第9話 ウチは殺しなんてできゃしませんよ。盗み専門なもんで

 安岡はファミリーの舎弟頭で、九名の子分を抱えている。

 収入源は主に盗品の横流し。それに中洲地区の警備のような仕事もしている。

 怜司とミトには冷泉れいぜい町の1Kマンションの一室があてがわれた。壁紙もヤニで黄ばんだ汚くて狭い部屋で、しかも同居人がもう二人いた。


「へえ、すげえな。お前、魔女なのかよ」

 一人は春彦はるひこ

 怜司と同じ十六歳だが、中年親父のように腹が出ている。ツーブロックの金髪オールバック、ニキビの浮いた頬。いかにも下っ端という印象だ。


「やっぱ中洲の空飛ぶ絨毯事件もお前らだったのか」

 もう一人は大輔だいすけ

 眉毛が細くて丸刈りの人相の悪い男。左手の人差し指に梵字の刺青が入っている。年齢は怜司より二つ年上らしい。


「それはそうと、どうしたんだよ。その顔。もしかして、またか」

 怜司は大輔に目を細める。左目が腫れて青くなっていた。

「ああ、安岡の兄貴にぶん殴られたんだ」

 部屋住みになって一週間。安岡は豹変した。

 事務所のテーブルに埃が付いている、椅子の位置が歪んでいる、タバコの火をつけるのが遅い、虫の居所が悪い。様々な理由で子分を殴った。大輔もガラスの灰皿で殴られたそうだ。

 ミトだけには手を上げないのは女だからというより、魔女だからだろう。ミトの魔術は重宝され、そして恐れられている。

「じゃあオレら事務所行ってくるわ。明日は本部の偉いサンが来るし、ちゃんと掃除してねえとマジでブッ殺されるから」

 そう言って春彦と大輔は部屋から出て行った。

 怜司も立ち上がり「そろそろ俺らも行くか」とミトを見下ろす。


 二人は天神の家電量販店に来た。

 平日の昼間にもかかわらず、多くの買い物客が詰め掛けていた。

 NTTドコモの501iシリーズ。初の三和音の着信音の携帯電話が話題を集めている。プレイステーションやセガサターンなど人気のゲーム機も入荷したらしい。

「ミト、今日も頼む」

 あいよ、とミトは軽い返事をする。

 エントランスでリュックを開け、ミトは手の形の燭台を取り出す。人差し指を立てた姿の精巧なデザイン。

 『栄光の手』という魔導具で、これも『浮雲の魔女』から譲り受けた物らしい。

 絞首刑になった罪人の手を切断して血抜きをし、塩と胡椒と硝石で十五日間漬け込む。その後、天日干しで乾燥させる際に出た脂で蝋燭を作る。脂に新しい蜜蝋みつろうと胡麻を混ぜて固め、乾燥した手の人差し指に付ければ完成。

 ミトはライターで『栄光の手』の指先に火を灯した。

 これで効果は表れている。二人の姿は建物内の誰にも見えなくなった。『栄光の手』は使用者の姿を見えなくする。

「さーて、それじゃやっちまおうか」

 ミトは虚ろな目をする店員や買い物客の間を闊歩する。

 テレビやエアコンなど、大型家電製品は効率が悪い。狙うのは貴金属と小型電子機器。

 怜司たちは時計売り場へやってきた。ミトは堂々とレジに入り、店員のベルトループの鍵束を外す。店員は抵抗しない。

「ロレックスにオメガ、カルティエなんかもあんじゃん。このフランクミュラーのやつも可愛いし」

 ミトは鍵を使ってガラスケースを開け、高級腕時計を手に取ってリュックに詰めてゆく。目撃されても、誰にも咎められる事はない。

 その要領で携帯電話、ノートパソコンなども次々と盗んだ。バッグに盗品を詰め込むと、二人は悠然とエントランスから出た。

 ミトはパックの牛乳を買ってきて『栄光の手』の灯にかける。すると白い煙を上げて炎は消えた。『栄光の手』の火は水では消えない。動物の母乳を掛ければ火は消える。

 盗んだ貴金属や電子機器は盗品ブローカーに引き渡す。売値の二割が怜司たちの手元に入り、ブローカー側は売値の半額以下で顧客に売る。

 この要領で、怜司とミトは家電量販店を中心に様々な店に入った。時には高級外車を盗んだ事もある。

 こうして組への上納金をあげ、一躍注目される存在になっていった。


 ある夜、兄貴分の安岡に夕食に誘われた。

 中洲の中心地にある高級焼肉屋。アルコールの所為か安岡は妙に上機嫌だ。

「お前ら、殺しは経験あんのか」

 唐突な質問だった。

 怜司とミトは箸を止めて安岡を見据える。

「たとえ話じゃなくて、マジの人殺しだぜ」

 安岡は念を押す。怜司は首を横に振った。

 でもお前なら簡単だろ、と安岡はミトを一瞥する。

「魔女なんだろ。『逆十字さかじゅうじの魔女』みたいに一瞬で人間を氷漬けにしたり、『劫火ごうかの魔女』みたいに見ただけで人を焼き消したり出来ねえのか」

「いやあ、ウチは殺しなんてできゃしませんよ。盗み専門なもんで」

 へへっ、と愛想笑いを見せるミト。

「魔女でも万能ってワケじゃねえのか」

 そう安岡はぼやき、ビールジョッキに口を付ける。そして怜司に向けて眉を寄せた。

「てめえも魔女にくっ付いてるだけじゃ、そのうち用無しにされんぞ。自分でシノギ見つけて稼いでみろや」

 怜司が無言で頷くと、安岡は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「景気付けにやってみっか。殺しでも――」

 重々しい言葉に、怜司は息を飲んだ。

「博多地区に新しく配属された捜査官がいるんだ。そいつが中央から派遣されてきた奴らしくてよ、まだこっちのルールが分かってないらしい」

 平星京からですか、と怜司が聞き返す。

 安岡は不愉快そうな舌打ちをした。

「中洲からギャングを追放する、だってよ。そう言われたらこっちも黙ってられねえ。ハエみたいに飛び回られても厄介なんで、誰かに消してもらおうって話しになってんだが」

 安岡は二人を見比べて目を細める。

「お前ら、この仕事請けねえか」

 怜司は唾を飲み込んだ。

 殺し――。

 矢のように鋭い安岡の目。怜司は拳を握り締める。

「安岡の兄貴は、人を……殺した事があるんですか」

 大きな溜息をついた安岡。マイルドセブンに火をつけ、煙を怜司に向かって吐き出した。

 そして一言。

「あるぜ」

 安岡の真剣で凶悪な笑みを見て、怜司の背中に冷たいものが流れた。

 七輪の炭も白くなり勢いを弱める。安岡は僅かに前のめりになり小声で語った。

「あれは俺が二十歳の頃だったな。俺がそいつの家に乗り込んで……」

 安岡は咳払いして顔を上げる。険しい表情だ。

「まあ、良い気分じゃなかった。でも慣れるもんだぞ、殺しも」


 それから半年が経ち、夏が終わって肌寒くなる頃だった。

 春彦が真っ青な顔で帰ってきた。ふくよかな腹。

 その白いジャージにべっとり血が付いている。

 どうしたっ、と怜司が駆け寄った。

 血は彼のものではない。返り血か。

「やべえよ、やっちまったよ……」

 春彦は玄関で崩れ落ちる。血まみれの手が震えていた。ミトと大輔で肩を貸し、血まみれの春彦を部屋まで運び入れる。


「やっちまったって、何の事だ」

「殺したんだ。俺は人を殺した」


 ミトがぎょっと目を開く。

 すると春彦は青ざめた笑顔を見せびらかす。

「安岡の兄貴に言われたんだ。例の捜査官を脅して来い、って。それで奴の家に押し掛けたら、奴の家族しかいなくてよ。俺はちょっと脅すつもりだったんだぜ、ホントだ。それなのに、女が子供を庇って、抵抗しやがったから」

 ナイフで刺した。

 すると動かなくなった、という。

「でも、大丈夫。この後は兄貴がちゃんと面倒見てくれるっていうし、これも俺の手柄になるんだぜ。はは、はははは」

 怜司は春彦の胸倉を掴んで引き寄せた。

「殺したのか。関係ない家族を殺したのか」

 春彦は目を見開くが、焦点が合わない。

 引き攣った笑い声を上げる。

「仕方ねえだろ、抵抗されたんだからよ。これでパクられても、出て来てから安岡の兄貴が面倒見てくれんだ。先に出世させてもらうぜ。あはは」

 怜司は拳を握り締め、春彦の鼻先に叩きつける。鼻の折れる感触が伝わった。春彦は壁に背中をぶつけて崩れ落ちる。泉のように鼻血を滴らせた。

「無関係だろ、家族は。子供は。母親は!」

 怜司は馬乗りになって拳を振り下ろす。

 何度も、何度も。

 春彦の顔が変形してゆく。

「怜司サン、やりすぎだ」

 ミトが制止に入るが怜司は止まらない。

 春彦の歯で、拳の皮膚が破けても殴り続ける。大輔が「いい加減にしろ!」と怒鳴り、怜司を羽交い絞めにした。

「どうした怜司。相手は捜査官の家族だぜ。お前がキレる事じゃねえだろ!」

 心臓が破れそうなほど跳ねる。

 怜司は肩で息を切らせ、春彦を見下ろしていた。春彦は太った体をのそりと持ち上げる。鼻が曲がっている、前歯も折れている。春彦は血だらけで不気味に笑っていた。

「殺しくらいでガタガタ抜かしやがって、俺が出世するのが悔しいんだろ。お前はギャングに向いてねえよ。魔女がいなけりゃ役立たずじゃねえか」

 春彦はゲタゲタ笑って部屋を出て行った。

「怜司サン。どうしてそんなに怒ってるんだよ」

 怜司はミトに押さえつけられ、激しく息を切らせていた。その目には涙が溢れている。

「うるせえ、うるせえよ……」

 二日後、春彦は博多湾で死体となって発見された。


 狭苦しい1Kマンション。

 それでも一人減っただけで、寂しいくらい広く感じた。

「どうして春彦が……」

 年長者の大輔はフローリングにそのまま座って頭を掻く。

 朝のニュースだった。博多湾で男性の死体が上がった――。

 死体は春彦のものと判明していた。首にロープの跡があり、絞殺された後に海へ捨てられたらしい。春彦は衣服を着ておらず、持ち物も何もなかったという。春彦は殺された。

「きっと、安岡の兄貴だ」

 大輔が膝を抱えて呟く。

「春彦を使い捨てにしたんだ。中央の刑事を脅すために春彦に手を汚させ、用が済んだら足が付かねえように春彦を消したんだ」

 ちょっと待ってよ、とミトが口を挟む。

「自分の舎弟だぞ。いくら安岡の兄貴でも、舎弟を殺るワケないじゃん」

「お前らは兄貴を分かっちゃいねえ。あの人は殺しなんて何とも思ってねえんだ」

 大輔は震える肩を擦る。怜司が続きを促すように黙っていると、大輔は口を開く。

「警官殺しの安岡――。兄貴のあだ名だよ」

 警官殺し、と怜司は繰り返す。

「安岡の兄貴も警官を殺した事がある。家に押し入って、皆殺し。初めから家族全員殺すつもりで乗り込んだ。あの人は殺しで出世したんだ」


 怜司の血液が沸騰してゆく。

 奥歯を折れるくらい噛み締めた。

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