時を巡る獣

彼岸花

 大きな球形をした機械が、アダム・エドワーズの目の前に置かれている。

 機械の直径は約五メートル。正面には三メートルほどのガラス窓があり、内部の様子が丸見えだ。機械の中には人一人分の座席があり、大きなレバーや、気圧計のような機器が幾つも付けられていた。

 機械の装甲はつるつるとした銀色のもの。ライトやらなんやらと言った装飾は全くなく、無駄のないシンプルな構造をしている。

 この巨大な球体機械は大きな台座の上に置かれている。台座には巨大な電線ケーブルやパイプが何本も繋がれており、電気や物質を送り込める作りとなっている。隣には同じく大量のパイプや配線で繋がれた、けれども上には何も置かれていない同型の台座があった。

 異様な外観の機械であるが、しかしアダムにとっては慣れ親しんだものだ。何故ならこの機械は、今年こと西暦二〇八四年に五十を迎える彼が、比喩でなく半生を費やして作り上げたものだから。床いっぱいに散らばるボロボロの工具や図面が、彼の長い努力を物語る。

 そしてアダムがその慣れ親しんだものを前に涙を零しているのは、ついに機械が完成を迎えたからである。


「ついに、ついに出来たぞ……タイムマシンが!」


 アダムは喜びのあまり、握り拳を作りながら声に出した。

 タイムマシン。

 それは古来より、『あの頃』に戻りたかった人類が追い求めていた夢。されど時とは何か、という根本的問題を解決出来ていない人類には、到底叶えられない妄想だったもの。

 アダムはその夢を完成させたのだ。

 無論、「これはタイムマシンです」と言いながら喜ぶ事は、ただの詐欺師や精神異常者にも出来る。偽物のタイムマシンを前に演技でもすれば良いし、難なら妄想を拗らせて気狂いになっても良い。されどアダムはそのどちらでもない。彼は正真正銘のタイムマシンを作り上げた。小規模ながら実験を繰り返し、『実証』もしている。

 ただし今までの実験で証明したのは、小物や小動物まで。今回作り上げたタイムマシンは、アダムが求めていたのタイムマシンだ。


「ああ、長かった……パパとママの子供じゃなかったら、これを完成させる事は出来なかっただろうな」


 五十にもなりながら、親をパパママ呼びするアダム。彼は未だ、親の『脛』を齧っている、世間的にはボンボンと呼ばれる類の人間だった。

 おまけにアダムの両親は、世界的に有名な大富豪であり、五十の息子を未だ溺愛する、比較的『駄目』な類の両親である。息子がタイムマシンを作ると言っても、何一つ嫌な顔をせず望むがまま資金援助をするぐらいには。

 とはいえその溺愛方針は、アダムに関しては正しかった。彼は物理学において世界でも有数の素養を持ち、時空に関しては世界に名を残すレベルの論文を幾つも書き上げた、科学者や発明家としては正真正銘の天才なのである。事実タイムマシンを作り上げたのだから、結果的にではあるが両親の資金援助は正に世界を変える投資と言えよう。

 ……ちなみに彼がタイムマシンを作り上げた理由は、恐竜に会いたかったから。なんとかと天才は紙一重なのだ。


「さて、最初の実験をしないとな」


 人間用タイムマシンは出来上がった。しかしそれが正しく動くかは、実際に動かしてみなければ分からない。まだこのタイムマシンは一度も過去に行った事がないのだ。何かの部品が欠けていて動かないかも知れないし、燃料漏れで爆発する可能性もゼロではない。世間に発表するのは、正式稼働をしっかり確認してからである。

 そしてこのタイムマシンに乗るのは、アダム自身。

 助手や警備員などを、実験の手伝いをしてくれる者はこの家にはいない。アダムの独特かつ高度な理論を理解出来る者は稀であり、いたところで五月蝿くて邪魔だからと自宅(という名の研究所)にはアダムしかいないからである。だから今すぐ実験するには、アダム自身が実験台となるしかない。

 動物実験で発表しても良いではないか、という意見もあるだろう。難なら無機物でも。しかしそれは学会が受け付けない。「時間移動は無理だ」と頑なに(しかし極めて科学的な意見でもある)主張する学会は、アダムがこれまで出してきたタイムトラベルに関する論文や発明を一蹴してきた。『真実』を突き付けるには、自らの頭で事実を認識し、語る事が出来る人間の時間移動者が必要なのである。そして『いちゃもん』を付けてきたら、タイムマシンに反論者を押し込めば良い。

 何より、世界初の時間移動という名誉を、何故第三者に渡さねばならないのか。

 アダムは実益や危険性、周りからの誤解や蔑みよりも、ロマンを重んじる人間なのだ。勿論数多の実験により安全性は確かめた上での『ワガママ』であるが。


「エネルギーも十分に溜まった。不具合がないかの点検もやった……良し、やれるぞ」


 パチンと両頬を自らの手で叩き、気合いを注入。ふんっと荒々しく鼻息を吐いて気持ちも切り替える。

 世界初のタイムトラベラーとなるため、アダムはタイムマシンへと乗り込む。

 タイムマシンの入口は機体正面の、大きなガラスの窓がある方。ガラスと称しているが、厳密にはガラスを更に加工して作り上げた特別な物質だ。

 特別性なのはガラスだけではない。機体の装甲に使われているのは、恐らく世界でもこの機械の装甲でしか用いられていない特殊な金属だ。機体内部にある座席も特殊な物質であるし、中のレバーやグリップ部分もこのタイムマシンのために作られた特別な素材で出来ている。

 何故特別な素材ばかり使われているのか? それはタイムマシンが時空を超える機械だからだ。

 そもそも何故普通の物質は時間移動が出来ないのか。それは時間というものが『座標』であり、尚且つ刻々と移り変わるものだからである。通常の座標移動、つまり人間が歩いたり物を動かしたりするには運動エネルギーがあれば良いが、時空を動かすには特別なエネルギーを使わなければならない。このエネルギーを時空間移動エネルギーとアダムは名付けている。直球なネーミングだが、こういうのは聞いてすぐに理解出来るものの方が後々良いのだ。

 さて、この時空間移動エネルギーを滞留させるためには、物質の構造を『四次元化』する必要がある。言い換えれば人間が普段触れている、人間自身を含めた物質は三次元体であるため、時空間移動エネルギーを溜めておく事が出来ない。よって人間がジャンプしても過去には移動しないし、寝返りを打っても未来には飛ばないのである。

 アダムの発明は、厳密にはこの四次元化した物質……四次元物質の量産化だ。量産といっても大規模な製造プラントを何時間も稼働させて、僅か数百グラムしか得られない希少な一品だが……しかしそれでも四次元物質を安定的に、『大量』に作り出す事が出来た。

 そしてタイムマシンはこの四次元物質で作られている。これによりタイムマシンに時空間移動エネルギーを蓄積出来、そのエネルギーを使って過去や未来に飛べるという訳だ。

 尤も、今の段階では様々な問題も山積みである。


「しかし、一ヶ月の充電を経て飛べる時間が十秒ではなぁ」


 一番の課題は、時間移動の『距離』が極めて短い事。そして二番目の問題は、その十秒の時間移動に莫大な電力が必要な点だ。

 移動出来る時間が短いのは、単純に蓄積出来るエネルギー量が少ないから。物を長距離動かすには、たくさんのエネルギーが必要になる。これは時間移動でも変わらない。しかしアダムが開発した四次元構造では、あまりたくさんのエネルギーを溜め込む事が出来なかった。満タンまで溜め込んでも十秒過去に戻るのが限界である。

 そして時空間移動エネルギーの生成に莫大な電力が必要な理由は、このエネルギーの生成が今の人類の技術力では極めて困難なため。

 どんなエネルギーも変換する過程で熱に変わるものだ。例えば電化製品が動かしているうちに熱くなるのは、電気エネルギーが運動エネルギーに変わる過程で一部が熱へと変わるため。金槌で釘を打てば釘が熱くなり、バネが伸び縮みしても熱は生まれる。そして熱となった分、元のエネルギーの総量は減ってしまう。エネルギー保存則により、総量は変化しないからだ。

 時空間移動エネルギーへの変換は、これら通常の物理現象と比べて極めて非効率だ。電力を用いても、その殆どは変換過程で熱になってしまう。おまけに量が必要だからと流す電気量が多いから、排熱もとんでもない量となる。放置すれば金属を溶かすほどに熱くなるため、排熱のためのエネルギーも必要という有り様。ちなみに電気はただ電線に流すだけでも熱になるので、これも放置すると室内が灼熱地獄と化す。エアコンをガンガン効かせて冷却しなければならない。

 問題はまだある。時間移動後の『出現場所』が限定される点も、今後改良したい問題の一つだ。


「……出口用の設置台の整備も忘れずやっている。不足はないな」


 今回アダムが作ったタイムマシンの場合、タイムマシンが置かれているのとは別の台座だ。それ以外の場所に『移動』は出来ない。

 厳密には出来なくもない。しかしこれを設定しなかった場合、とんでもない場所に出てしまう。タイムマシンで移動するのはあくまでも時空間だけであり、座標は移動していないからだ。

 座標が変わらないなら同じ場所に出るだけではないか? そう思った者に待つのは、見知らぬ世界への冒険だ。地球は決して宇宙の中心などではない。地球は太陽の周りを秒速三十キロで周回し、太陽系は秒速三百キロの速さで動いているのだ。銀河系に至っては秒速六百キロで宇宙をゆらゆらと進む。

 全てが同じ方向に進んでいる訳ではないので、単純な合算は出来ないが……十秒も経てば、その『場所』は遥か何千キロも彼方に移動しているだろう。それが水平方向なら太平洋のど真ん中に落ちるだけで済むかも知れないが、上なら宇宙空間に放り出されるし、下なら煮え滾るマグマに突入だ。幸運にも水平方向の移動で済んだとしても、もしかするとそこはペンタゴンの壁の中かも知れない。

 そして万が一、時間移動後に物体と重なった場合、その物体と。昔のゲームにあった「石の中にいる!」よりも悲惨な、全身に石が混ざり込んで脳も内臓もぐちゃぐちゃに磨り潰された状態と化すのだ。気体分子ぐらい『スカスカ』でも血中に空気が混ざるという危険な状態に陥るので、タイムトラベル前に専用の薬(血液中に入った気泡を溶かす成分を含むもの)を飲んでおかねばならない。

 なんとも重大な問題が山積みであるが、しかしこのタイムマシンはアダムが開発したばかりの『試作品』だ。これが世間に公表され、理論が世界中に展開されれば、今まで「タイムマシンなんて無理だ」と考えていた様々な科学者が研究に参加するだろう。参加者が増えればイノベーションも増え、新たな技術や理論が次々と発表されていく。また研究には資金が必要であるが、実現不可能と思われていた時に金を出さなかった金持ち達も、今後発展の可能性がある技術となれば喜んでスポンサーとなる筈だ。恐らく、金融業界なんかは特に。

 思惑は様々だとしても、今後タイムマシン開発は活発になる。時間移動距離や充電効率は、アダムが一人でやっていた時と比べ劇的に進む事だろう。そして人類は、いずれ時間さえも制御するのだ。

 無論、そのためには最初の人体時間移動実験を成功させねばならないが。


「まぁ、良い。後はこれを飲めば……んっ、準備完了だ」


 アダムは傍の机に置いておいた、一本のドリンクを飲み干す。

 これは二種の物質を混ぜたもの。一つは血中の気泡を溶かす成分。そしてもう一つは、四次元物質を液体化させたものだ。生物体であろうとも、時間移動をするには四次元構造を持たねばならないし、時空間移動エネルギーが必要だ。ドリンクとして摂取し、血中に溶け込ませる事で、ようやく人間もタイムトラベルが行える。

 ちなみにこの四次元物質液は、そこそこ発がん性がある。そこそこであり、酒もタバコもしていなければ「老後は気を付けましょう」程度だが、有害には違いない。勿論酒タバコと同じく、大量に、高頻度で飲めば普通に身体を壊す。これもまた改良案件だ。

 ともあれアダムも準備を終えた。


「歴史的瞬間だな」


 アダムはタイムマシンへと乗り込む。

 中に入ったら扉を閉め、電源をオン。中にある普通の空気が抜かれ、代わりに四次元物質化した大気が注入される。酸素のように働く四次元物質を作る事が出来ていなければ呼吸が出来ず、アダムのタイムトラベル計画は頓挫していた事だろう。

 中の大気が四次元物質に置き換わったところで、操縦席にあるランプが緑色に輝く。ライトの色を確認したところで各種計器をチェック。全てが異常を示していない事を確かめる。そして大きなレバーを操作し、タイムマシンと台座の接続を切った。ガコンと、配管や電源が抜け落ちる音が聞こえる。

 最後に、操作盤の真ん中にあり、ガラスの蓋で守られていたボタンを押す。

 これがタイムマシンの起動ボタンだ。押すのと同時にタイムマシンがぐおんぐおんと唸るような音を鳴らし、ガタガタと揺れ始める。これらは何時も通りの、動物実験をしていた時にも見られた動き。今更騒ぎ立てるような事ではない。

 とはいえ、いざ自分が乗るとやはり不安に感じるものだ。


「……ふむ。あと十秒か」


 その不安を和らげるのに役立つのが、天井付近にあるタイマー。

 タイマーには、タイムトラベルを行うまでの時間が表示されている。ただそれだけの物だが、これは極めて重要な情報だ。このタイムマシンは十秒前に戻ろうとしているが、もしタイマーが十秒を切った段階で、『出現地点』であるもう一つの台座にタイムマシンが戻ってこなければ、と考える事が出来る。

 例えばタイムマシンが爆発するのであれば、その十秒の間に外へと出れば助かる可能性が高い。勿論タイムトラベル十一秒前に爆発する可能性は否定出来ず、数秒では到底逃げ切れない大爆発かも知れないが、それを言い出すと切りがない。完璧ではなくとも、安全を確保する仕組みがあれば人間は存外落ち着けるものだ。

 そして待ち望んでいた十秒前が来た瞬間、タイムマシンから見えるもう一つの台座に、もう一台のタイムマシンが現れた。


「良し! 成功だ! 流石俺っ!」


 十秒前に自分の成功を知るアダム。操縦席内で大いにはしゃぐ。

 そんな彼の前で、未来からやってきたタイムマシンの扉が開いた。中から現れるのは当然自分。ちなみに過去の自分と出会っても、何も問題が起きないのはネズミを用いて実験済みだ。

 だからこそアダムは、気軽に未来の自分の顔を見ようとした。そして見る事は出来た。

 必死な、恐怖に歪んだ顔が。


「え?」


 何故? タイムマシンは無事戻ってきて、自分も問題なく生きている。パッと見では身体の欠損はおろか傷もなく、完全な健康体だ。

 ならばどうして、未来の自分は恐怖しているのか。

 訳が分からない。理由が知りたい。されど時間は変わらず過ぎていく。声を出そうとした時には、もうタイムマシンに装備したタイマーはゼロとなり。

 不安と恐怖に満ちた時間旅行が、始まってしまった。

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