第76話 ルーシーの青空



「ところで姐さんは、どうして俺たちの仲間になってくれたの?」

「さてね。暇潰しか、気まぐれか」


 ハインリヒとマレーネは貧民窟にある老人の、病院と名の付いたあばら家に居た。建屋の一番奥は老人と助手の生活空間となっており、ある程度のプライバシーは保たれているようである。

 しかし今は様子が違った。老人の使っているベッドには、移民マフィアの若頭が横たわっていたのである。

 しかし、そんな事を気にするような二人では無かった。クルトは調べ物があるというので二人が先に来た病院。そこで暇潰しのように世間話をしていた少年は、ベットに横たわる男の顔を覗き込んだ。


 猿のように小柄で、シワ深い顔。大きな目は元気な時なら愛嬌が感じられたろう。しかし現在の彼の顔には、死相が浮かび上がっている。どうやら若頭と老人は、同郷で顔見知りであったらしい。

「もう一度、ルーシーの広大な麦畑の中で、青空を眺めたかったな」

「まぁ、その身体では無理じゃろ。好き勝手に生きたんじゃ、諦めなさい」

 ハインリヒの隣に座っていた老人の、全く忖度しない返答に若頭は苦笑する。そして血の混じった空咳を繰り返した。弟子である赤髪の少年が、慌てて彼の口元を布で抑える。

「確かにその通りだ。ジーサン、最後まで面倒かける……」

 若頭の言葉が終わる前に、病院の入り口が騒がしくなった。そして居住部位の扉が乱暴に開けられた。


 バタン!


「こちらにウチの組織ファミリーの若頭が、お邪魔していますよね」

 コンシリエーレが薄い扉を蹴り上げて、部屋へと乗り込んで来た。

「何じゃ騒がしい。瀕死の病人が居るんじゃぞ」

 老人の苦情など意にも介さず、彼は部屋の様子をグルリと見渡した。そしてベッドに横たわっている若頭に目を向ける。

「やっと見つけましたよ。こんな所に雲隠れしていたんですか。を何処に隠したんです?」

 掛け布団を剥ぎ、胸倉を掴んで上体を引き起こした。慌てて止めようとしたハインリヒたちの背後から、また別の声がかかる。


「おいおい。瀕死の病人に乱暴するなよ」

 デップリと太ったボスまで、あばら家に踏み込んで来た。彼を見たコンシリエーレは舌打ちを堪えて、若頭を揺さぶる。

を持っているのは、若頭だってのが最近の噂でしてね」

「そりゃ本当か。じゃあコイツの身包み剥いで、確認しないとな。あぁ、ジーサンやネーチャン。これは内輪の話だから、部屋を外してくれないか?」


 老人の部屋である筈なのに、ボスの方が主人然としている。流石の貫禄だった。その後すぐに構成員たちが雪崩れ込んで来る。これでは抵抗するだけ無駄であった。ハインリヒ達は部屋の外へと押し出される。

 部屋の中では乱暴に物がぶち撒けられる音、何か柔らかい物を床に叩き付ける音などが響き続けた。



 十分もしないうちに物騒な音が止み、マフィアたちは部屋から姿を現した。

「チッ! 一体何処に隠したんですかね」

「尻の穴まで探したけど、見つからなかったもんな。本当に持ってなかったのか、他の誰かに渡したのか……」

 探し物が見つからない苛立ちが、彼らの表情を物騒な物に変えている。ふと気が付いたように、ボスの目がハインリヒたちに向かった。彼は感情の籠らない笑顔を浮かべて、無造作に少年に近づく。

「なぁ、アイツから何か預かってないか? あれば出して欲しい。そうでないと、お前らの身包みを剥がさなきゃいけなくなる」

 ニヤニヤと笑っているが、目が全く笑っていない。彼は本気だ。恐らく本当に尻の穴まで探されてしまうのだろう。特に女性であるマレーネの検索は、過酷なものになるに違いない。


「はい! 皆さん、そこ迄です!」


 パチン! と両手を合わせる音がして、安っぽく怪しげな正装を施した小男が飛び込んで来た。そしてハインリヒらの前に立ち滑り込み、マフィアとの矢面に立つ。

「そこから動かないで下さいね。窓から見て頂ければ分かりますが、この建物はイザール騎士団に取り囲まれています。逃げ出せませんからね」

「家宰のクルトじゃないか。こんな貧民窟に何の用だ?」

「これはこれは。移民マフィアのボスさんと、右腕さん。それからその他大勢の方々、ご機嫌如何ですか?」


 クルトはピエロのように大仰な礼をする。毒気を抜かれた様な構成員たちは、ボスに指示を仰ぐ視線を飛ばした。ボスは肩を竦めて、その視線を往なす。

「今、ウチは組織の緊急事態ヤボヨウで忙しいんだ。悪いんだが用件は、後回しにして……」

「私はイザール領主様の御命令で、あなた方を逮捕に参りました」

「はぁ? 何言っているんだ。俺たちを捕まえてどうしようってんだ。牢屋にでも入れてタダ飯を喰わせてくれるのか? 大体、何の容疑で……」


 この世界で犯罪者の逮捕行為は、見せしめの身体刑(鞭打ち刑や四肢の切断など)や、奴隷労働者として働かせる程度しか機能していなかった。牢獄に入れて置くにも施設や、食糧が必要になる。そのような無駄な経費を掛ける余裕は、王都にすら存在しなかった。マフィア構成員に身体刑を処しても、ほとんど更生の期待はできない。

 また彼らを奴隷の身分に落としても逃亡したり、主人に反抗したりで始末が悪かった。その為、マフィア構成員の逮捕は重大犯罪を起こした際の、死刑くらいしか行われなかったのである。

 更にボスやコンシリエーレほどの幹部になれば、賄賂のやり取りなどで。簡単に逮捕などできる訳がないのだ。


「罪状は脱税です」

 

 あっさりと小男は答えた。それから淡々と容疑内容の説明を始める。

「マフィアなんですから、悪い事をするのは当たり前ですよね。暴力装置の一環として領主様も、ある程度は黙認していたようです。でもねぇ。汚れたお金を溜め込み過ぎたようです」

 ボスが秘密裏にイザールで溜め込んでいる正確な預金額を、小男はアッサリと口にする。他に他領地の土地や建物の、不動産などをクルトは指摘して行く。

 更には裏の利権として、街の金貸しの金主になっている事も突き止めていた。これは金貸しに金を借りている人間がいる限り、何もしないでも利息の一部がボスに流れ込んでくる仕組みである。

「他領地の不動産などには、領主様は手を出せません。が、蓄財しているお金の量と裏の利権には大層、ご興味があるようでした。あぁ、それから」


 トコトコと荒らされた部屋へ入っていく小男。余りにも自然な動きで、マフィアたちは止める事すら考え付かなかった。入った時と同様にスンナリと、部屋を出てきて口を開く。

「罪状が増えました。殺人です。これは現行犯ですから、言い逃れはできませんよ」


 クルトは苦い物でも口に入れたような顔を、ボスに向けた。



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