神々の黄昏

第2話 お祖母ちゃんが魔女!?

「えっ。お祖母ちゃんが、魔女?」


 吾妻朱音あづま あかねは目を見開いて祖母を見据えた。


「本当だとも。朱音が中学生になったら教えてやろうと思ってたのさ」


 祖母は今年で九十歳になるが、見た目はせいぜい六十過ぎくらいだ。


「ホントなのかな。アマ」

 朱音は祖母の膝の灰色ウサギの鼻をつつく。眠そうに片目を開けたウサギ。名前はアマ。


「アマは何でも知っているよ。何たって、祖母ちゃんの使い魔なんだからねえ」

「ええっ。このアマが、使い魔だって?」


 アマは不愉快そうに鼻を鳴らす。

 このウサギも朱音が物心ついた頃には飼われていた。


「そんなこと急に言われても、信じらんない」

 朱音は「証拠見せてよ」と突っかかる。

 祖母はにんまり微笑み「もちろんさ」と答える。

「ただし、夜になったらね。今夜は朱音に大切な事を伝えるから」

 今年、四月三十日の事だった。


       ※


 朱音は縁側で夜が来るのを待った。

 ちょっかいを出しにくるアマの長い耳を触る。


 今日は日曜日。

 明日も創立記念日で中学校は休み。

 朱音は連休に嵐山の祖母の家に遊びに来ていた。春から中学生になったのでセーラー服姿を見せびらかしに、一人で神戸から来たのだ。

 首都の平星京へいせいきょうへ来たのだから、四条河原町のOPAに可愛い服を見に行きたい。

 しかし祖母は伏見稲荷神社へ行くと言い出した。しかも日が沈んでから。


「アマって、ホントに魔女の使い魔なの。だったら喋れるんじゃないの」

 アマの尻を指で押すと、ブッと鼻を鳴らした。

 喋らない。

 魔女といえば不思議な魔術を使ったり、変な薬を調合したり、空を飛んだりする女だ。

 この大日本皇国の歴史にも深く関与していると学校で習った。


「あっ、お祖母ちゃん」

 庭先に祖母が現れた。

 よっこらしょ、と漏らして縁側へ座る祖母。

「お祖母ちゃんは魔女なんだよね。どんな魔術なら使えるの」

「そうだねえ。物を壊れにくくするくらいかねえ」

 何それ地味っ、と朱音は顔をしかめる。

「お母さんは知ってるの? お祖母ちゃんが魔女だって事」

「ああ志穂かい。知ってるよ。志穂が子供の頃は、ほうきに乗せて飛んでやったものさ」

 今度聞いてみれば良いさ、と祖母は目を細める。

「伏見に行くんでしょ。早くしないと真っ暗になっちゃうよ」

 ふとスマホで時間を見る。

 もう五時。夕方だ。

 同じ平星京市内だが伏見までは電車一本で行けないので一時間はかかる。祖母は立ち上がって背伸びした。

「良いんだよ。飛んでいけば」


 三十分後、陽は落ち始めて空は赤みがかってゆく。祖母は納屋から埃まみれのほうきを持ってきた。

「本当にそれで行くの」

 何やら小瓶も持っている。

 祖母はおもむろに蓋を開けて指を突っ込む。黒く濁った軟膏らしい。祖母はほうきの柄に軟膏を薄く塗り始めた。

「空を飛ぶための薬さ。材料はベラドンナ、ドクムギ、黒ケシ、赤ケシ、レタス、スベリヒユ、それにカニみそ。本場はネコの脳を使うらしいんだけど、祖母ちゃんはスーパーで売ってるカニで代用してるよ。まあカニみそは脳じゃないんだけどねえ」

 ふうん、と朱音は相槌を返す。

 祖母はアマを肩に乗せ、ほうきを地面と平行に向ける。すると朱音は息を飲んで目を疑った。

 祖母が手を放すと、ほうきが水平のまま浮く。

 祖母は「よいしょ」とほうきの柄に腰掛けた。地面から足を離しても浮いたままだ。

 唖然としている朱音に、祖母は手招きする。

「ちょっと待って、ホントに大丈夫なの」

 おそるおそる跨る朱音。

 ほうきはふわりと浮かび上がった。朱音は短い悲鳴を上げる。あっという間に屋根より高く飛んだ。

 嵐山の町や桂川が小さくなってゆき、平星京の碁盤の町を見渡せた。徐々にスピードを増す。

 それなのに風も感じないし、尻も痛くない。

「朱音。恐くはないかい」

 小さく二度頷く朱音。

 ほうきだけではなく、体そのものが浮いているようだ。スピードも高さもあるのに、不思議と恐怖はない。

「これが魔術さ。昔、賢い魔女から仕組みを聞いた事があるんだけどね。祖母ちゃんはよく分からなかったよ。脳波が何だかんだって言ってたかなあ」

 魔術のメカニズムを解説した書籍もあり、小学校の理科でも少し習った。現代でも列島四国では魔女の研究が盛んに行われているそうだ。


「空を飛ぶなんて、まるで夢みたい……」

「そう。夢なんだよ」


 祖母は伏見山の方角を眺めてぽつりと呟く。

「朱音も夢を見るでしょ。空を飛んだり、手を使わずに物を持ち上げたり、指一本で雨を降らしたり、いろんな夢を。私たち魔女は夢を現実に引っ張り出すんだ。それが魔術さ」

 そう言って祖母はアマの鼻先をくすぐる。

「知ってるかい朱音。今夜は年に一度の『ヴァルプルギスの夜』だよ」


 二人と一羽は伏見稲荷大社に降り立った。

 陽の落ちた神社に参拝客はいない。

「お祖母ちゃん。『ヴァルプルギスの夜』って何なの」

「毎年四月三十日にある魔女たちのお祭りだよ。毎月行われる魔女集会サバトの大規模なやつだねえ」

 祖母は大きなバッグを担ぎ、鳥居の前で一礼してから石段を駆け上がってゆく。祖母は両側に佇む二体の稲荷様にも深々と頭を下げ、本殿の前でも丁寧に二拝二拍手一拝した。

「ここってお稲荷さんの山だよね。魔女のお祭りってこんな所でやるの」

「本場ではドイツのハルツ山地、ブロッケン山に集まるのさ。ゲーテの戯曲『ファウスト』にも出たらしいよ。昔の魔女は『ヴァルプルギスの夜』には裸で参加したんだ」


 やがて千本鳥居までやって来た。

 薄闇の中にどこまでも建ち並ぶ朱色の鳥居。祖母はバッグを下ろして中から小瓶を取り出す。

「これが『ヴァルプルギスの夜』へ参加するための軟膏さ」

 蓋を開けるとツンと鼻を衝く匂いが立ち上った。レシピはセロリの汁、イヌホオズキ、トウダイグサ、トリカブト、牛脂。本当は牛脂ではなく新生児の脂を使うらしい。

「トリカブトって、猛毒じゃないの」

「うちの庭の土で育てたから無毒なんだよ。有毒の物なんてこの国じゃ取れないよ。有毒なのはクリエーストの土で育ったやつじゃないとね」


 東方クリエースト共和国。

 かつて日本列島は一つの国だった。


「首都ソーンツェも、ソ連崩壊までは北海道札幌市と呼ばれてたんだよ。懐かしいねえ」

 祖母なら東方クリエースト共和国が独立する前の、列島北部がロシアに占領される前から知っている。

 祖母はゴム手袋を着けて軟膏を指に取り、鳥居の足元にひと塗りした。

「さあ朱音。行くよ」

 千本鳥居をくぐる祖母。

 朱音もついて行く。

 朱色の中へ飲み込まれてゆく二人。

 どこまでも続く赤い渦。乗り物に酔ったように頭が朦朧とする。目の前に祖母の背中があるのに見失いそう。

 迷子になりそう。


 鳥居の果てが見えた。真っ暗な空間が口を開ける。鳥居を抜けた朱音は言葉を失う。

「どうだい。驚いたかい」

 祖母とアマが得意気に振り返る。鳥居の先には屋敷が建っていた。煉瓦造りの洋館。

「こんなの、前はなかった。お稲荷さんの山にヨーロッパ風のお屋敷なんて、おかしいよ」

 洋館の前に広い庭があって、白いテーブルクロスを敷いた円卓がいくつも並んでいた。篝火が煌々と輝き、庭を照らしている。西洋のホームパーティーみたいだ。

「さっきの軟膏を鳥居の足元に塗ったろ。あれが『ヴァルプルギスの夜』への鍵さ。千本鳥居を門にして『ヴァルプルギスの夜』に繋がる廊下を作るんだ」

 よく分からない、といった様子の朱音。

 祖母は構わずに付け足す。

「祖母ちゃんの家から一番近い門が稲荷大社だったのさ。こういう神聖な山が入口になりやすいんだよ。本場ドイツのブロッケン山だって、標高一一四一メートルもあって一年のうち三〇〇日は霧に包まれている神秘的な場所なんだ」

 要するに、千本鳥居を通っているうちに別の場所へワープした、とでも言うのか。

「ここが『ヴァルプルギスの夜』さ。この世のどこでもない……」


 その時、館から誰かが出てきた。

 ベストに蝶ネクタイ姿の男性。六芒星の紋章を刻んだ黒い冠を被っている。髪は真っ白だが顔立ちは若い。

 男は祖母に向かって手を振った。

「お待ちしておりましたよ。『永久とこしえの魔女』様」

「トコシエの魔女?」

「ああ、祖母ちゃんの二つ名さ。魔術だからねえ」

 祖母は物質の劣化速度を遅らせる魔術を得意とするらしい。地味な魔術の割には格好良いニックネームだ。

「こちらのお子様は?」

「私の孫。今年で十三歳さ」

 男は「ずいぶんと可愛らしい」と朱音を見回す。男のこめかみから角が生えている。牡の山羊のような武骨な角だ。

 訝しく思った朱音は祖母に耳打ちする。

「この人、何なの」

「主催者のサタン様の使いの方さ。運営係の悪魔、バフォメットさん」

 悪魔っ、と朱音は肩を引き攣らせる。

 バフォメットは「何卒お見知りおきを」と慇懃に一礼した。バフォメットは愛想良い笑顔で会釈し、革表紙の厚い本を開いて差し出した。

「お二方。ご署名をお願いいたします」

 滑るような文字で何十人分の名前が書いてある。名簿だ。

 祖母はカラスの羽根ペンを受け取り、さらさらと署名した。祖母は朱音にもペンを差し出した。戸惑いながらも受け取り、朱音も名簿に署名する。バフォメットが名簿を覗いて「ほう」と息を漏らす。

「お孫さんは『永久の魔女』さんと同じ名前なのですね」

 これは大日本皇国の人としては珍しい、とバフォメットは手を叩く。


 朱音は眉をひそめる。

 祖母の名前は東園茜ひがしぞの あかね、その孫の吾妻朱音あづま あかね

 同じアカネだ。


「うちの志穂は私の大ファンだからね。そりゃ娘に私の名前を付けたくもなるものさ」

 そうだったとしても娘に母親と同じ名前を付けるとは、どういう心境なのか。母の思考が分からない。


「ほうら、もう朱音にも見えるだろう」

 署名すると、洋館の前の庭に人影が無数に現れる。暗い色の服を着た女性たちだ。円卓で葡萄酒を飲んだり、絨毯を広げて薬瓶を並べたりしている。ざっと五十人以上はいた。

「あの人たちって、もしかして全員……」

 魔女さ、と祖母は答えた。

 朱音は呆然と庭を見渡す。ぱっと見ただけでは普通の人にしか見えない。祖母のように、魔女は一般社会の中に平然と溶け込んでいるらしい。

「皇国中の魔女が集まってるのかな」

「列島中の魔女だねえ。北は東方クリエースト共和国、南はSFG独立自治区。新関東帝国からの魔女もチラホラいるみたいさ」

 大日本皇国とは国交のない新関東帝国でも、魔女同士での繋がりはあるという。


「お祖母ちゃんは何しに来たの」

 祖母ちゃんはコレさ、とバッグを下ろす。

 朱音とアマが覗き込むと、バッグから土の付いた根菜が出てきた。朱音は短い悲鳴を上げる。根の部分は裸の女性の形をしていた。

「マンドラゴラさ。こっそり裏庭で栽培してたんだよねえ。これを他の魔女に配って、別の道具や薬と交換してもらうのさ」

 男性の裸体をした物もある。バフォメットが顎ひげを撫でて感心する。

「これは豊作ですね」

「アルラウネとも呼ばれるナス科の植物でございます。惚れ薬の材料になる貴重な物です」

「惚れ薬? そんなの本当に効果あるの」

「マンドラゴラの歴史は古く、旧約聖書の『創世記』にも記述がございます。ヤコブの妻ラケルは不妊に悩まされていたのですが、恋ナスビを食べると赤ん坊を身籠ったのです。この恋ナスビこそがマンドラゴラと言われているのですよ」

 悪魔のくせに聖書に詳しい。

 祖母はマンドラゴラを嗅ぐアマを抱き上げる。バフォメットは男性の形をしたマンドラゴラを摘まみ上げ、股間を指で弾いた。

「立派です。自生しているマンドラゴラなら、せいぜい両脚しか生えていないのに、こんなにもはっきりと雌雄の肉体を形作るなんて。さすがは『永久の魔女』様」

「栽培はそれほど難しくないんだけれど、収穫するのが厄介なのさ」

 マンドラゴラは根を引き抜く際に絶叫を上げ、その声を聞いた者はショック死するらしい。

 だから収穫の際にはロープを使って犬に引き抜かせるという。その場合、犬は絶叫を聞いて絶命してしまうのだというのだが。

「じゃあもっと長いロープを用意して、遠くから引き抜いたら良いんじゃないの」

 朱音の意見に、バフォメットと祖母は同時に苦笑した。

「お孫さん。そこに突っ込んでは元も子もありません」

「そうよ朱音。要するにマンドラゴラを引き抜くには、生き物の生命を最低でも一つは犠牲にしなければいけないって事。魔術を使用するには必ずを支払わなければいけない。マンドラゴラは一つの生命を代償にしなければ手に入らないくらい貴重だって事さ」

 ちなみに祖母はヘッドホンで大音量の音楽を聴きながら収穫するらしい。


「バフォメットさん、今夜はどんな方々がお越しですかねえ」

 そうですねえ、とバフォメットは名簿を捲ってゆく。

「ご時世がご時世ですから、新関東帝国からお越しの方は少ないですね。おや、珍しい。SFG独立自治区から『逆十字さかじゅうじの魔女』さんがご出席されております」

 おやおやそれは珍しい、と祖母は手を叩く。

「サカジュウジ?」

「朱音は知ってるかい。『五月の冬』を」

「五月の冬。ええと、何かテレビでやってたような気がするけど」

 十年ほど前、SFG独立自治区の福岡・博多ブロックで起きた異常気象だ。

 瞬間最低気温はマイナス57℃。普段は雪も降らない福岡・博多ブロックが南極並の気温に下がった。

「あれは『逆十字の魔女』さんの魔術で起きた異常気象なんだ」

 ええっ、と朱音は声を上げた。

「『逆十字の魔女』さんとも久しく会っていなかったから、あいさつに行かないとねえ」


 祖母がバフォメットに会釈すると、彼の足元に六芒星の魔法円が現れた。魔法円は紫色の光を放つ。

「それでは、よい夜を……」

 そう呟いて頭を下げると、バフォメットの身体が魔法円に沈むように消えていった。

 朱音はその地面を覗く。そろりと足で踏みつけても、硬い地面があるだけ。

「き、消えちゃった」

「空間転移魔術。エノク魔術の魔法円を使った天使召喚魔術の応用さ。天使や悪魔を呼び出すための魔術なんだけど、それを自分が別の場所に転移するように使う超高等魔術さ」

「そうなの。けっこう簡単そうにやってたけど」

「悪魔のバフォメットさんなら魔法円をイメージしただけで魔術を発現できるけど、人間じゃまず不可能だねえ。転移魔術そのものが超高等魔術なんだから。転移魔術を使える魔女なんて、祖母ちゃんだって三人しか知らないよ」

「三人って、誰」

「『浮雲うきぐもの魔女』『黒鋼くろがねの魔女』それに『劫火ごうかの魔女』。そりゃ、みんなとびきりの魔女さ」


 『劫火の魔女』は歴史の教科書にも載っていた。

 毎年、大東亜戦争終戦時期の十二月になると特番が放送される。

 日本列島が大日本帝国という一つの国家だった頃、敗色濃厚の日本軍に協力し最後まで戦った魔女がいた。

 広島・長崎に続き京都に原子爆弾が投下された後、東京に原爆を投下する計画を阻止した魔女。

 それが『劫火の魔女』だ。


「それじゃ、祖母ちゃんは他の魔女にあいさつしてくるから」

 祖母は大きなバッグを肩に担いだ。

「待ってよ。わたしはどうすれば良いの……」

 そうだねえ、と息を漏らす祖母。洋館の庭を見渡し、「おや」と呟いた。

「祖母ちゃんがいない間、あの子に遊んでもらいなよ。朱音と齢も近そうだ」

 林の奥に湖が見えた。

 湖のほとりに一人の少女が佇んでいる。長い黒髪。ここから見ても美人だと雰囲気で分かる。

「いきなり話し掛けたら嫌がられるかもしれないじゃん」

「子供同士はすぐに友達になれるものさ。心細いのならアマを連れて行けば良いよ」

 祖母が手を向けると、アマが朱音の肩に飛び乗った。

 今まで全く懐かなかったウサギのくせに、祖母の言う事だけはしっかりと聞く。

「じゃあねアマ。朱音の事を、よろしくねえ」

 そう言い残し、祖母は他の魔女たちの集まるテーブルへ小走りして行った。


 朱音は再び林の奥に目を向けた。

 まだ少女の人影はある。

 少女も一人きりだ。

 朱音は腕組みしてしばらく逡巡する。

 話し掛けてみるか。


 洋館の庭に流れる妖艶なメロディ。

 カンテレの奏でる音楽から離れるように林へ向かう。木々を縫って進み、湖のほとりに出た。

 湖面は凪いで、鏡のように月を映し出す。


 少女は一人で湖を眺めていた。

 紺色のブレザーに真っ赤なリボン、私立の学校の制服か。朱音より背が高いから年上かもしれない。

 傍らには金色の瞳をした黒い牡山羊が佇んでいた。

「……あの」

 声を掛けると少女は振り返る。

 朱音の心臓が跳ね上がった。

 彫刻のように整った顔立ち。

 西洋磁器人形ビスクドールのようにきめ細かい肌が月光を浴びて青白く浮いている。背筋が凍るほどの美しい少女だ。

 その姿に圧倒された朱音は、アマを抱き締めて半歩ずつ近寄る。


「いや、わたし。お祖母ちゃんに連れてこられて。退屈してて散歩してたら、君がいたから。何してるのかな、と思って」

「……そうだったの」


 少女は首から砂時計を提げている。さっそく会話が途切れてしまった。

 その時、傍らの黒山羊が喉を鳴らした。

「あっ、そのヤギ可愛いね。ヤギって、変わったペットだね」

「ユウグレっていうの。正確にはペットじゃなく、私の使い魔」

 少女は初めて表情を綻ばせた。

「使い魔って事は、君も魔女なの」

「そうよ。『砂時計の魔女』って呼ばれてるわ」

 名前は佐倉瑠璃さくら るり。朱音も簡単に自己紹介した。朱音より二つ年上らしい。


「その灰色ウサギは、あなたの使い魔なの」

「アマはお祖母ちゃんの使い魔らしいんだ。わたしは魔女じゃないからね」

 そうなの、と瑠璃は抑揚のない相槌を打つ。朱音は瑠璃の近くのベンチに腰を下ろした。

「『ヴァルプルギスの夜』は魔女のお祭りなんでしょ。ええと、瑠璃さんは何しに来たの」

 静かに首を横に振る瑠璃。

「お母さんを探しにきた」

「じゃあ、瑠璃さんのお母さんも魔女なの」

 黙って頷く瑠璃。寂しげに口を開いた。

「私が二歳の時に、死んじゃったんだけど」

 えっ、と声を漏らした朱音。

「それじゃ会えないよ。死んだ人には、もう」

「でも『ヴァルプルギスの夜』に来れば、お母さんを知っている人はいるかもしれない。そう思って、私は毎年ここへ来ている。そういう意味で、お母さんを探しているんだ」

 亡き母の残滓を探す少女、瑠璃。

 その儚げな姿は夜の湖に映えていた。

「瑠璃さんのお母さんはどんな魔女だったの」

 分からない、と瑠璃は温度の低い声で答えた。

「お母さんが魔女だって知ったのは、私が七歳の時。お父さんが教えてくれた。優しくて明るくて、誰よりも自由に生きた人。そんなふうに言ってた」

 そうなんだ、と朱音は頷く。瑠璃は遠い過去に思いを馳せるように溜息をついた。

「お母さんは九州独立戦争で死んだ。砲撃に巻き込まれて、逃げ遅れた女の子を庇って死んじゃった。お母さんらしい優しい最期だって、お父さんは言ってた」

 朱音の相槌に、瑠璃は微かに口元を綻ばせた。

「お母さんは列島中を飛び回る魔女だったの。大東亜戦争以降で分裂した日本を見て回って、何が正しくて何が間違っているのか見極めようとした人」

 それでお父さんと出会った、と瑠璃は言葉を区切った。


「お母さんが何を見ようとして、何をしようとしたのか。私は知りたい」


 瑠璃はユウグレという黒山羊の背を撫でる。

 ユウグレは喉の奥を低く鳴らせた。

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