タイムトラベルが始まってしまい、アダムは猛烈な不安に見舞われた。これから一体どんな目に遭うのか、不安のあまり胸が締め付けられるような感覚まで覚える。

 だが、彼は聡明な発明家であり、すぐに冷静さを取り戻した。


「(落ち着け……冷静に考えろ。タイムマシンは帰ってきた。俺も無事だった。つまり何か恐ろしい出来事があったとしても、それ自体は乗り越えられる出来事だ)」


 少なくとも『未来』の自分は、生きてそれを成し遂げた。ならば『今』の自分にそれが出来ない筈はない。論理的な帰結である。

 無論、だからといって安堵は出来ない。

 SF系フィクションにおいて、タイムトラベルには様々な制約が付き纏う。未来は変えられない、或いはタイムパラドックスにより未来が消滅してしまう……

 現実のタイムトラベルには、そういった制約はない。例えばアダムが行った実験で、ネズミをタイムトラベルさせた事がある。小さなタイムマシンを十秒前に移動させ、今のネズミと未来のネズミを同居させた。そのまま放置すれば当然今のネズミはタイムマシンと共に過去へと戻るが、アダムがそれを邪魔した。今から過去に行こうとするタイムマシンの電源を落としたのだ。

 電源が落ちればタイムマシンは動かない。だが、『今』此処には未来から来たネズミがいる。当然タイムマシンが動かなければ、未来のネズミが過去に現れる事もない。これでは現象の整合性が取れない。

 正にタイムパラドックスだ。

 タイムパラドックスが起きた時に何が生じるのか、という点は古来より議論されている。決定した未来は変えられない(変えた結果が今である)、或いは変えようとすると失敗する、未来の存在がなかった事となる……意見は様々だった。

 結論を述べると、時空は存外自由だった。タイムマシンの電源を落としても、未来からやってきたネズミは消えず、タイムマシンが強引に作動する事もなかった。二匹のネズミは仲良く『今』存在し、触れ合っても特段問題は起きていない。

 つまり未来というのは、極めて簡単に変わってしまうのだ。絶望を変えられるという意味では期待出来るが……「未来の自分は生きていたから安心だ」といって気を抜けば、あっさり死んで、未来の自分だけが生き残る事になりかねない。

 何かあったなら、死ぬつもりで挑まねばならないだろう。


「(……いや、単純に腹を下して死にそうだった、という可能性もあるのか)」


 そう考えたのも束の間、アダムは暢気な可能性も考慮する。しかしこれもあり得ない事でもない。

 何故なら、時間旅行にどれだけの『時間』が掛かるかは分からないからだ。

 十秒過去に行くのだから十秒……と言いたいところだが、時間軸の移動が現実の時間経過と同じとは限らない。時計をタイムトラベルさせて実験した事もあるが、時計の針が逆向きに進んだだけ。おまけにやる度に進む時間に差があり、時には何時間も戻っていた事もある。法則性がなく、一体どれだけの時間が掛かるか全く不明なのが実情だ。時空間移動エネルギーを生むのに莫大なエネルギーが必要な事からも、人間の感覚だと極めて『長時間』の待ちを強いられる可能性はなくもない。

 そういえば実験に興奮し過ぎて、タイムトラベル前にトイレへ行くのを忘れていたな……とも思う訳で。


「……まぁ、それで済めば良いだろう」


 真剣に考え過ぎず、リラックスもし過ぎず。アダムは気持ちを切り替える。

 危険についてばかり考えてもいられない。今回は人類史上初の時間旅行。新たな知見を得て、次に活かすのもまた大事な事だ。なんらかの問題が起きるなら尚更である。

 アダムは窓から、外の様子を眺める事にした。

 時間軸を移動する時の景色は、青々としたものだった。ただし空の青さとは違う、ややメタリックな(光沢などがある訳ではないのだが)印象を受けるもの。何処ぞのアニメよろしく時計のマークが飛んでいく事はなく、流れなども見えない。強いて言うなら遠くを見ようとすると、青の濃さが増す……ような気がするぐらいか。


「(そもそも時間を移動する過程で、光などの情報はどう処理されているんだろうか。これも今後の研究課題だな)」


 自分の感じた事、見た事を忘れないようメモしていく。アダムはアナログな道具を好む人間で、鉛筆と紙をこの時代になっても使っていた。尤も、仮に電子端末を使った場合、時間を移動する世界で撮った写真がちゃんとしたものとは限らないが。こういう時はアナログの方が強いのだ。

 思い付く事を徹底的に書いていくが、しかしただ青い景色が広がるだけの空間。書く事はすぐになくなってしまい、アダムは席に座って一息吐く。


「……感覚的には、五分ぐらい経ったか」


 未だ、タイムトラベルが終わる様子はない。

 人類初のタイムトラベルにはしゃいだものの、『何もない』時間が数分と経つと、流石に冷静になってきた。というより退屈を感じ始める。傍に助手でもいればわいわいとジョークを言い合えただろうが、生憎今はアダム一人しかいない。

 何も知らなければ存分に気を抜いてだらだらとするところだが、やはりタイムトラベルを終えた後の自分が見せた表情が気に掛かる。あまり気を張りすぎても良くないとはアダム自身も思うが、それでも考えてしまうのが人間というものだ。

 代わり映えしない青い景色を、ぼんやりと眺めるばかり。ぼぅっと、延々と眺め続けて……更に数分が経った頃。

 青い景色に、黒い点のようなものが見えた。


「んぁ? 出口か?」


 あまりにも変化がなくて、危うく寝るところだった。命が危険かも、という意識がすぽりと抜けてしまうぐらい、人間は刺激がないと暢気になってしまうものである。

 目を擦りながら、アダムは黒い点を見遣る。とはいえ新しい何かを期待した訳ではなく、口に出したように(そんなものがあるのかは分からないが)時間旅行の出口だと思っていた。結局危険は訪れなかったが、しかしもしかするとそれは未来が変わった結果かも知れない。あの時見せた恐怖の顔により、今の自分の行動が変化したのなら十分あり得る事なのだから――――

 楽観的な考えが頭の中を満たしていた。されど黒いものを見ているうちに、その考えはどんどん萎んでいく。

 嫌な予感がする。見てはいけない気がする。

 けれども気付いてしまったそれから、アダムは目を離せない。だからある程度それと『接近』した時、アダムは正体を理解してしまう。

 黒い点のように見えていたのは、一体の『獣』だった。


「(な、んだあれは……!?)」


 アダムは言葉を失った。喉が詰まり、声が出なかった。

 アダムは本能的にそれを獣と称したが、実態は巨大な『頭』である。裂けるほどに大きな口を持ち、目と鼻がある。かなり人間に似た顔付きをしていた。

 見方を変えれば、その存在には頭しかない。体毛らしきものが頭の上部にあるものの、幾つかの束となり、ゆらゆらと揺れる様はまるで伝説の怪物メドゥーサ。首の断面らしき場所からは、血管を思わせるどす黒く生々しい触手が何本も生えていた。触手は蠢き、泳ぐように波打つ。

 顔は真っ黒であるが、それは日焼けや黒人のような色合いではない。例えるなら炎天下に何日も放置された死骸のような、腐敗を髣髴とさせる黒さだ。輪郭は靄のように霞んで見える。時折モザイクのような紋様が顔全体に走り、モザイクが消えた直後は青や白の色が映り込む。口を開閉させているのが動きから分かるも、その口は顔の半分以上まで裂けていて、今にも下顎が落ちそうだ。

 いや、厳密に言うと顎はしょっちゅう

 だが気付けば顎は元に戻っている。そしてまた落ちて、だけどやはり元に戻る。落ちている瞬間を見ている筈なのに、何故か顎は残り続けているのだ。

 顔には目があるが、これもまた変化をし続けている。青く澄んだ瞳が、ぐじゅぐじゅに腐り、最後は干からび、なのにまた青い瞳が生えてくる。動画をループさせているような、奇怪な『変化』を延々と続けていた。

 明らかに異様な存在だ。いや、異様なのは姿形の問題だけではない。


「(な、何故この空間に生物がいるんだ!?)」


 アダムがいる此処は、タイムマシンにより移動した時空間。四次元に干渉するための物質に、莫大なエネルギーを蓄積してようやく訪れる事が出来る領域である。

 そんな場所に、どうして生物体がいるのか。


「(お、落ち着け。まずは冷静に考えろ……例えば、そう、あれはそもそも生物なのかという点だ)」


 あまりの異様さへの混乱と興奮からか動悸が激しくなる自分の胸を抑えながら、アダムは思考を巡らせる。

 一番に思い付いたのは、あれが『異星文明』のタイムマシンである事。

 宇宙は広い。地球外文明の一つや二つあったとしても、なんら不思議はないだろう。そして彼等が人間よりも先に文明を発達させていたなら、人類よりも早くタイムマシンを完成させていたとしてもなんらおかしくない。そしてその外見が、人間に理解出来るものとは限らない。

 生々しい生物的外見のタイムマシンなどあり得るのか、とも思うが、それこそ人間の常識であり想像力の限界だ。例えば石斧で戦う原始人に隣国を破壊する兵器核弾頭がどんな形をしているのかと問うたところで、正しい答えをイメージ出来る筈もない。テクノロジーの差はイメージの差でもあり、地球人の『貧相』なイメージで先進文明の姿を思い描くなど土台無理な話なのだ――――

 等とある程度納得のいく答えを得たところで、件の存在の目がぎょろりとアダムの方を向く。

 ただそれだけで、アダムは今まで自信を持っていた『地球外文明タイムマシン説』を捨て去ってしまった。


「(違う! あれは、あれはタイムマシンなんかじゃない!)」


 否定する論理的根拠はない。だが本能的に、あれが文明によるものだとは思えなくなった。

 だとすれば、野生動物の類だろうか。

 まさか、と思った。されどどうしてそれを否定出来ると言うのか。やはり原始人に深海魚の正しい姿形を描かせるのは無理であるし、水圧の中に生き物がいるとは思うまい。目に見えない大きさの生物も、化石でしか残っていない恐竜も、原始人には想像すら出来ない。

 つまり今の人間がイメージする生物の姿や生息可能範囲というのもまた、所詮は知識により思い描ける範囲のものでしかないのだ。タイムマシンという新たな概念が生命の『範囲』を広げる事があったとしても、これもまたあり得ない話ではないのである。

 そう、あり得ない話ではない。だから此処に生命がいる事は、もう大した問題ではない。

 問題なのは、その謎の生命体の視線がこちらを向いている事だ。


「まさかとは思うが……餌だって、思われてないよな?」


 希望を込めた独り言。果たして謎の生命体にその祈りは届いたのか。

 ぐりんと身体を、謎の生命体はアダムの方を向き――――そして進んできた!


「糞っ! なんでこっちに来るんだ!?」


 悪態を吐いたところで生命体らしき存在(ひとまず時空生命体と名付けよう)の動きは変わらない。止まる事もしない。

 時空生命体の動きは奇怪だ。右へ左へ上へ下へ……時には後ろに下がる事もある。相手をおちょくるような動きにも見えるが、此処は時空間だ。あの動きこそが『最短距離』という可能性もある。実際、時空生命体は着実にアダムの乗るタイムマシンとの距離を詰めてきていた。

 対してアダムが操縦するタイムマシンは、どの程度の機動力があるのか?

 。この機械は時空間での高機動戦闘なんて想定していないのだ。溜め込んだエネルギーを使い、ほんの十秒前の世界へと渡るだけの乗り物。右左へ動くためのジェットエンジンなんて、備えてもいなかった。


「(考えろ考えろ! 何が出来る!?)」


 アダムは思考を全開で巡らせ、打開策を考える。

 しかし浮かばない。武器も移動手段もない金属の塊が、一体何をどうすれば迫りくる怪物から逃げられるのか。

 全力を尽くそうにも手立てがない。

 故に――――アダムの身を守ったのは、彼自身の幸運だった。


「うおっ!?」


 突如、タイムマシンが揺れた。時空生命体が攻撃してきたか、とも思ったが、未だかの化け物はタイムマシンに密着していない。

 ならば何が起きたのか? 混乱により思考が停止していたアダムは、『景色』の変化で状況を理解する。

 周りに、白い光の筋のようなものが無数に見え始めたのだ。

 更にタイムマシン内の計器が、ピーピーと音を鳴らす。なんの音かと考えて、それがエネルギー残量の少なさを知らせるものだと思い出す。

 エネルギーが残り少ないという事は、そろそろ時間移動の『限界』が来る事を意味する。

 間もなくこのタイムマシンは通常の三次元空間に戻るのだ。


「(やった! これなら、逃げ切れる!)」


 時空生命体の正体は不明だが、仮にこの時空間に適応した生物であれば、この空間の外には出られない可能性が高い。アダムは自らが開発した物質により時空間に適応したが、対してこの生物は生粋の四次元存在の筈だからだ。三次元存在である人間を無理矢理二次元のイラストに押し込めばどうなるか? というのと同じ事が起きるに違いない。

 言うまでもなく、アダムはあの生物を三次元に連れてくるつもりはない。次元の移り変わりを感じ取れば、自然と時空生命体は生命の危機を感じ取るだろう。Uターンして帰っていく筈だ。

 青一色だった周りの景色が、白く光り輝いたものへと変わる。アダムはボタン一つ押す事もないまま、タイムマシンと共に三次元空間へいよいよ戻ろうとしていた。


「はああああ……寿命が縮んだ思いだ……」


 大きな悪態を吐きながら、アダムはにこりと微笑む。危機を乗り越えた事に安堵しながら、タイムマシンの窓からおもむろに外を見遣った。

 そこには頭だけで空を飛び、モザイクを纏い、目や顎の外観が映像のように切り替わる怪物が、じぃっとアダムを見つめていた。

 ……アダムは、意識が止まった。ひょっとすると心臓も止まっていたかも知れない。この光景は夢なのではないかと、現実逃避的思考も過ぎる。

 だがタイムマシンの窓から、その生物の姿が消える事はない。

 時空生命体は、今から三次元空間に戻ろうとしているタイムマシンの横をぴったりと追ってきていたのだ。


「(な、なんだと!? 何故来る!?)」


 時空間から三次元空間へと移るのは、人間をぺらぺらのイラストにしてしまうのと同じ事の筈。テクノロジーの力で問題を解決しなければ命を脅かす行為に他ならない。

 なのに何故時空生命体はタイムマシンと共に三次元空間へと向かっているのか?

 自分が何処に行こうとしているのか分かっていないのか。それとも安全な時空間で進化してきた事で危機に対する感受性が失われたのか。様々な理論が頭を過ぎるも、『最悪』の可能性こそが最も現実的であると気付く。

 平気なのだ。

 マッコウクジラが深海数千メートルから浮上しても難なく耐えられるように、時空生命体は四次元空間から三次元空間への移動に平然と耐えられるのだ。

 だとするとこの怪物が、


「(不味い! これは、これは本当に駄目だ!)」


 相手は未知の存在。人間のいる空間に現れた時、何が起きるか分かったものではない。敵意の有無も不明だが、そんな事はどうだって良い。敵意があっては遅いのだ。

 故にどうにかしなければと思うも、タイムマシンに危険を排除するような機能はなく。

 次の瞬間、アダムを乗せた宇宙船は見知った光景――――自分の研究室に辿り着いていた。

 そして目の前には、今正に時間旅行に行こうとするタイムマシンと、自分の姿がある。


「い、いかん! 止めなければ!」


 アダムは動き出す。タイムマシンを止めれば、今し方のタイムトラベルはなかった事になる。それで『今』がどう変わるか、何が変わらないのかは分からないが、やれる事はやらねばならない。

 このまま行かせてしまったら、あのおぞましい怪物が自分に興味を持つという『未来』が確定してしまう。

 未来は変えられる。それを知っているアダムは全力でタイムマシンの外へと出た。今から時間旅行に行こうとする自分自身を引き留めようとする。

 そう、未来は変えられる。

 ――――必ずしも、出来るとは限らないが。

 ネズミが乗るタイムマシンの電源を落とす時とは訳が違う。アダムが乗ってきたタイムマシンはもっと大型で、起動シーケンスは複雑かつ大規模。ボタン一つで止まるものではない。タイムマシンから降りるだけで、何秒も費やさなければならない。ましてや降りた後、何が起きたか伝えるなんて土台無理な話。

 アダムの目の前で、アダムを乗せたタイムマシンは過去へと飛んでしまう。

 間に合わなかった。変えられなかった『未来』であるが、されど絶望する暇はない。

 次いで自分の研究室に、黒い巨影が現れたのだから。

 一体何時の間に現れたのか。

 物音一つ立てず、黒い巨影は研究室内にいた。アダムはぎょっと目を見開き、驚きのあまり尻餅を撞く。大きな物音を立ててしまったが、その巨影はぴくりと震えるような動きすらもせず、ただいるだけ。

 お陰で、というのも難だが、アダムは影を観察する事が出来た。

 大きさは直径二メートル程度だろうか。凹凸や色のグラデーションはなく、まるでシルエットを見ているかのようだ。なんとなくだが人間の頭と似ているような……

 ここでアダムは気付く。この不気味な巨影は、自分が時空間で出会ったあの時空生命体に酷似していると。シルエットからの印象という曖昧な根拠だが、本能的には確信している。何故シルエットのような見た目なのかは分からないが、『高次元』の存在を三次元で無理矢理見ようとした結果だろうか。


「(う、動いては、いない。このまま、元の世界に帰ってくれないか……?)」


 シルエットのようであるがために、アダムは自分が時空生命体に見付かっているのか分からない。見られていない、気付かれていないと信じて息を潜める。

 果たしてアダムの思った通り、時空生命体は彼の存在に気付かなかったのか。

 唐突に動き出すや、時空生命体は黒い『軌跡』を残して真上に飛び上がった。

 猛烈な速さで、目で追うのがやっと。しかしそれほど速いにも拘らず風などは生じさせず、音もこれといって聞こえてこない。更には行く手を遮っている筈の天井さえも、まるで何もないかのようにすり抜けていく。

 あっという間に時空生命体はいなくなり、アダムは安堵の息を吐く。ひとまず難は逃れた――――


「いや、終わってない! アイツが外に逃げたじゃないか!」


 危うく安心してしまうところだったが、寸でのところで我に返る。

 時空生命体、とアダムが名付けたそれがどんな存在なのか、誰にも分からない。

 そもそも本当に生命体なのか。目的があるのか。どんな力を持っているのか……全てが謎のままだ。今し方逃げたとも評したが、相手にそんなつもりがあるのかも不明である。

 何もかもが謎に包まれた存在が何処かに行って、安心なんて出来る訳がない。


「(お、落ち着け……冷静になれ……!)」


 不安に陥る心を自覚したアダムは、深呼吸を挟む。

 冷静に考えてみよう。

 時空生命体は実におぞましい姿をしていた。しかしそれはあくまで人間、より厳密に言えばアダムの印象である。

 人間は自分の印象を真理と思いがちだが、現実は全くの別物だ。可愛らしいパンダは人を平然と殺せる猛獣であり、気味の悪いゴキブリは森林生体系で重要な役割を果たす益虫であるように。あの時空生命体は正気を揺るがすほどにおぞましい姿をしていたが、だからといって人間にとって有害だとか、悪意があるとは限らない。

 普段はやってくる事もない三次元空間で、暢気に観光でもしているだけではないか。

 楽観的な、されど全くあり得ないとは言い切れない……何しろ全てが謎だ。どんなに『ご都合主義』な考えも、決してあり得ないとは言えない……可能性に縋り、アダムは一度落ち着きを取り戻す。極度に楽観するのは厳禁だとしても、慌てふためく必要がないのは確かだ。


「(一日……そう、一日待とう。それで何もなければ……気にしなくても良い、筈だ)」


 言い聞かせるように、願うように、アダムは心の中で自分の行動を決める。大きく息を吐き、項垂れながら。

 ――――それが儚い願いだと、心の何処かで思いながら。

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