博多ゴッドファーザー

第6話 ウチは世界一の幸せ者だ。そうだよなあ

 晴天の下、鐘が鳴る。

「おめでとうございます、蔵方くらかたさん!」


 教会から怜司れいじとミトが出ると拍手と歓声が沸く。

 怜司は満面の笑みで手を振り、はにかんだミトは彼を見上げた。ミトは怜司の腕を抱き、ゆっくりと階段を下りる。

「蔵方首長、ご結婚おめでとうございます!」

「ミト姐さんも美しゅうございます!」

 祝福してくれる男達も、今日ばかりは鋭い目つきを抑えていた。神堂組しんどうファミリーの幹部たちだ。


 後ろから百人を超える構成員が拍手を送る。

 中庭の外から一般市民も歓声を上げる。

 SFG独立自治区・初代首長、蔵方怜司は民衆からも人気だ。

 この人の妻になれて、ミトは心から誇りに思っていた。


 ブーケを胸に抱き、怜司と赤絨毯の上を歩くミト。

 純白のウェディングドレス。長い裾が赤絨毯の上を滑る。

 十年前、福岡の街の片隅で野垂れ死にしかけていた自分が、まさかこんなドレスを着て結婚を祝福される事になるとは。ミトはまだ信じられなかった。

 テレビカメラが向けられ、記者がメモ用紙を持って近付いてくる。

「おめでとうございます蔵方首長。それに宮内ミトさん、いや今はもう蔵方ミトさんと呼ぶべきでしょうか」

 愛想良くインタビューを求めてくる記者。

 白のタキシードに身を包んだ怜司は「ありがとう」と応え、民衆に手を振った。

「SFG独立自治区、建国の立役者がご結婚とは。これほどおめでたい事はございません」

「まさかこんな大勢の方々に祝福されるなんて。嬉しい限りです」

 怜司は目を細めた。

 出会った頃、怜司が笑う事など絶対になかった。

 初めて会った時の怜司は憤怒と憎悪に取りつかれていた。闇社会でも『人狼』と呼ばれ恐れられた。


 いつからだろう。怜司が笑うようになったのは――。

 屋根のある家で暮らせるようになってからか、神堂組のトップに立ってからか、SFG独立自治区として九州が独立してからか。彼の人生の目標を達成してからだろうか。


 いや、どれも違う。

 そうだ。あの時・・・からだ――。


「蔵方首長、ミト姐さん。こちらへ」

 門の外に、部下が車を用意していた。黒塗りのドイツ車。

 怜司は「では、また」と切り上げ、後部座席に乗り込む。ミトも隣に座って怜司の手を握る。薬指の銀の指輪が冷たい。


 ブラスバンドが賑やかな曲を奏でる。

 自宅の庭では披露宴が行われていた。蔵方家の邸宅の庭は小学校の運動場ほどの敷地がある。そこにステージを設営し、テーブルを並べ、ビュッフェ形式の会食の場を設けた。

「いやあ、めでたいですな蔵方組長」

 庭の駐車スペースには何十台もの黒塗りの外車。九州各地の傘下組織が挨拶に来ていた。

「もうは勘弁してくださいよ」

「そうでしたな、蔵方

 傘下組織の代表と談笑する怜司。披露宴に集まったのは組織関係の者ばかり。誰もが笑顔だが、物々しい雰囲気は拭えなかった。


 ふとミトは顔を上げ、会場の片隅に女性の姿を見止めた。

 薄茶色の髪に鳶色の瞳、透き通るような白い肌。西洋人との混血だ。修道服のような黒い服。

 首から十字架ロザリオを逆向きに提げている。

「あ。あの人……」

 ちょっと失礼、とミトは一言断って席を立つ。

 ドレスの裾を持ち上げ、広い庭を小走りに進む。来客の男達の間をすり抜けて混血の女性のもとへ駆けた。

「来てくれたんだ。『逆十字さかじゅうじの魔女』」

 声を掛けると『逆十字の魔女』は返事もせずにミトを見据える。氷のような冷たい視線。

「式も挙げたんだ。近くの教会でやってたから、あなたも来てくれたら良かったのに」

「君が教会で結婚式、か。笑い話ね。神と和解でもしたのか」

「そんなんじゃない。ウチは神様なんて信じてないし、いたとしても絶対に許さない」

 そうなの、と『逆十字の魔女』は味気ない相槌を返した。

 少し間を空け、ミトは話を続ける。

「でも、ありがとう。全部あなたのおかげだ。『逆十字の魔女』がいなければ、きっとウチら殺されてたから」

 『逆十字の魔女』は壇上に目を向けた。視線の先にはミトの夫、蔵方怜司。

「幸せなのか」

 えっ、と詰まったミト。

「こんな事をしていて、幸せなのか」

 さらに『逆十字の魔女』が続けた。

 幸せ……。

 今ミトは幸せの絶頂にいるはず。しかし即答できない。その理由は自分でもよく分かっている。


「人形遊びね。笑える」

「……うるさい」


 ミトが睨みつけても『逆十字の魔女』は涼しい顔のまま怜司を眺めている。

「彼は運命を受け入れた。それなのにあなたが邪魔している。あなたは決して幸せになれない。彼を不幸にしているから」

「分かってる。分かってるけど……」

 ミトは俯いて口唇を噛み締めた。じわりと血が滲む。

「もう、帰ってよ」


 壇上に戻り、怜司の隣に掛けるミト。広大な庭を見渡す。

 この邸宅も、この人望も、この国も、怜司とミトが実力で手に入れた。ミトはテーブルの下で怜司の手を握り締める。怜司は目を細めて微笑みかけてくれた。

「首長、失礼いたします」

 ダークスーツの部下が怜司に耳打ちする。物々しい表情。

 ミトも部下に目を向け「どうかしたの」と口を挟んだ。実は、と男は小声で打ち明ける。

「双矛会の幹部が皇国側に――」

 傘下組織の幹部が大日本皇国の諜報機関に情報をリークした。情報と引き換えに多額の資金を受け取った、という。

 裏切り行為だ。

 ミトは溜息を漏らした。

「……消して」

 はい? と聞き返す部下。

「情報タレ込んだ野郎を消せっての。家族親戚みんな消して、家も燃やせ。で、双矛会の会長にもそれなりのケジメ取らせろ」

 口ごもる部下に、ミトは目を向ける。凍りつくような冷たい瞳だ。

「やれ」

 部下は引き攣ったように背筋を伸ばし、一目散に駆け出していった。

 ミトは背もたれに体を預け、披露宴の会場を見渡した。九州の組織は全て神堂組の傘下。怜司に忠誠を誓った者たち。裏切り者は許さない。


 怜司は絶え間ない笑顔を皆に向けていた。

 国民からも人気のある、優しい国家元首。幼稚園を訪問して子供たちとふれあっている様子が、昨日もテレビで放送されていた。

 だから汚れ役はウチが買う――。

 ミトには覚悟が出来ていた。


「なあ怜司サン。ウチは世界一の幸せ者だ。そうだよなあ」

 怜司の手を握り、ミトは誰にも見えないよう少し泣いた。

 嬉し涙、という事にしておく。


 二〇〇八年、六月六日の事だった。

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