第3話 これは列島三ヵ国への宣戦布告である
ふと朱音は夜空を見上げる。
「あれは……」
「新しいお客さんが来たようね。今夜は一年に一度のお祭りだから」
東の空から三つの影が飛んできた。三人は舟を漕ぐ
やがて同じ姿をした人影が、さらに三つ、そして四つ。
次々と東の夜空からやってくる。
次の瞬間、林の向こうから悲鳴が聞こえた。
「えっ、何」
「洋館の庭の方からよ」
夜の静寂を切り裂く悲鳴。
複数の女性の悲鳴が聞こえた。
怒鳴り声や泣き声も混じる。
「行くよ、ユウグレ」
瑠璃は小声を発する
。ユウグレが腰を下ろすと、瑠璃はその背に横向きに腰掛ける。「さあ君も」と瑠璃は朱音に促す。朱音もユウグレに乗った。ユウグレは立派な角を揺らし、階段を登るように夜空を歩いてゆく。
やがて木々よりも高くなった。林を見下ろし、朱音は顔をしかめる。
「おかしい。さっきの庭が、お屋敷が、ない」
上空からは木々しか見えない。林のすぐ向こう側に会場の庭があったはずだ。
「それだけじゃない。この林、何か変」
数分前と林の様子が違う。
木々の密度が増していた。
ただ木の数が増えているのではない。元々ある杉に赤黒い
「自然界にある植物じゃない。明らかに魔術で成長させた蔦だ」
蔦は洋館や庭まで覆いつくしている。蔦に遮られた庭から、魔女たちの絶叫が聞こえた。
「植物を操る……。そんな魔女も存在した。けど、
朱音の脳裏に祖母の顔が浮かぶ。
お祖母ちゃんは、どこ。
二人は蔦の隙間から地面に降り立った。
鬱蒼と繁る蔦は月を覆い隠し、辺りを薄闇に包む。篝火の明かりも届かないし、空気の流れもなくなっていた。魔女たちの叫び声も聞こえなくなり、不気味な沈黙が凝る。
朱音はアマを抱き締め足を進める。十歩ほど進み、行く手にあった樹から何かがぶら下っている事に気付いた。
その正体を目にした瞬間、朱音は「ひぃっ」と短い悲鳴を上げた。
人間だ。
若い女性が蔦に巻き付かれ、杉の木に吊るされている。その目は恐怖を焼き付けて見開かれていた。
死んでいる。
胸に開いた大きな傷口、流れ出した
「どうやら、この人も魔女らしいわ」瑠璃は口に手を当て、険しい顔で言った。
死体の足元には折れたほうきが落ちている。樹の傍に居るカラスは使い魔か。寂しげに主人を見上げて佇んでいる。
「それに、あの手元……」
魔女は短剣を握り締めたまま絶命している。
「ナイフ。あれで誰かと戦おうとしたの」
「あの柄が黒く塗られた短剣はアサイミーという魔導具よ。戦闘に使うための短剣じゃない。四大元素の『風』に関する魔術を発現する時に使うの」
でも、と瑠璃は区切ってから続ける。
「魔術を使おうとする途中で死んでいる。それにあの胸の傷口も普通じゃないよ。まるで中から破られたみたい。きっとあれも、魔術による損傷だと思う」
瑠璃は顔をしかめながらも、まっすぐ死体を凝視している。死体を見ても怖くないのだろうか。
その時、近くの茂みから物音が鳴った。二人の肩が引き攣る。
「こっち来て」
瑠璃は朱音の手を引き、杉の木陰に身を潜めた。
「……誰か来るよ」
奥の茂みから人影が現れる。
一人の女性が暗闇から姿を溶かし出した。魔女だろう。声を掛けようと身を乗り出す朱音。
瑠璃は慌てて制止する。
「待って。あの人、何か変よ」
茂みから現れた魔女は黒いロングコートを羽織っている。
目元に暗視ゴーグルのような仰々しい機器を取り付け、その表情は分からない。
「……あの
東の空から現れた魔女が乗っていた物と同じだ。
コートの胸に刺繍してあるエンブレムを見て、瑠璃が眉を寄せる。太陽を模した赤い円と放射状の線。日章旗と呼ばれる図柄。
「あれは、新関東帝国の国章だよ」
ゴーグルの魔女は静止し、ぐるりと辺りを見回した。
朱音は息を殺して小さくなる。
その時、けたたましいカラスの鳴き声がした。死んでいた魔女の使い魔だ。魔女は首だけを動かし、吊るされた死体に向く。
魔女は地面に櫂の
瑠璃がはっと息を飲む。
「二重の正三角形に横の一本線。あの
図形の中心に櫂の柄を添えた瞬間、死体とカラスの周りの土が盛り上がった。周囲から無数の蔦が勢いよく生える。
一瞬にして死体とカラスを飲み込むように絡み、激しく締め上げた。
カラスは甲高い断末魔を上げて動かなくなり、蔦の隙間から黒い羽根を散らす。
朱音は顔を背けた。
蔦が締め付け、魔女の死体の骨が軋む音が聞こえる。やがて樹の幹ごと死体を粉々に砕いた。
湿った土の上に、魔女だった物の欠片がボタボタと飛び散った。
ゴーグルの右側のランプが赤色から緑色に変わる。
人間を挽肉にした魔女は顔色一つ変えずに、洋館があろう方向へ立ち去っていった。
「酷い……。どうしてこんな事を」
朱音の足元にカラスの羽根が落ちている。
朱音は喉の奥を引き攣らせ嗚咽を上げる。立ちこめる血の生臭さで胃液が逆流した。
全身が恐怖に支配されて涙が溢れた。
「あの魔術、あの
その時、瑠璃のポケットからアラームが鳴った。
スマホを取り出すと、ホーム画面には【緊急速報】の表示。
表示をスライドさせると、SNSのニュースに速報が表示された。
【緊急避難警報 大日本皇国各地で魔女と思われる集団が出現。都市部に攻撃を加えた模様。平星京市内、旧昭琶京・神戸市内の被害は甚大。直ちに皇国軍を対応に派遣するので、民間人は近くの建物に避難して待機してください】
「神戸も。そんな。お父さん、お母さんが……」
【各地を攻撃中の魔女は新関東帝国の魔女兵器である事が判明――】
【東方クリエースト共和国、SFG独立自治区にも同様の被害が出ている模様――】
「ええっ、関東国が!」
朱音は小声で叫んだ。
瑠璃は画面を凝視しながら呟く。
「新関東帝国は列島四ヵ国の中でも、他と一切の国交を持たなかった国。しかも度々他の三ヵ国とも諍いになってた。魔女兵器の開発を進めているってのは聞いた事があったけれど、まさか『深緑の魔女』のコピーまで……」
【列島各地の被害状況(衛星カメラにて動画撮影) ――スライドして映像を視聴】
瑠璃が端末で映像を再生させると、列島各都市の変わり果てた姿があった。
北の大地、東方クリエースト共和国の首都ソーンツェは蔦に覆われていた。
ロシア建築の球状の塔の教会群も赤黒い蔦に埋め尽くされ、テレビ塔だけが僅かに顔を出している。
西のSFG自治区の福岡・博多ブロックには、五十階建てのビルの高さを超える巨大な剣が無数に突き立っていた。
漆黒の大剣に蹂躙された都市。怪獣映画のミニチュアのようだ。
【たった今、SFG独立自治区の『
首長官邸の映像に切り替わる。針山のごとく巨大な黒い針が無数に突き刺さっていた。
「真っ黒な剣。この魔術は、まさか『
【続いて大日本皇国各都市の被害状況です】
平星京の映像に切り替わった。
平星京が燃えている。
真紅の炎が巨大な舌のようにうねり、京の街を舐め尽くしていた。碁盤の目に並んだ建物は大火に焼かれ、鴨川のほとりには焼け爛れた皮膚を垂らした人々が水を求めて集まる。
「何よこれ。まるで京都原爆の時のフィルムじゃないの」
次に神戸の映像に変わった。
【信じられません。神戸が、旧昭琶京が跡形もなく消えてしまっています】
神戸の街が消滅している。
ひしめき合っていた高層ビルも、湾岸を埋めていた貿易港も、ほうきで掃いたように無くなっている。神戸は荒涼とした砂漠と化していた。
「わたしの家は。お父さんは、お母さんは……どうなっちゃったの」
朱音の街が消えた。住んでいた家も、通っていた学校も、通学路のパン屋も。残骸すら残らない砂礫の粒になっていた。
【中央区、十四万名の安否が不明です。状況から考えると、生存は絶望的かと――】
朱音は地面に膝をつき、画面から目を背けて蹲った。
声を殺して泣く。
こんなの嘘だ。
神戸の街が無くなるなんて。
「都市を消滅させるなんて。こんな魔術を使えるのは、歴史上で一人しかいない」
瑠璃は口の中で呟いた。
【緊急ニュースです。たった今、新関東帝国の
画面は無人の演壇を映し出す。
一本のマイクが設置してあった。その背後には日章旗。映像には時折ブロックノイズが走る。
そして軍服を着た男が演壇に立った。金色の肩章に、首元にも太陽をあしらった襟章が目立っている。
厳めしい顔をした初老の男。
新関東帝国軍、総帥。
一色総帥は野太い第一声を発した。
【これは列島三ヵ国への宣戦布告である】
演壇に拳を叩きつける一色。声の圧力にスピーカーからの音が割れる。
【列島の諸君、思い出してほしい。大東亜戦争の開戦より八十年。この列島四ヵ国の歴史が始まったのだ】
一色は列島の歴史を語る。
大東亜戦争で北海道から宮城・山形・新潟までの東北地域をソ連に占領され、後に東方クリエースト共和国が建国された事。
九州の反社会組織が政府の干渉を拒絶し、SFG独立自治区として独立した事。
【新関東帝国は列島において、他国とは一切関わりを持たない『名誉ある孤立』を貫いてきた。しかし二年前の会談でSFG独立自治区の首長、蔵方怜司が我が国を激しく非難した】
新関東帝国は軍備拡張に国力を注いでいる。
日本列島統一論の下に、他の三ヵ国へも武力行使を繰り返してきた。それをSFG独立自治区の蔵方氏が批判したのだった。
【その後、列島の三ヵ国は蔵方怜司を中心に、新関東帝国に対し軍縮を要求。名目は列島の平和維持だった。我々はそこで三ヵ国を見限った】
一色は再び演壇を叩く。
【思い出すがよい。一九四五年十二月三十日、大日本帝国はアメリカ合衆国と休戦協定を結んだだけに過ぎない。戦いはまだ続いている。戦いのさなかに軍備縮小など笑止千万。それでも三ヵ国の首脳どもは『平和維持』一辺倒。米国からの危機に晒されたまま何が『維持』か】
そして我々は結論に至った――。
そう言って一色は間を空けた。
【武力をもって列島四ヵ国を一つに統べる。大日本帝国は再び一つになり、中国・北朝鮮・ロシアの共産国そして米国に対抗しうる力を手にするのだ。そのための多少の犠牲は厭わない。各主要都市に新型魔女兵器を投入した。我が国の軍事技術が核保有国にも引けを取らぬ事を見せられただろうか】
あの蔦を使役するゴーグルの魔女。
そしてソーンツェ、福岡、旧
あれらは新関東帝国の魔女兵器だった。
【諸君らの軟弱な精神ごと三ヵ国の都市を焦土とする。なに、心配する事はない。我々日本民族は神に選ばれし民だ。神国日本は天照大御神の加護を得て何度でも蘇え――】
遠くから低い風切音が聞こえてくる。
湖の方角からだ。細波のように木々の葉を揺らしながら近付いて来る。ふと顔を上げる朱音。
その身に迫って来る物体を見て、朱音は身の毛がよだった。
「あっ、危ない!」
瑠璃の肩を掴んで地面に組み倒す。
次の瞬間、頭上をプロペラのような音が通り過ぎた。
周りの木々が軋み、一斉に葉を散らしながら倒れる。朱音たちは幹の下敷きにならないように頭を守って丸まった。
一瞬にして木々を薙ぎ倒していった物の正体を再確認し、朱音は息を飲んだ。
特大の鎌だ。
八メートルはあろう真っ黒な刃。それが回転しながら木々を薙ぎ倒してゆく。すり潰された草木の青臭さが鼻を衝いた。
夜空を覆っていた蔦が引き裂かれ、淡い月明かりが注いだ。
湖の方角に人影が見える。
白銀色の長い髪に純白の肌。
何もかもが真っ白な女。
纏っているのは真っ黒なロングコート。新関東帝国の軍服だ。目元にはゴーグル状の機器。
白い魔女はぬるりと顔を向ける。
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