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「……………ふぅー……」
まずはため息を一つ、挟む。
時空生命体の目印に自分が使われているのではないか。頭を過ぎった可能性に、アダムは息苦しさを覚えつつ、必死に思考を巡らせる。そんな馬鹿なと祈るように。
しかし否定する事が出来ない。
時空生命体が何時目印を付けたのかも分からないのだ。いや、そもそも目印が付けるものとは限らない。例えば自動車のライトのように、時空生命体にはタイムマシンや自分が光って見えている可能性もある。もしそうなら、今まで接触がなくても目印扱いになっているかも知れない。その場合、時空生命体をこの星から追い出すには、自分自身も含めて時空間に投棄しなければ意味がない。
まずタイムマシンを捨ててから、というのが妥当な行動だろう。いきなり自分の命を捨てるなど、いくら今回の事態に責任を感じているとしても常軌を逸している。しかしそれは『時間』が許さない。
今のところ時空生命体の被害は、局所的に宇宙空間が現れたり、恐竜が出現したりしている程度で済んでいる。これでも一体どれだけの人命が失われたか分からないが……しかし、例えばビッグバン直後の光が溢れ出したり、或いは人類種の天敵となるような未来生命体が現れたりしたなら、これこそ人類種の危機だ。そしてこれは、何時起きてもおかしくない。今この瞬間にも『手遅れ』になっている可能性も否定ある。
対してタイムマシンは材質が特別なもののため、一台作るのに最短でも数年は掛かる。つまりタイムマシンを投棄して、それで時空生命体が消えなかった場合、アダムを時空間に『投棄』出来るのは次のタイムマシンが出来上がる数年後の事。やってみて駄目でした、では手遅れになるかも知れない。
やるなら、タイムマシンと同時でなければならない。
しかし時空間に身投げしたらどうなる? 飢えて死ぬぐらいならまだマシだろう。時間が座標でしかない世界において、果たしてそこにいる存在の時間は経過するのか。もしも劣化も摩耗も寿命もないのであれば、宇宙の終わり以上という想像も出来ない長さの『時』を味わう事に――――
「……自業自得、か」
最悪を考えて、けれどもアダムは笑う。
時空生命体を放置する事は、地球人類全ての危機だ。たった一人の人間の命と、今と未来に生まれる人類の命。どちらが重いかなんて言うまでもない。
改めて覚悟を決めたアダムは、行動を起こす。
早速タイムマシンを起動、という訳にはいかない。タイムマシンの起動には莫大なエネルギーが必要であり、充電には少なからず時間が掛かる。
尤も、これは待てば良い話だ。よってアダムは他の事にも手を付ける。
例えば此度の事件の真相を、様々なフォーラムに投稿する事。ネット社会は便利なもので、政府機関にメールを出すのも、学会誌に論文を提出するのも、匿名掲示板に書き込むのも同じパソコンで出来てしまう。タイムマシンの図面と四次元物質の製法についても、素直に書き起こした。
注釈として、作ってはならない、という前置きを付け加えて。
タイムマシンを作れば、またあの時空生命体と接触する可能性があるからだ。可能性を潰すためにも製法は記録せず抹消すべきでは? という意見もあるだろう。しかしそれでは投降文の信憑性が皆無となる。証明出来なければネットの投稿など五分で忘れ去られるのがオチだ。
忘れられてしまったら、百年や二百年後にまたタイムマシンが作られるかも知れない。アダムは確かに天才発明家であるが、未来永劫人類史上最高の時空科学者とは限らない。加えて現代の人類文明は日進月歩。百年も経てば、テクノロジーは想像も付かないほどに発展している。百年も経てば、もしかするとタイムトラベルの実現性を誰も疑わないほど文明が発達するかも知れない。何時か、誰かが、タイムマシンをまた作り、再びあの時空生命体がこの時空に現れる可能性がある。
タイムマシンを作ったと示さねば、教訓とならない。タイムマシンは本当に作れるのだと、まずはそこから証明する必要があった。
他にも、両親や友人への手紙を書き残した。預金通帳やカードの類の場所も印し、解約出来るものもしておく。これらが出来てしまうぐらいには、タイムマシンの充電には時間が掛かるのだ。
その間に、時空生命体の存在が消えれば考えを改める事も出来たのだが……
……………
………
…
「被害は相変わらず、だな」
テレビを見ながら、アダムは独りごちる。
時空生命体による被害は今も拡大していた。
時空生命体が通った場所に現れる怪現象――――時代の乱れは世界各国に甚大な爪痕を残している。通り道に残る痕跡に接触した人間がミイラ化、または胎児化して市民が数人死亡するなどまだマシ。インドでは未知の生命体により都市が壊滅した、イギリスでは産業革命期の工場と人員が出現して大混乱。アフリカでは植民地時代の国家が現れ、周辺国と内戦状態に陥ったとか。急な酷暑や極寒により作物が枯れたという話もある。
これだけ被害が出れば、各国政府も時空生命体が原因だと認定する。そして対策として最も手っ取り早くて確実な、軍隊による攻撃も行われた。しかし効果は出ておらず、逆に軍隊が時間の乱れに飲まれ壊滅したらしい。
あまりに通常兵器が効かないので核兵器の使用も検討されているというが……アダムの予想が正しければ、これでもほぼ効果はないだろう。相手は四次元空間を生きる存在だ。どれだけ高威力であろうとも、核兵器は三次元の攻撃に過ぎない。人間で例えるなら、酷い日焼け(中まで通らず
「……やはり、やるしかないな」
元より、そのつもりで準備を進めてきた。テレビニュースの『後押し』を受けてアダムは立ち上がる。
タイムマシンの充電は完了した。何時でも動かせるその機械に乗り込み、起動ボタンを押す。
タイムマシンのシステムには改造を施してある。本来ならば時間移動……十秒過去へと向かう仕組みを停止し、ただ時空間へ移動するだけの機械とした。これでタイムマシンが勝手に過去へ向かい、三次元空間に戻る事はない。
即ち、このタイムマシンに搭乗して時空間に行けば、もう二度と三次元空間には戻れない。
「……………」
やはり止めておくべきか、という考えも過ぎる。しかし既に決めた決意は揺るがず。
アダムを乗せた一方通行のタイムマシンは、機械的な無慈悲さで稼働し、設定された通り時空間へと飛んだ。
周りの景色が白く染まり、そして青くなる。前回タイムマシンに乗った時と同じ景色であり、此処が時空間だとアダムは確信した。
「……ふぅ。来てしまえば、案外余裕があるものだな」
もう動かないタイムマシンの中で、アダムはちょっぴり戯けたように独りごちる。果たしてこれで世界は救われたのか、はたまた早とちりした結果自爆しただけなのか。こちらから確かめられないのも『暇』を助長する。
――――さて、これからどうしたものか。
タイムマシンの中にいても、もう何も起きない。此処は時間が座標でしかない領域なのだから。
タイムマシンの中にあるのは、改造の結果役立たずと成り果てた機械部品だけ。これをガチャガチャと弄って楽しむには、アダムは少しばかり歳を取り過ぎた。むしろやればやるだけ虚しさが込み上がりそうである。
この中にいても、無限に訪れるであろう暇は潰せそうにない。
ならばいっそ、生身で時空間を泳いでみるか。
「……後先考えないにも程がある」
あまりにも無謀な考えに、アダムは自嘲する。
だがそれもまた悪くないとも思えた。どの道自分はこれから無限に等しい時間を此処で過ごすのだ。百年後に発狂して飛び出すのも、百万年後にうっかり飛び出すのも、今自発的に出るのも、無限から見れば誤差でしかない。
アダムはタイムマシンの出入り口を、渾身の力で押す。なんらかの事故があった時に外へと出られるよう、この出入り口は手動で開閉出来るようにしておいたのだ。無論勝手に、或いはふとした拍子に開くといけないので、扉自体はとても重いのだが。ちょっと苦労はしたが、外への道が出来上がる。
無限に広がる時空間。
その雄大さをアダムはタイムマシンの中から眺める。怖くなるほどに透き通った世界は、だからこそ泳いでもみたい。あの先に行きたい。
自分でも驚くほどあっさりと、アダムはタイムマシンから飛び出した。
「おおっと……」
無重力染みた浮遊感で、身体がくるんと回る。手足をバタつかせても上手くコントロール出来ず、何回転もしてしまう。
しかし三半規管から生じる気持ち悪さは特にない。重力も何もないからこそ、多少ぐるぐる回転した程度では身体の中身は揺れ動かないという事か。
精神状態は快適明朗。
お陰で遠ざかっていくタイムマシンを、アダムはぼんやりと見つめる事が出来た。
いや、遠ざかる、というのは正確な表現ではないのかも知れない。此処は時空間。座標を示すものは単純な縦横奥の三方だけでなく、時間という軸も存在する。あれは遠ざかっているのではなく、過去や未来にあるだけとも考えられる。
尤も、もう二度と乗る気のない乗り物が何処に行こうと、どうでも良い事だろう。
「(さて。俺はこれからどうなるのか)」
時空間を漂いながら、アダムは思考を巡らせる。
こうして四次元空間の中で考えていられるのも、飲料として飲んだ四次元物質の影響だ。通常空間では劣化が進む四次元物質であるが、時空間でどうなるかは未知数だ。ましてやそれを飲んだ身体がどうなるかなんて、想像も付かない。時空生命体との遭遇がなければ、何時か実験する予定だった。
発表する事は出来ないが、その『実験』を我が身で行えるというのは、一科学者として少し興味がある。
勿論それが行えるのは、目の前に迫ってきた生物が、自分に何もしなければという前提あっての話だが。
「(! 来たか……)」
時空間を漂うアダムの前に、生物は何処からともなく現れ、肉薄する。
外観から判断する限り、その生物体は前回のタイムトラベル時に出会った個体だとアダムは思った。そして人間が暮らす三次元空間に現れ、多くの被害をもたらした不気味なシルエットの正体だとも。証拠はなく、調べる方法もないが……こうして現れたからには、やはり自分を目印にしていたのだと確信する。
モザイク掛かった不可思議な身体と、移り変わる視線が眼前に広がる。人間の頭部に酷似した姿は不気味と言えば不気味であるが、しかし達観して見てみれば、どうしてか気味の悪さが薄れた。
何故かと理由を考えて、アダムが至った答えは瞳に『理性』を感じるからというもの。姿形が循環している瞳はどのタイミングであろうとも知的だ。例え干からびていたとしても。獣のような本能は欠片も感じられない。
なんとも非論理的な理屈であるが、恐怖もまた感情だ。不気味に思えない理由が感情的なものだとしても、なんらおかしくないだろう。
そして恐怖がなければ、時空間の生命体への興味も湧いてくる。
アダムはじっと、生命体の目を見つめる。生命体もまたアダムを見つめ返す。襲ってくる素振りはなく、ただただ観察しているだけのよう。触ってくる事さえしてこないが、警戒しているようにも見えない。
何を考えているのか。何を探っているのか。
アダムが答えを得る前に、生命体はふと視線をアダムから逸らす。そのままくるりと身を翻し、何処かに去ってしまう。猛烈な速さで、あっという間に姿は見えなくなった。
「……なんだったんだ」
疑問は尽きない。自分を追い駆けた結果、世界を滅茶苦茶にした存在があまりにも呆気なく消えたがために。
しかし、大した意味などないかも知れないとアダムは思う。人間の子供がアリの巣を穿り返し、働きアリ達を踏み潰す事に大した理由などない。四次元という『上位空間』に潜む存在にとって、人間など虫けら同然だとしても不思議はないだろう。
「(ともあれ、地球への脅威は一応去ったと言えるか)」
こうして観察に来たのだから、自分を目印にしていたのは間違いない(と思いたい。そもそもあの個体が地球に現れたものと同一であるという保証もないのだが)。そして自分への興味を失ったのなら、もう人類がいる時空には恐らく行かないだろう。
これで人類文明は守られた筈だ。
……責任を果たしたアダムであるが、これからが長いと予感しながら。
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