第8話 じゃあ神様はウチがつらい目に遭ってんのも見て見ぬふりかよ

 絨毯は櫛田神社に降り立った。

 本堂の屋根に着地し、ミトは大きく息を吐く。


「魔術には代償ってもんがあってさ。ウチの場合は異常に腹が減っちまうんだよねえ」

 ミトはリュックからコンビニおにぎりを取り出し、フィルムを剥がして噛り付く。

 怜司の足はまだ震えていた。絨毯の縁を握り締めた手が離れない。

「聞いてねえぞ。お前が、魔女だって」

 まあ事情は色々あるんだ、とミトは絨毯を丸めてリュックに結んだ。怜司の隣に腰掛け、ぼんやりと月を見上げる。

「ウチもさ、両親が死んじまってんだよ」

 はっと怜司は顔を上げる。

「ほら、昭琶・淡路地区の大震災だよ」

 一九九五年一月十七日。三年前、昭琶しょうわ京を襲った大地震だ。首都昭琶京は崩壊し、全国への情報・交通網が完全に麻痺した。

「ウチの父ちゃんも母ちゃんも死んじゃった。ペチャンコさ。ウチの家は貧乏アパートだったから、跡形もなく潰れちゃった。それで、ウチだけが生き残った」

 震災での死者はおよそ六四〇〇名。

 建物の倒壊による圧死と、火災による煙を吸引しての窒息死が死因の七割を超える。真冬だった事もあり、高齢者が凍死するケースもあった。


 ミトは絨毯を撫でる。

 これはミトのアパートの玄関に敷いてあったものらしい。瓦礫から這い出す時に握り締めていたという。

 この絨毯が唯一残された家族の思い出だそうだ。


「ウチみたいな親を失った子供は親戚に引き取られるか、児童施設に預けられる事になった。ウチは施設。父ちゃんも母ちゃんも、親とは仲良くなかったみたいだし」

 ミトは大阪にあるカトリック系の児童施設に入所した。

 朝起きて聖堂で礼拝し、食事前には神に感謝の祈りを捧げ、小学校へ通って他の子どもと勉強し、施設に帰ってきては夜の祈りを捧げて就寝。判で押したような規則正しい生活を送っていたらしい。

 ミトは施設でも学校でも、度々問題を起こしては大人を困らせた。同じ施設の男子を椅子で殴って大怪我を負わせた事もある。

「だって男子がウチの髪を馬鹿にしたんだ。くるくるパーマってさ。これは母ちゃん譲りのくせ毛なんだ。だから母ちゃんまで馬鹿にされた気がしてさ」

 指導員から手痛い折檻を受けた。他の子供たちの前で二十回も尻を叩かれ、聖堂の祭壇の前に膝をつかされ懺悔させられた。

「『あなたが悪い事をしているのを、神様はいつも見ていますよ!』だってさ。馬鹿じゃねえの。じゃあ神様はウチがつらい目に遭ってんのも、見て見ぬふりかよ。神様だったら神様らしく、助けてくれたって良いじゃないか」

 だから神様なんて信用しない、とミトは鼻を鳴らす。


「そんなウチにチャンスがやってきた。あれは施設に入れられて一年くらい経った時だ。ウチは行ったんだ、『ヴァルプルギスの夜』に!」

 ミトは小学校の帰りに坂道を下っていたら、いつの間にか坂道を登っていたらしい。林の中。いつもとは違う風景。そこに古い洋館があった。

「そこに現れたバフォメットとかいう山羊の悪魔に言われたんだ。あなたには魔女の素質がございます、って」

 退屈で理不尽な生活から抜け出せるチャンスだ。

「そこで薬売りの魔女に出会ったんだ。『永久とこしえの魔女』っていう有名な魔女だ。その人に飛行の薬を貰ったのさ」

 リュックから古い小瓶を取り出す。これを絨毯に塗ったのだという。もともと才能があったのか、絨毯での飛行を二ヶ月ほどで習得したそうだ。


「お前『傀儡くぐつの魔女』とか言ってなかったか。傀儡って言えば、操り人形の事だろ」

 よくぞ聞いてくれた、とばかりに無い胸を張るミト。おもむろにネックレスを外す。王冠の形をしたシルバーのトップが輝いた。

 ミトはパーカーを脱ぎ、フードにネックレスを結んだ。メモ紙に何やら書き、千切ってパーカーのポケットに入れた。

「……よし。行け」

 次の瞬間、怜司は嘆息を漏らした。

 パーカーがひとりでに起き上がり、両袖を振り回す。ミトが「攻撃だっ」と言うと、パーカーは袖を怜司の顔にぶつけてきた。鬱陶しくて振り払うと、パーカーは怜司の首に絡みつく。

 やがて手足を縛られ、怜司は身動きが取れなくなった。

「どうだ、見たか。これが『傀儡の魔女』様の魔術だ!」

 得意気に笑うミト。

 指を鳴らすと、パーカーは怜司の拘束を解いてミトの元へ戻る。パーカーが腰に手を当てている姿に腹が立った。

「どうなってんだよ、そのパーカー……」

 怜司は咳き込みながら指差す。ミトがパーカーのポケットからメモ紙を取り出すと、パーカーはしなしなと屋根瓦に倒れた。糸を切った操り人形のようだ。

 ミトはメモ紙を開いて見せる。アルファベッドが並んでいた。

YHVHヤハウェ――。こいつを書いた紙を媒体に入れて、さっきのネックレスを取り付けると、ウチの思い通りに操れる。ゴーレムの魔術の応用だな」

 ミトはメモ紙を破り捨て、王冠のネックレスを首に戻す。

 ペンダントトップに小さな文字でEMETと刻印されている。

 ゴーレムとはカバラの秘術により、土から作り出された人造人間。中世ヨーロッパで、迫害を受けていたユダヤ人がコミュニティの護衛のために使用していた魔術だ。

 通常のゴーレムは土から精製し、口にYHVHと書いた紙を入れる。額にemetエメトの文字を書くと動く。emetとはヘブライ語で『真理』を表し、ゴーレムを止める時は頭文字のEを消しmetメトにする。metとは『死』だ。

 ミトはそれらを簡略化し、ネックレスの着脱でゴーレムの制御を行っている。

「すげえな。これを人間に使えば、そいつを好き放題に操れるって事だろ」

「残念。ウチの魔術は生き物には効かねえ。人間はもちろん、犬猫みたいな動物にもダメだし、地面に根っこの付いたままの植物も無理だわ」

 木材や革製品として加工された物であれば効力の範疇に入る。そして人型に近い物ほど操作精度が増すらしい。

「ウチって呪文とか印形シジルとか覚えるの面倒だから、このネックレスはホントに役に立ってんだ。これは『浮雲うきぐもの魔女』に貰ったんだよ。知ってるか、列島の歴史上で空間転移魔術を使えるのは三人しかいねえ。『浮雲の魔女』って言やあ、その内の一人だ」

 ほう、と頷く怜司。

 ミトはその姿を怪訝そうに見詰めていた。

「怜司サンよお、アンタもしかして結構良い所の育ちなんじゃねえのか」

 怜司は正していた背筋をわざと丸めた。

「な、何でだよ」

「だってさ、メシ食う前にも絶対に『いただきます』って言うし、姿勢も良いし、酒も煙草もやらねえ。なんでギャング目指してんの」

「どうでも良いだろ。ただギャングになって有名になりてえだけだ」

 ふうん、とミトは鼻を鳴らす。

 それに――、と付け足した。

「空を飛んだの……初めてじゃねえよな」

 怜司の目蓋がぴくりと反応する。

「普通ならパニックになるはずだ。でも怜司サンはウチが魔女だってすぐに受け入れた。今までに魔女と関わりがあったな、それもかなり深く」

「どうでも良いだろ」

 子供の頃を思い出す。実加お姉ちゃん――。

 怜司の姉は、魔女だ。

 ほうきで空中散歩に連れて行ってもらった。ミトの絨毯に乗って、姉との過去を思い出し、胸が苦しくなった。

 もう姉のほうきに乗る事は出来ない。

 姉は死んでしまったから。

       

 怜司が福岡へ来て一か月。転機があった。

「おう、お前らか。さいきん派手にスリやってんのは」

 夜の屋台街を歩いていたら男に声を掛けられた。怜司とミトは身構える。黒地にピンストライプのシャツ、短く刈り込んだ髪、手入れして整った顎ひげ。二十代後半くらいか。

「話がある。ちょっとツラかせや」

 男の目的が分からない。二人が立ち止まっていると、男は舌打ちしてミトを一瞥した。

「知ってんだぞ嬢ちゃん。お前、魔女なんだろ」

 二人は男に連れられて焼きラーメンの屋台に入り、表のビールケースに腰掛けた。

 男は終始笑顔でいるが、目だけはどこか威嚇的だ。

 男は安岡と名乗った。

 神堂組の構成員だという。やはりギャングだ。しかも傘下組織でなく本命の神堂組。

「単刀直入に言うとな、神堂組うちで働かねえか」

 ぴたりと箸を止める怜司とミト。安岡は周囲に目配せし、おもむろに顔を近付ける。

「ようは嬢ちゃんの盗みの技が欲しい」

 神堂組の末端では盗品売買のシノギがあるらしい。

 街の不良を使って家電量販店やドラッグストアで万引きさせ、盗品を専門に扱うブローカーに横流しするというシステムだ。

「噂になってるぜ。中洲に凄腕のスリ師がいるって。しかもそいつは魔女だ、ってよ」

 ミトは繁華街でスリや置き引きを繰り返して日銭を稼いでいた。しかも先月の空飛ぶ絨毯事件。夜の街では空飛ぶ絨毯が語り草だ。

「それに魔女がいれば、うちのファミリーのプラスになる。何たって『逆十字さかじゅうじの魔女』級になると一国の軍事力に匹敵する魔術を持ってんだからよ」

 要するに目的はミトだ。

 怜司は眼中にないらしい。

「悪いようにはしねえ。部屋も用意してやる。見たところ、ホームレスやってんだろ」

 怜司が横目に見ると、ミトは静かに頷いた。

「分かった、ウチで良かったら協力する。ホームレス生活も嫌気がさしてたからね。ただしウチは『逆十字の魔女』みたいな強力な魔術は使えない。だからあんまり期待しないで」

 それから、とミトは続ける。

「ウチを使いたいなら一つだけ条件がある」

 ミトは怜司の背中に手を置いて深々と頭を下げる。


「怜司サンも一緒にしてください」


 ミトは頭を下げたまま動かない。

「ミト……」

「この人、ギャングになりたくて福岡まで来たんだ。ウチよりずっとヤル気あんだよ。だから、パシリでも雑用でも何でも良いから、怜司さんも使ってやってくれよ」

 必死に懇願するミト。安岡は溜息をついた。

「……負けた。分かったよ」

 怜司はにたりと口元を歪める。


 この日、怜司は神堂組に加入した。

 ついにギャングになった。

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