換えても良いだろう。要するにその日の気分によっては、普段なら考えられない事(衝動的に誰かと寝るとか、巨大で馬鹿馬鹿しいデザインのタトゥーを入れるとか)をやってしまう時もあるという事だ。

 なんにせよどうしても仲間になりたくなったアダムは、とりあえず自分の首を千切ってみた。

 気の迷いどころではない行為だが、しかしアダムの身体は、長い時空間の旅でボロボロになっていた。付け根が劣化し過ぎて足の一本は取れていたし、天敵の幼体らしきものに襲われた際の傷で腸が外に出ていた。普通ならば死んでいる怪我だが、時間が座標でしかない時空間において、死に至るという『変化』は起きない。

 首を千切ってもアダムは死なず、頭だけになる事が出来た。動脈や静脈が断面からぷらぷらと漂い、触手のように蠢く。

 なってみて分かった。この姿はとても動きやすい、と。

 時空間を泳ぐのに必要なのは、時間の流れを読み、その流れをどうするか思考する事。しかし身体があると、それをどう動かして移動するか、無意識に考えてしまう。訓練により効率的には出来ても、肉体的な『特殊化』には程遠い。どれだけ過酷で苛烈な訓練をしても、人間の身体では魚よりも速く泳ぐ事が出来ないのと同じように。手足も胴体も捨てた事で、アダムはようやく時空生命体と同じ領域に至れたのだ。

 変化は他にもある。

 より意識出来るようになった事で、アダムは流れる『時間』を更にハッキリと認識出来るようになった。その流れに合わせて身体を動かしていると、邪魔な部分がぼろぼろと落ちていく。毛髪も大部分が抜け、残ったものは一体化するように溶け合って、幾つかの蛇のような束となる。

 そして自分の中に流れる『時間』さえも見えるようになると、身体の『時代』を変える事で姿形を変化させる事が出来た。過去も未来も見据えるため眼球の時代を目まぐるしく切り替える。また四次元物質のお陰で経年劣化を防いだにも拘らず身体がボロボロと崩れたのは、原子が確率的な崩壊を引き起こしていたため。これをなくすため、そもそも身体がを持つ事にした。存在しなければ劣化のしようもない。勿論全部が存在しないとそのまま消えてしまうので部分的に、さながらモザイク柄のように存在しない部位を切り替えていく。

 頭の大きさも、小さいと不利益がある。仲間達を襲う不気味な天敵に喰われる可能性が高まるからだ。大きくなる方法は、分かってしまえば簡単だった。大きさとて要するに座標なのだ。頭の時代を切り替える過程で、頭の前と後ろ、上と下で過去や未来に位置をずらせば良い。それで見た目の大きさを変えられる。

 この時空間に適した姿形へと変わった時、アダムは仲間と同じ姿になっていた。仲間達はアダムの姿が変わっても何時も通りに振る舞っていたが、アダムの方はとても嬉しかった。仲間達と同じ速さで飛び、仲間達と同じ世界を見て、危機に陥った仲間を助けられる。もう、ただ守られるだけの部外者ではない。

 無限の時の中で何時の間にか失っていた、生きている実感があった。

 もうその姿は到底人間とは言えないものだったが、しかしアダムは気にしなかった。気にしなければ過去の自分の姿は記憶の片隅に移り、人間などいないこの空間では思い出す事すらない。やがて記憶は失われ、アダムは自分が元々どんな姿だったかも忘れた。

 仲間達と共に時空を飛び回るようになった。それは無限にも思えるほど長い『時』を旅する行為。宇宙の生と死を幾度となく見て、飽きのこない多様性を感受する。偶に逆走して未来から過去に戻れば、漫画を最終巻から一巻に向けて読むような楽しみがあり、毎日が面白かった。

 やがてアダムは言葉を忘れた。此処にいる誰もが言葉を発しないから、単語一つのど忘れを無限に重ね、ついに全て忘れた。

 やがてアダムは自身の名前を忘れた。誰もアダムの名を呼ばなくて、アダムも頭の中で自分の名を呼ばない時代が続いた事で、そのまま忘れ去られた。

 やがてアダムは人間を忘れた。宇宙の歴史数百回分の過去に移動していた時、偶々人間に似た生き物が一度も現れなかったので、そのまま忘れてしまった。

 昔を忘れ、今を覚え、未来を楽しむ中でアダムの意識は変化した。変化した事すらアダムは忘れていたが、何時でも楽しかったのでなんら問題はなかった。そこそこの頻度で現れる天敵は恐ろしく、その天敵さえ喰らう巨大な化け物には絶望しかなく、仲間の死は胸が張り裂けそうなほど悲しかったが、宇宙と違って変化の起きない時空においては悪くない『刺激』だった。

 ……かくして何時までも続く時空の中をアダムは幸福に過ごしていた、そんな『ある日』の事である。

 何時ものように仲間と時空を飛び、何時か何処かの宇宙の歴史という景色を眺めていた時。景色と時空以外の『何か』を目にする。

 それは機械だった。

 機械の事はアダムも忘れていない。無限の時間の中で誕生した数多の宇宙において、機械文明が誕生した回数は数え切れないほど。形や理論は宇宙によって様々でも、機械自体は珍しいものではない。

 だが、この時空間にやってきた存在は初めて見た。

 遠目で見るに、丸い機械だった。数は一つだけ。遠いからか、群れの仲間達はその存在に気付いていないようである。そして群れは、機械があるのとは別方角に進んでいた。このままではあの機械と接触する事はないだろう。

 アダムは考えた。彼の記憶の中に、。かつて見た事があったかも知れないが、宇宙が幾億と生まれるほどの歳月を生きれば、忘れてしまう事も多い。

 それが、自分がこの空間に流れ着くのに使ったものと、よく似た形をしていたとしても――――自分がなんであったかもさえ忘れてしまった彼には、思い出す事など出来ない。

 思い出せば、気付いたかも知れない。

 今の自分は時空間を自由に泳ぎ回っている。その行く先は未来だけではない……タイムマシンのように、過去にだって行ける。そして自由気ままに動き回れば、自分が『今』何処にいるかなど分かりようもない。尚且つ、死ななければ何時かはあらゆる時間に辿り着く。

 例え、自分が初めて時空間を訪れた瞬間だとしても。

 彼はタイムマシンに興味を持つ。科学者兼発明家になるほどの好奇心という彼の本質は、人格が変わろうとも、記憶が失われようとも変わらない。

 そのタイムマシンがに向かえば、彼は自然と追い駆けるだろう。そしてそこに広がる様々な世界を思う存分見て回り、楽しみ、遊び尽くす。その過程で訪れた世界の『人間』が死んだとしても構わない。彼はもう、自分が人間だった事も覚えていないのだから。タイムマシンとその乗組員を『目印』にして、星のあらゆる場所を見て回る。

 無論、自らの行為が一人の科学者を奮起させるなど思いもしない。

 繰り返される時間の輪。それこそが繁殖能力を持たない自分達の『発生源』だという事も知らないまま、アダムだった生き物は単身で動き出す。

 自分達の『始まり』を、自ら作り出すために――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時を巡る獣 彼岸花 @Star_SIX_778

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ