アメリカ某所。多くの市民がウォーキングを楽しむ、広々とした公園にて。


「……何、あれ」


「なんだろー?」


「何かの展示かしら?」


 人々の注目を一身に受けるものがあった。

 黒いシルエットのような様相の、大きさ二メートル程度の物体……アダムが時空生命体と名付けた存在だ。今は休んでいるかのように、全くと言っていいほど動かない。

 無論、タイムマシンの存在は未だ世間に発表されていない。ましてや時空間の存在も、そこに生息する不気味な生命体の姿もアダム以外に知らない。もしも知っていれば、普通の人々は不気味なシルエットから離れようとしただろう。

 ましてや近付こうなんて、考える筈もなく。


「うは、これはバズるかも」


 今この瞬間に限れば、若い男がどんどん歩み寄りながらスマホで撮影をしても、それを愚かしいと言う事は出来ない。

 男に釣られるように、周りの人々も好奇心に従って歩み寄る。アートの類か、ちょっと傍迷惑な企業広告か。あちこちで憶測が飛び交い――――

 時空生命体のシルエットは動いた。

 音は一切鳴っていない。しかし突然の動きに、目の当たりにした誰もが身体を強張らせ動けなくなる。当然誰よりも近くで撮影していた若い男も例外ではなく、自分目掛けて飛んでくる時空生命体を躱せる筈もない。

 時空生命体のシルエットは若い男と激突した。

 いや、激突という表現は正しくないだろう。そのシルエットは本当に影か何かだったかのように、ぶつかった筈の若い男の身体をすり抜けてしまったのだから。そしてそのまま大空へと飛んでいってしまう。


「わぁっ!?」


「きゃっ!」


 人々が『異変』を認識して驚き、声を出したり転んだりした時には、もう時空生命体は何処かに去っていた。

 あれはなんだったのか、本当にアートの類だったのか、まさか立体映像なのか……友人や知人が傍にいる者達の話し声で辺りがざわつく。

 ただ一人、時空生命体が接触した若い男だけは黙っていた。


「おい、アンタ大丈夫か?」


 強面の、けれども人情味のありそうな中年男性が若者に声を掛ける。しかし若者からの返事はない。

 首を傾げながら、中年男性は彼の肩を叩く。

 すると若い男の身体は、ぐらりと揺れ……倒れてしまう。どうしたんだと呼び掛けながら、中年男性は倒れた若い男の身体を起こそうとした


「わ、わあああああっ!?」


 次の瞬間、中年男性の口から出たのは情けない悲鳴。

 周りの視線が中年男性、それと若い男に向けられる。そうなれば、あちこちから悲鳴が湧くのにさして時間は掛からなかった。

 誰もが叫んで当然だった。

 若い男の身体が、右半身が真夏に放置したかのように腐敗し、左半身は真冬に置いたかのように凍り付いていたのだから……






 日本国内で見られたのは、黒い軌跡だった。

 正体不明の軌跡は、螺旋を描くような不可思議な形をしている。それが住宅地にも公園にも、そして都市部にも現れていた。

 軌跡は別段、臭いだとか五月蝿いだとかの被害は出していないが、しかし怪しい物体がそこにあるというだけで人々の不安を煽る。触って良いものかどうかも分からず、道を塞ぐように現れたら通行も儘ならない。

 どうにかしなければならず、そしてそれは、ひとまず『掃除』という形で業者に任された。


「なんですかねー、これ」


「さぁな。誰かのイタズラか、自然現象かも分からねぇ」


 都内某所。大都市のとある公園に現れた黒い軌跡に対処するのは、若者二人。先輩と後輩の関係である彼等は、対象の不気味さもあってあまりやる気はない。しかしどんな結果になるとしても、与えられた仕事をせねば賃金はもらえない。資本主義社会に生きる彼等は、渋々ながら仕事である掃除をする事とした。

 とはいえこの黒い軌跡が物質なのか絵なのかも分からない。そこでまずは、モップで拭いてみようという事になった。至近距離で触れる雑巾よりかは安全だという判断もある。


「じゃ、お前そっちの奴吹いてくれ。なんかあったらすぐ離れろよ」


「へーい」


 先輩に言われ、後輩は指示された場所にある黒い軌跡をモップで擦ろうとする。

 モップが触れた瞬間、ざざっと、視界にノイズが入ったような気がした。


「?」


 違和感を覚えつつも、疲れ目とかだろうと思い、後輩はそのまま黒い軌跡をモップで拭こうとする。

 尤も、黒い軌跡はやはり軌跡でしかなく、物理的に触れる事は叶わない。スカスカとモップが空振りするだけ。


「駄目っすねー、触れないっす。どうします先輩」


 今後について相談しようと、後輩は顔を上げる。

 そこに先輩の姿はなかった。

 右を見ても左を見ても、何処にも先輩はいない。トイレにでも行ったのか? あり得ない。行くなら行くと、事前に言うのがあの人だと彼は知っている。無断でいなくなる筈がない。

 いや、そもそも。

 どうして自分は、鬱蒼と茂る森の中にいるのだろうか。


「じょ、冗談キツイっすねぇ……」


 冷や汗が出てくる。独りごちてみても、誰からも答えは得られない。

 確かに、掃除をしていたのは公園で、都会の中では自然豊かな場所である。しかし公園とは、言うまでもなく人が管理している区画だ。高さ云十メートルはありそうな巨木が立ち並んでいるような環境ではない。ましてや不衛生で粗雑な茂みがあちこちにあったり、喧しい虫があちこちを飛び回っていたりもしない。なのに今の此処には、そうした公園らしからぬものが全て揃っている。

 何が起きたのだろうか。困惑していたところ、ガサガサと近くの茂みが揺れる音が聞こえた。

 びくりと彼は震えたが、同時に安堵もした。きっと先輩に違いない。茂みから聞こえる音が大きくなるほどに、彼は無邪気な笑みを浮かべていく。

 やがて茂みから、体長四メートル近い生物が現れた。

 ……彼はあまり生き物に詳しくない。だからそれがなんという種なのかは分からない。しかし日本人男児として最低限の常識である、恐竜が六千六百万年前に絶滅したという知識は持ち合わせている。

 ならば今、目の前に現れた『肉食恐竜』はなんなのか。

 ティラノサウルスではなさそうな、けれども人間ぐらいぺろりと平らげてしまいそうなそいつは、一体なんなのか。


「じょ、冗談、キツい」


 彼なりの悪態を吐いたつもりでも、震えた声では命乞いにしか聞こえず。

 その命乞いにしても、腹を空かせた大型肉食動物に通じる訳もなくて。

 飛び掛かってきた猛獣の牙を防ぐ手立ては、彼の身には備わっていなかった。






 熱帯雨林に住むとある少数民族が、青空を見上げていた。

 空高くから、一直線に落ちてくる黒い影。大きさは二メートルぐらいで、渦を巻くように周りながらその民族が暮らす村目掛けて落ちてくる。通り道には黒い空間が広がり、ぐにゃぐにゃと歪みが伝播する。その異様な光景は少数民族達に危機感を与え、攻撃の決断を下すのに十分な光景だった。

 幸いにして速さはなかったため、村に暮らす者達は『準備』を行う事が出来た。


「女子供は逃げろ! 遠くへ!」


「早く早く!」


 村の女性や子供達は、村から逃された。行く当てはない。熱帯雨林には危険な動物や、噛まれたら死ぬ虫も少なくないため、迂闊に出歩けば命を落とす可能性もある。

 しかし訳の分からない物体が落ちてくる村と比べれば、まだ幾分安全だろうと思われた。


「くそっ! 当たってるかどうかも分からねぇ!」


 村に残っている大人の男達は、その不気味な黒いシルエットに向けて銃を撃つ。

 彼等は熱帯雨林に暮らす少数民族だが、文明圏との接触が皆無という訳ではない。『怪しい草』や密猟した動物を売り、得た金で狩りのための武器を買っていた。

 銃は骨董品も同然の安物だが、殺傷能力は十分にある。少なくとも森に暮らすジャガーを密猟する分には問題ない。

 だが黒いシルエットは、どれだけ銃弾を浴びても怯む事すらなかった。遥か上空に浮かぶ存在に小さな弾が当たったかどうかを目視で確認するのは困難だが、何本もある銃で乱射しているのだ。おまけに村の男達は多少なりと銃の扱いに慣れている。一発ぐらいは当たっていてもおかしくないのに。

 やがて黒いシルエットのような存在――――時空生命体は、村の中心に墜落する。音も何も出さないが、確かに村に落ちた。

 そしてその次の瞬間、村が消えた。

 文字通り、跡形もなく。何かが広がるような現象も起こる事なく、一瞬にして村とその周辺が消えたのだ。

 代わりに現れたのは点々と光の粒が無数にある、黒い空間。

 一体この空間はなんなのか? 外から見ても、答えは得られないだろう。だが、その空間の中にいた村人達は自らの身を以て知る事となる。

 そこが、宇宙空間であると。


「……………!?」


 宇宙空間に放り出された村人が口を開き、悲鳴を上げようとする。だが声は出てこない。そこに空気はないのだから。

 生身での宇宙旅行。しかし彼等がそれを楽しむ事が出来たのは、ほんの十秒間だけ。

 意識を失った彼等は、そのまま無限に広がる空間の藻屑となるのだった。







「……なん、だ、これは」


 再びアメリカ。アダムは自宅である研究室にて、テレビの前で唖然としていた。

 テレビでは今、臨時のニュースが報じられている。アメリカ国内で大勢の人が亡くなり、外国の大都市が機能不全に陥り、とある少数民族が滅び……伝えられる情報は、どれも大きな話題だ。

 問題は、それが昨日一日で起きた事。

 そしてどの現象でも付近で見られた謎の黒いシルエット、或いはその通り道らしき黒い軌跡の周りで起きた出来事である点だ。

 各国政府は情報収集に努めると発表しつつ、怪しいものには触らないようにと国民に伝えている。とはいえこんな曖昧な通達では被害を止める事など出来ない。自力で対処しようとした者達が、次々と被害に遭っているという。

 果たしてこの混乱は、何時になったら終息するのか。政府の対応が待たれる。

 ……テレビの報じ方はこんなものだった。全く以て甘い見通しと言わざるを得ない。何時になったら終わるのかというのは、この出来事が何時か人の手によりコントロール可能になるという認識に他ならない。

 ようやく十秒過去に戻れるようになった人類に、時空間を自在に動き回る生命体をどうして止められるというのか。


「くそっ! 考えが甘かったか……!」


 テレビの前で悔しさを滲ませるアダム。この目で被害の現場を見た訳ではないので、あくまでも報道からの推測になるが……自分と共にこの次元を訪れた、あの時空生命体の仕業だろう。部屋から移動する前にどうにか出来ていれば、この被害は防げたのに。

 しかし ― 決して弁明のつもりではないが ― こんな事をどうすれば想像出来たというのか。考えたところで予期出来る訳もない。

 何より今為すべきは過去の行いを悔やむ事ではなく、これからどうやって解決するかだ。解決出来るという保証はなくとも、やらねば被害が増えるばかりである。

 とはいえこの時点で問題は山積みなのだが。


「(本来なら公表して広く意見を求めるべきだろうが……悪い結果にしかならないだろう)」


 時空生命体がこの世界を訪れた原因は、アダムが作ったタイムマシンと遭遇した事だろう。あくまでも印象の話だが、時空生命体はアダムのタイムマシンを追ってきた。タイムマシンと共にこの三次元空間を訪れたと考えるのが妥当である。

 仮にこれを正直に、国やマスコミに話した場合どうなるか? 十中八九相手にもされない。タイムマシンというのは少なくとも現時点だと、フィクションの存在でしかないのだ。正直に全てを話したところで「はいはいアンタが電話すべきは病院だからね。忙しい時に邪魔しないでね」と言われるのがオチだ。

 仮に信じてもらえたとして……世界中にこれだけの混乱を起こした張本人となれば、世間から相当の恨みを向けられるだろう。恨まれるのは仕方ないとアダムは思うが、しかし彼等はアダムが対抗策研究に参加する事をどう受け取るだろうか?

 まず、反対される筈だ。或いは国家に対して甚大な被害をもたらしたとして、逮捕されるかも知れない。それだって仕方ないとアダムは思うし、裁判はするにしても罪自体は認めよう。

 しかしアダムが逮捕されて、それでどうやってこの問題を解決するのか。

 アダムの逮捕はなんら問題解決に寄与しない。むしろタイムマシン技術において、間違いなく世界で唯一の専門家であるアダムが監獄の中にいては、問題解決など夢のまた夢になってしまう。

 逮捕されなかった場合、感情通りにならなかった現実に反抗して、最悪アダムの殺害を試みる者が現れるかも知れない。そうなったら、もう本当にどうにもならなくなってしまう。自惚れでもなんでもなく、現時点でタイムマシンと時空間に最も詳しいのはアダムなのだ。対抗策の元となる知識を失い、人類はお手上げとなる。研究資料を見れば分かる筈? 研究や技術というのはそんな簡単なものではない。紙に書ききれない小さな情報、アダムがも山ほどあるのだ。

 世間に公表しても、どう転んでも状況は良くならない。


「俺が考えなければ……」


 自分だけで抱え込むのが最善と判断し、アダムは頭を抱えながら考え込む。

 まず、あの時空生命体がこの時代で暴れている目的は何か?

 これについては、考えるだけ無駄だ。同じ哺乳類である犬猫の気持ちすら、人間はろくに理解する事が出来ない。時空間に生息する謎生命体の思考など読める訳もなかった。生態などが分かれば多少の推論は出来そうだが、生憎本当に生き物なのかも怪しい存在である。知見すらもない。

 よって動機を探るのは不可能と判断した。それに、これはアダムの直感だが……深い理由はないと思われる。仮に世界征服だのなんだのであれば、政府機関や軍事施設を攻略する筈。そういったものが分からないとしても、人口密集地や都市部を攻撃した方が効率的である。

 ところが時空生命体の出現場所は、公園だったり都市部だったり熱帯雨林だったり。一貫性がなく、侵略的な観点で見ても効率的ではない。恐らくは適当に、ぶらぶらと移動しているだけなのだ。


「(それよりも考えるべきは、時空生命体の通った場所で起きた出来事だな)」


 テレビのみならずネットでも情報を集めてみれば、様々な現象が確認出来た。

 傍から見れば意味不明で共通点のない出来事だが、『時間』を念頭に置けば答えは見えてくる。恐らく時空生命体周辺とその通り道では、時間が狂っている。触れた者の遺体が腐敗と凍結をしていたのは、冬と夏の時期が混ざって見舞われた影響。町中に恐竜が現れたのは六千六百万年以上前の過去から連れてきたから。突如宇宙空間が現れたのは……遥か未来か過去、地球がない時代の空間が現れたのだろう。

 こうした時間の狂いは、時空生命体にとっては特別な能力ではないだろう。あくまでも余波、人間が走り回れば足下の石の『座標』が変わるのと同じ現象だと思われる。言い換えれば、時空生命体が動き回る限りこの恐ろしい現象は起き続ける筈だ。

 つまり、時空生命体を倒さない限り被害は止まらない――――


「(いや、倒す必要はないな)」


 そう思いそうになるも、冷静に考えると異なる案が浮かぶ。要はこの時空から奴がいなくなれば解决するのだ。『追い返す』または『誘導』出来ればそれで良い。

 人を殺した存在を野放しなんて、と正義感に燃える者は言うかも知れない。だがそもそも人の手に負えるかどうかも分からぬ存在に対し、戦いを挑むなど無謀にも等しい。正義人間が必ず勝つのはフィクションだけの話だ。安全確保や再発防止という意味では倒せるに越した事はないが、まずは確実に『お帰り』頂く方法を考えるべきだろう。それすら、出来るかどうか分からない訳だが。

 なんにせよ方針は決めた。次に考えるのは、時空生命体がどうしてこの時代に留まっているのか。時空生命体にとって時間もまた座標に過ぎず、本当に気紛れに移動しているなら、アダムが『観測』しているこの時代とは異なる時間に行ってしまう筈。わざわざ留まっている理由があると思われ……


「ん? 留まる?」


 考え始めに抱いた自分の言葉。アダムはそこに違和感を覚える。

 時空生命体は四次元空間時空を移動している。

 つまり奴にとって時間とは座標に過ぎない。だから時空生命体が動いた時、様々な時代が現れる訳だが……言い換えれば、時空生命体はわざわざこの時代に留まっている事になる。人間が適当に動けば、左右奥行き上下に多少なりと動いてしまうのと同じだ。数秒ぐらい過去や未来には行っているかも知れないが、人間の感覚では誤差の範疇に収まっているのだろう。

 しかしこれは妙である。

 例えば一年。人間から見れば、あっという間に過ぎると言いつつそれなりの長さの年月だが……振り返って宇宙誕生は百五十億年前。当たり前だが、一年というのは宇宙の歴史の僅か百五十億分の一の長さだ。

 これを地球の上という『三次元座標』で例えた場合、地球が一周四万キロと考えても僅か〇・〇二ミリ程度の幅でしかない。つまり一年間分の時空座標で留まるというのは、この〇・〇二ミリの幅から動かずに移動するようなものなのだ。

 そしてこれは宇宙の過去だけを考えた時の話。この宇宙の未来が何時まで続くかは諸説あるが、星の材料が尽きる時が一千兆年後と言われている。そこを宇宙の終わりと定義しても、これまで宇宙が歩んだ時間の六万倍以上の長さがあるのだ。時空移動であれば未来にも行けるのが道理。だとすれば、許される誤差の幅は〇・〇二ミリの六万分の一以下が正しい筈。

 である。いや、これでもかなり短く見積もっている。今の宇宙が誕生する前にも宇宙はあったかも知れないし、この宇宙が滅びた後次の宇宙が誕生するかも知れない。短命な宇宙もあれば、長命な宇宙もあるだろう。そもそも宇宙の存在とは関係なく、時空というのは延々と存在するかも知れない。

 だとすれば、一年という年月さえも『距離』としてはあまりに短いものとなる。人間が左右に移動した時、〇・〇二ミリも前後せずにいられるだろうか? 地形の起伏などで一ミリも上下しない事が出来るだろうか?

 不可能だと断じて言い。


「(なら、どうして時空生命体はこの時代に留まれる?)」


 時空における一センチ程度のズレが百億年単位なら、一度ズレたらもうアダム達人間が観測している『年』は見付けられまい。ところが時空生命体はこの時代に何時までもいる。地球という惑星のあちこちに姿を表し、気ままに暴れていく。

 時空間を生きる時空生命体にとって、無限に続く時間の中から数秒単位でピンポイントに移動する事は容易いという可能性はある。だが、『何故』容易いのか、という理由がある筈だ。

 そう、例えば。


「目印……」


 ハッとしたアダムは、自らが開発したタイムマシンの下へと駆け出す。

 一見して傷一つない装甲。注意深く観察しても、触ってみても、特段奇妙な点は見付からない。

 しかしアダムは確信していた。このタイムマシンに、何か『目印』を付けられたのだと。

 或いはタイムマシン自体を目印にしているかも知れない。目印があればあちこち動き回っても、後で位置を合わせるのが容易となる。逆に目印がなくなれば、正確に位置を合わせられず、何処かに行ってしまう筈。

 目印さえ破壊もしくは投棄してしまえば……希望的観測の混じった考えであるが、現状最も可能性の高い推測でもある。

 ただ、どれだけ探しても目印らしきものは見付からず。


「クソっ。人間では分からないものか……」


 目印と言っても、それが人間に分かる形とは限らない。何しろ時空間を行き交う存在なのだ。その目印が四次元的なものなら、三次元しか視認出来ない人間にはどうやっても分からない。

 これで何かを見付けられれば、やるべき事は簡単だった。その目印をタイムマシンから取り外し、時空間に投棄してしまえば良い。しかしどれが、何が目印か分からない以上、タイムマシンごと捨てなければ――――


「……いや」


 折角作り上げた世紀の大発明。その破棄を覚悟しようとしたアダムだったが、彼は気付いた。覚悟すべき、捨てるべきものはもう一つある。

 自分自身も、だと。

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