第10話 ミト、見ない方が良い。吐くぞ

 事務所の掃除を終えて部屋に帰ってくると、ちょうどミトもベランダから帰ってきた。

 絨毯を丸めてサッシを開ける。

「頼まれてた物、持ってきたよ。こんなの何に使うんだよ」

 ミトは大輔がまだ帰っていない事を確認し、リュックを開ける。茶色い薬品瓶が入っていた。

 怜司は瓶を手にして目を細める。

「間違いなく効くんだろうな」

 当たり前だろ、とミトは眉を寄せる。


 今夜、ミトは集会サバトに参加していた。集会には近隣の魔女たちが集まり、情報交換や物品のやりとりを行う。

「こんな薬、何に使うんだよ」

 ジアセチルモルヒネ塩酸塩、いわゆるヘロインだ。

 元々の原料はケシ。数百種あるケシ属でもモルヒネ成分を含有しているのはソムニフェル種とセティゲルム種のみ。それから精製されたアヘンを医療用麻酔にした物がモルヒネ。そのモルヒネを化学合成して出来たのがヘロイン。

 鎮痛催眠効果はモルヒネ以上に高く、禁断症状も強烈だ。

「クスリなんか売らなくても、ウチの『栄光の手』があれば盗みで稼げるじゃねえか」

 この薬も『浮雲うきぐもの魔女』から譲ってもらったという。魔女業界の運送屋である『浮雲の魔女』に頼めば大抵の物は手に入るらしい。

「それより、そろそろ時間だよ。遅れたら安岡の兄貴に怒鳴られる」

 今日はミトが安岡に呼び出されていた。魔術を利用した儲け話を思い付いたらしい。

「なあミト。俺も付いて行っていいか」


 中洲の個室レストラン。安岡は赤ワインを注ぎながら怜司に目を細める。

「なんだ。お前も一緒なのかよ」

 安岡の目はあからさまに邪魔だと言っていた。

 安岡はミトにはワインを差し出したが、怜司には水すら用意されない。ミトは気まずそうに二人を見比べる。

「いやあ、俺も兄貴と一緒にメシ食いたいと思いまして」

 怜司は愛想笑いを浮かべた。

「ところで兄貴。春彦が殺られたのは知ってますよね」

 安岡は一瞬手を止めてから「ああ」と相槌を打った。

 結果として、例の刑事は福岡浄化計画を取り止めた。

 安岡の表情に薄い笑みが過る。大輔の読み通り、春彦を消したのは恐らく安岡だ。


「警官殺しの安岡――」


 怜司が呟くと安岡はぴたりと動きを止めた。真っ直ぐに怜司を睨んで呟く。

「どうして知ってんだ」

「何でも昔、安岡の兄貴も警官を殺したとか。福岡でも伝説らしいっすね」

 怪訝そうに眉を寄せる安岡。

「だから何だ」

「俺、腹を括りました」

 唐突に言う怜司。ミトと安岡は同時に怜司の顔を見た。

「俺はギャングになるために福岡へ来ました。汚れ仕事を避けるつもりはない。俺だってミトにくっ付いてるだけじゃないんす。何でもやります。たとえ、殺しでも」

 怜司の目が座っている。ミトは絶句し、安岡が唾を飲んだ。すると安岡は「気に入ったぜ」と額の汗を拭った。

「気合入れたいんです。だから、兄貴の話を聞かせてください。警官殺しの話を」

 安岡はしばらく怜司の目を見詰めた後、静かに溜息をついた。怜司とミトは背筋を正して待つ。

 やがて安岡が遠くを見るようにして口を開いた。

「あの時は、上からの命令で警官の家に押し入る事になった。殺せ、って言われてたんだ。その警官も正義感の強い野郎でよ、一人で神堂組と政府の癒着を探ってやがったんだ」

「その警官も、中央からの人間だったんですか」

「政府から派遣されてきた奴じゃねえ。福岡の出身だ。自宅は春日の方だったな。ギャングを追放するって、子供たちが住みやすい安全な町にするって、そんな事を言ってた奴だ。ギャングからも、癒着してる政府の連中からも厄介な野郎だ」

「それで、その警官の家に押し込んで……」

「兄貴から安物のトカレフだけ持たされて、ベランダから入った。俺は真っ先に警官を撃った。頭を一発で仕留めた。あとは俺の姿を見た、妻と娘も同じように」

 怜司は小さい声で尋ねる。

「その妻と娘。魔女でしたよね」

 すると安岡が逡巡して答えた。

「ああ、そう言えば娘が魔女だって言ってた。まあ殺ってから聞いた話なんだがな」

 安岡はワインを喉へ流し込む。

「てかお前、詳しいな」

「ええ。あらかじめ調べておきましたので」


 その時、安岡の身体がぐらりと揺れる。

 そのままテーブルに突っ伏した。

「どうなってんだ、何だこれは……」

 安岡は焦点の定まらない目を泳がせる。

「分からなかったでしょう。水溶性で、特にアルコールにはよく溶ける。しかも無味無臭」

 何しやがった、と安岡が声を絞る。喉にも肺にも力が入っていない。はっと息を飲んだミトが声を上げる。

「まさか、さっきのヘロインを……」

「兄貴が夢中で喋ってる間にグラスに入れた。少量でもすぐに効くんだな」

「て、てめえ……」

 安岡は憎々しげに声を絞り出し、やがて床に崩れ落ちた。泡を吹いて昏倒している。

 怜司は安岡に肩を貸すように担ぎ、ミトを向く。

「ハンドルにネックレスを引っかけてただろ。車を操ってここまで持って来い」

 怜司の剣幕に圧され、ミトは縮み上がった。

「ミト。言われた通りにしろ」

 ミトは丸めた絨毯を抱き締め、言われるがまま傀儡の魔術を試みる。


 店を出ると一台のハイエースが止まっていた。

 勝手にドアが開くが、中には誰も乗っていない。怜司は意識を失った安岡を後部座席に転がし、手足を結束バンドで縛った。

 ハンドルにはクラウンのネックレスが巻き付き、ギアの間に『YHVH』と書いたメモ紙が挟まっている。

 ミトも助手席に飛び込んで来た。

「どうするつもりなんだよっ」

「博多港だ。さっさと出せ」

 ミトは「は、はいっ」と返事し、魔術でハイエースを動かす。ハンドルが回り、アクセルが勝手に踏み込まれる。カーブを曲がる際、後部座席で拘束された安岡が転がった。

「怜司サン、何考えてんだよ。この人は、ウチらが世話になってる兄貴だぜ」

「黙って運転しろ。港の貨物置場にコンテナを一台用意してある。そこまで着いたら話す。だから今は何も聞くな」

 夜の中洲を乱暴運転で北上する。

 やがて博多港の貨物置場に到着した。怜司の指示したコンテナの前でハイエースを止め、ミトはハンドルからクラウンのネックレスを回収した。

「運び出すぞ。お前は足を持て」

 怜司は安岡を後部座席から降ろす。アスファルトに落ちた安岡は苦しげに呻いた。

 怜司が脇を差し、ミトは言われるがままに安岡の両足を抱える。


 港には何十ものコンテナが並んでいた。

 ワンルームほどの大きさのコンテナが山積みになっている。

 その内の一つの前で怜司が止まる。南京錠を開けてかんぬきを抜く。ドアを開けると鉄臭いにおいが漂い出た。

 安岡の身体を中央に置くと、怜司は懐中電灯を点けて天井から吊るす。コンテナ内部の全貌が浮かび上がり、ミトは息を飲んだ。

 青いビニールシートが敷かれ、安岡の傍らにペンチやニッパー、刃渡り二十センチはあるサバイバルナイフもある。

 何よりミトを戦慄させたのは、拳銃。ロシア製のトカレフが透明なビニール袋に包まれていた。


 怜司は安岡の腹を蹴り飛ばした。

 何をっ、と叫ぶミト。

 安岡は短い呻き声を上げて胃液を吐いた。激しく噎せる安岡。怜司は安岡を靴の裏で押して仰向けにさせる。

「おはようございます。兄貴」怜司は無表情で言う。安岡が薄目を開け、弱々しい声を発する。

「……てめえ。何の、つもりだ」

「大輔から話を聞いた時、もしやと思いましてね。で、兄貴の話を聞いて確信しました」

 怜司は安岡の靴を脱がせ、傍らからペンチを取った。足の小指にペンチを添えて目を細める。

 次の瞬間、怜司はペンチを握って捻る。安岡は短い悲鳴を上げた。

「あんまり痛くないっしょ。ヘロイン効いてるから」

 足の小指が逆に曲がり、指の腹が甲の方へ向いている。安岡は呼吸を荒げ、冷や汗が噴き出した。ミトは後ずさって肩を竦める。

「兄貴。俺の名前知ってますか。フルネームっすよ。下しか名乗ってなかったっすかね」


 蔵方怜司――。

 怜司の小声がコンテナに充満する。


「くら、かた、れいじ……。くらか、た」

 その時、安岡の目が大きく開く。

「蔵方――」

「分かりましたか。蔵方晃司くらかた こうじ――。兄貴が殺した警官。その人、俺の父親っす」


 ミトは目を見開いたまま固まっていた。

「怜司サン。アンタ……嘘だろ」


 さらに驚愕しているのは安岡だ。凍りついたように表情が固まり、口唇だけが弱々しく震えていた。

「アンタに家族を殺されるところを、俺は傍で見ていたんだ」

「あの家にはあの警官と、妻と高校生の娘しかいなかった……。ガキなんかいなかった!」

「俺はあのリビングにいた。お前が八発の銃弾を撃つところを、傍で見ていた」

 怜司はナイフを手に取り、安岡の肩に突き立てた。絶叫を上げる安岡。

「お前は父さんの胸を撃ち、逃げようとした母さんの背中を撃った。倒れた母さんの頭を二発も撃って……殺した」

 そして――、と怜司は安岡のスラックスを脱がせ、パンツも下ろした。

 股間を蹴り上げ、すり潰すように踏みにじると、安岡は声を裏返らせて悲鳴を上げる。

「台所に隠れていた実加お姉ちゃんを押し倒し、犯した」

 怜司は安岡の肩からナイフを抜き取る。短い悲鳴とともに、泉のように血が溢れた。安岡は小刻みに首を横に振る。

「ち、違うんだ。あれは、俺もどうかしてて!」

「命乞いする実加お姉ちゃんを、殺した。銃口を咥えさせ、笑いながら引き金を引いた」

 怜司はナイフを逆手に握り、安岡の陰部へ思い切り突き立てた。

 狂ったような絶叫を上げる安岡。ヘロインを投与していなければ激痛で失神していただろう。


 薄笑みを浮かべて見下ろす怜司。

 ミトはその様子を見まいと、頭を抱えて縮こまっていた。


「もう、やめてくれ……」

 涙を滲ませる安岡。怜司は鼻で笑った。

「お前に命令したのは誰だ。父さんを殺させたのは誰だ!」

「い、言えねえ……これだけは絶対に言えねえ。言ったら、殺される」

 安岡は壊れたように首を横に振る。

 怜司がビニール袋からトカレフを取り出すと、安岡の表情が石像のように硬直した。

「言わなければ、今殺すぞ」

 銃口を口の中に突っ込む。

 顎が震え、歯が当たってカチカチ鳴った。安岡は観念したように首肯すると、怜司は銃口を抜いた。

「……畑中の叔父貴だ」

 畑中――。

 怜司とミトは顔を見合わせる。

畑中秀雄はたなか ひでお、か」

 組長、神堂総吾しんどう そうごの従兄弟にあたる人物。

 神堂組幹部の一人で、二次団体の畑中組の組長でもある。巨大組織である神堂組のナンバー4の地位にある男だ。

「い、言ったぜ。だから俺は殺さねえでくれ……」

 怜司は無表情のまま額に銃口を突き付ける。

「許すとでも思ったか」

「待てよ。お前らに俺のシノギも譲るし、昇格の口利きもしてやる。だから、たの――」


 乾いた銃声が鳴る。

 密閉されたコンテナでは銃声がうるさいくらい反響する。トカレフの銃口から白い煙が上がる。


「ミト、見ない方が良い。吐くぞ」

 安岡の額に穴が開き、後頭部が破裂して脳症をビニールシートにぶちまけていた。

 眼球を引っ繰り返らせる安岡はもう動かない。

 怜司は小さく息をついてトカレフを置く。


 家族の仇は討った。

 しかし気持ちは晴れなかった。

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