お姫様の恋の行方は(後編)

「ここがクラヴィさまのお家……?」

 チェルシーは、森の奥深くにある古びた一軒家を不思議そうな目で見つめました。

(森の中に住んでいるって聞いていたけれど……随分と辺ぴなところに住んでいらっしゃるのね)

「そうだよ。事前に訪問の許可もとってある。――それじゃ、行こうか」

「ちょ、ちょっと、待って! まだ心の準備が……!」

 チェルシーが止める間もなく、ムインが玄関のドアをノックしました。

 お城の兵士を供につける……という話も出ていたのですが、ムインがチェルシーの供をしたいと王様に申し出たのです。

 その要求は意外にもすんなりと通りました。彼は魔法の才こそないものの、剣の腕は並の兵士よりも上だったので、護衛として不足はないと判断されたのでしょう。チェルシーは不服そうでしたが……。

「クラヴィ殿、いらっしゃいますか? 姫を連れて参りました」 

「く、クラヴィさま、こんにちは! 先日は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました!」

 ムインに続いて、チェルシーは緊張した様子でお辞儀をしながら言いました。そんなチェルシーを見て、ムインがクスッと笑います。

「チェルシー、それは本人の目の前で言った方が良いんじゃない?」

「う、うるさいわね!」

 チェルシーが頬を膨らませて怒鳴った瞬間、玄関のドアがガチャリと音を立てて開きました。簡素なローブに身を包んだ青年が、家の中からひょこっと顔を覗かせます。

「やあ、待っていたよ。王城から手紙が来た時は何事かと思ったけど……ああ、ごめんごめん。お姫様を前にこんな口調じゃ……従者くんに叱られちゃうかな?」

 "従者"扱いされたムインは一瞬顔をしかめましたが、すぐに笑顔を作って自己紹介を始めました。

「……初めまして、クラヴィ殿。僕はムイン・ティレスタム。チェルシーの"友人"です。本日は彼女の護衛として同席させていただきたく――」

「ムイン! あなたはちょっと黙ってなさい! ……クラヴィさま、かしこまらないで、どうか普通に話してくださいな」

 ムインの言葉を遮るチェルシーを見て、クラヴィは苦笑しました。

「あはは……ありがとう。もう一人来るとは聞いていたけど、友人とは知らなかったんだ。……ムインくん、気を悪くしたらごめんね」

「……あ、いや、別に――」

 クラヴィに釘付けになっているチェルシーの顔を横目で見ていたムインは、なんとも歯切れの悪い返事を返すことしか出来ませんでした。


 それからクラヴィは「立ち話もなんだから」と、二人を家の中へと招き入れました。

「こちらへどうぞ、お茶の用意をしてあるんだ」

 焼き菓子が所狭しと並べられたテーブルには、三人分のティーカップが置いてありました。お菓子の甘い匂いが、チェルシーの鼻をくすぐります。

 お城からここまで、ずっと歩いてきた二人はお腹が空いていました。

 ムインが誘いに乗っていいものかと考えているうちに、チェルシーが目を輝かせながらテーブルに駆け寄っていきました。

「わぁ、美味しそう! 頂いてもいいんですか?」

「もちろん。ムインくん……だったかな? よければキミも一緒に」

 クラヴィは良い香りのするお茶を三人分のティーカップに注ぎながら、チェルシーの問いにこたえました。

「ありがとうございます! わあ、私の好きなクッキーだわ! ……ほら、ムインもお礼を言いなさいよ!」

「……よかったね、チェルシー。クラヴィ殿、お気遣い感謝します。――それでは、お言葉に甘えて」

 ムインは小さくため息をつくと、椅子を引いてチェルシーに先に座るよう促しました。その後自分も席につくと、遠慮がちに良い香りのするお茶を一口飲みました。

「……美味しいですね。これは、貴方のお手製ですか?」

「うん、そう言ってもらえると嬉しいな。実はハーブティーを作るのが趣味なんだ。最初は魔法薬のおまけ……くらいにしか、思ってなかったんだけどね。味や香りに拘るのが意外と楽しくって……っと、チェルちゃんもどうぞ。お菓子もたくさんあるから遠慮せずに食べてね」

「はい、いただきます!」

 チェルシーは満面の笑みを浮かべると、嬉々としてティーカップに口をつけました。

「チェルちゃん……」

 他の二人に聞こえないくらい小さな声で、ムインがぼそりと呟きました。作り笑いを浮かべる余裕もないのか、彼の表情がどんどん険しくなっていきます。「一国の姫をそんな風に呼ぶなんて」という怒りよりも、チェルシーのことを親しげに呼ぶクラヴィが気にくわないのでしょう。

 しかし、ムインの小さな呟きも表情も――二人は全く気がついていないように見えました。

 クラヴィは、お菓子を頬張るチェルシーの幸せそうな顔を満足げに見つめています。チェルシーはそんな彼の顔を見て、胸の奥がじんわりとあたたかくなっていくのを感じました。

(クラヴィさま……やっぱり、優しい人に違いないわ……)

 お城での息苦しい毎日に不満を持っていたチェルシーにとって、この穏やかな時間は夢のようなひと時でした。

 隣に座るムインが苛立ちを募らせていることにも、チェルシーは気づきません。

 やがて、クラヴィの用意したお菓子をすっかりたいらげたチェルシーは、ようやく本題を切り出しました。

「……あの、クラヴィさま。先日はわたしを助けて下さり、本当にありがとうございました」

「ボクはたまたま通りがかっただけだし、そんなに気にしないでいいよ。……でも、わざわざお礼を言う為に、ここまで来てくれたんだよね。ボクをお城に呼びつけたって構わなかったのに……チェルちゃんは優しいなあ」

 クラヴィはニコニコしながら言いました。ムインは、その笑顔を憎々しげに睨んでいます。

「そ、そんなことありません、クラヴィさまの方がよっぽど優しいです!」

 照れ笑いを浮かべながらクラヴィにこたえるチェルシーは、隣にムインがいることさえ忘れているかのようでした。

 クラヴィはお茶を飲み干すと、空になったティーカップを勢いよく置きました。カップとソーサーがぶつかってガチャンと大きな音を立てたのに、チェルシーは気づいていません。ムインは一瞬「行儀が悪いな」と思いましたが――どうやら、そうではなさそうです。

「……とはいえ、キミはもうここには来ない方がいいよ。ここはお姫様が来るような場所じゃないし、それに――」

 クラヴィの目線が、ムインの方に向きます。クラヴィと目が合った瞬間、ムインの背筋に冷たいものが走りました。その目に自分が彼に向けていたのと同じ憎悪の念が、浮かんでいるように見えたからです。

 ムインが一つ瞬きをすると、クラヴィは困ったような笑みを浮かべていました。――その目に先程感じた底冷えするような憎しみは、全く見当たりません。

「――彼を、あんまり困らせない方がいいんじゃない? ボク、さっきからずっとムインくんに睨まれっぱなしだもん。……おお、怖い怖い」

 おどけたように肩をすくめたクラヴィが、チェルシーに視線を戻しました。その顔から笑みが消えていることに気づいたチェルシーが、びくりと身体を震わせます。

 クラヴィは冷ややかな目でチェルシーを見据えて、こう言い放ちました。

「……まあ何にせよ、ボクはここでのんびり魔法の研究をしたいんだ。たまに街で会った時におしゃべりするくらいなら構わないけど、それ以上は……ひどい言い方になっちゃうけど……困るんだよねぇ」

「……っ!」

 チェルシーとムインは同時に息を呑みました。チェルシーは悲痛な顔で、ムインは驚愕に目を見開いて、それぞれクラヴィの顔を見つめています。

 しばらくの間、部屋の中はしんと静まり返っていました。風に揺れる木々の音と鳥の鳴き声だけが、窓の外から微かに聞こえてきます。

「……クラヴィさま……迷惑をかけてしまってごめんなさい。……ムインも、付き合わせてしまって、ごめんなさい」

 永遠とも感じられるような静寂を破ったのは、絞り出すようなチェルシーのか細い声でした。チェルシーは二人に向かって深々と頭を下げた後、静かに立ち上がります。ムインも無言のまま席を立ちました。

 クラヴィは椅子に座ったまま、つまらなそうに自分の毛先を指でくるくると弄んでいます。

「こっちこそごめんね、チェルちゃん。……キミの気持ちに、こたえられなくて。……ムインくんも、こんなところまで来てもらって、悪かったね」

 出口へ向かう二人に向けられる謝罪の声は、上辺だけを取り繕ったそっけないものに聞こえました。

「いえ、僕は別に……クラヴィ殿、今日はありがとうございました。……チェルシー、行こう」

 ムインはクラヴィに向かって軽く頭を下げると、玄関のドアを開けました。チェルシーはムインに促されるがまま、ふらふらした足取りで家の外に出ていきます。

 振り向いて、別れの挨拶をしなければ……そう思うのに、チェルシーはクラヴィの顔を見るのが怖くて、自分の足元を見つめたまま震える声を紡ぎました。

「し、失礼致します……」

「じゃあね、チェルちゃん。ムインくんも……彼女をよろしくね」

 クラヴィは二人が家の外に出たのを見届けると、抑揚のない声で別れを告げて指をパチンとならしました。目の前でゆっくり閉まっていくドアを見て、ムインはクラヴィが魔法を使ったのだと理解しました。

「……失礼します」

 ドアが閉まりきる前に短く別れの挨拶を終えたムインは、まだ震えているチェルシーの肩にそっと手を置きました。

「……帰ろう」

 そう言うムインの声もまた、わずかに震えていました。

 二人は黙り込んだまま、元来た道を歩き始めました。


 森を抜け、城下町を通り、城門をくぐった頃――ようやくムインが口を開きました。

「……ねえ、チェルシー。君の言う通り、確かにクラヴィは悪い奴じゃないと思うよ。だけど、あいつと僕らは……住む世界が違いすぎるんだ」

「…………」

 チェルシーはうつむいたまま何も答えません。ムインはさらに言葉を続けました。

「だから、その……前にも言ったけど……僕じゃ、駄目かな……あいつみたいに魔法は使えないけど、剣でもって君を守ることは出来るから……」

ムインはそこまで言って、一度口をつぐみました。それから、自嘲気味に笑って言葉を続けます。

「ごめん、こんな時に言う台詞じゃないよね。……これじゃ、フラれたばかりの君につけ込んでいるみたいだ。剣だって、人に自慢できる程の腕前じゃないのに……今のは忘れて――」

「……ムイン、あなたがわたしを想ってくれるのは嬉しいわ。……だけど、わたしはやっぱりクラヴィさまが好き。たとえ叶わない恋でも、わたしはあの人を想っていたいの……」

 チェルシーは涙ぐみながら、それでもはっきりと言いました。

 ムインは小さくため息をつくと、チェルシーの指先に手を伸ばしてそっと触れました。

「……わかった。君が片想いを続けたいって言うなら、僕は止めない。――だけど、国王様やレナードには、君がクラヴィのことを想い続けていることは、内緒にしておいた方が良いと思う。だから……表向きは諦めたフリをしておきなよ。愚痴なら僕がいくらでも聞くから――」

「何よ……それこそ、わたしの心につけ込んでいるみたいだわ――。でも……ありがとう、ムイン」

 チェルシーはムインの手を強く握ると、無理やり笑ってみせました。

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