第72話 マレーネの実力
「今日は開店前の客が多いね。店はまだやってないよ。日が暮れてから出直しな。大体アンタたち、金は持っているのかい?」
マレーネはツカツカと足音を点て、男たちの前に立ち先頭の男の胸を指で突いた。髭面の男はヘラリと笑う。
「実はな、大口の儲け話が舞い込んだんだ。今日は、その前祝いって所でな」
「……と、言うことは今は金を持っていないんだね? 帰りな」
彼女はクルリと元の位置に戻ろうとする。男はマレーネの肩に手を伸ばした。
「そう言うなよ。俺の顔を潰さないでくれ。戻って来たらドーンとチップを弾むから……」
ドーン!
男の髭面は、店の床に叩きつけられていた。右腕に激痛が走る。肩にかけた手を取られ、投げを打たれたらしい。
「ぐぁ。いきなり何をしやがる」
「アンタの髭面が、どれだけ潰れても知ったことじゃないわ。金も持たずに此処に来る奴は、客じゃなく敵よ」
マレーネの少し垂れた、愛らしい目尻の瞳が冷たく光った。それを見た髭面の男は、慌てて大声を張り上げる。
「後で払うって、言ってるだろうが!」
「後でと、
男の右腕がミシリと軋む。たまらず彼は連れを睨みつけた。
「何、ボーと見ているんだ。早く助けろ!」
ボキリ
店の中に、嫌な音が鳴り響いた。叫び声を上げて、床を転げ回る髭面の男。
「お、折やがった!」
左側に立っていた天然パーマの男が、マレーネに飛びかかる。彼女は男の顔にソッと手を当てた。
ボフ!
掌から飛び出した極小のファイアーボールが、男の顔と天然パーマを焼く。これまた床を転げ回る羽目となった。残りのスキンヘッドは、舌打ちをしてナイフを投げつける。体勢を整えようとしたマレーネの隙をつく、会心のタイミングの投擲だった。
ドスッ
「クルトさん!」
ハインリヒの絶叫。ナイフは彼女の前に仁王立ちした、小男の左肩に突き刺さる。クルトは肩を押さえて、その場に蹲った。目的を果たせなかったスキンヘッドは、踵を返して娼館を飛び出そうとする。しかし彼の目の前には、大ぶりな女が素早い動きで立ち塞がった。
「店の中でこんだけ暴れて、どこへ行こうってんだい?」
気がつくと彼は周囲を女達に囲まれていた。一人一人は彼より弱いが、誰かに構っている間に取り押さえられ、ボコボコにされるに違いない。彼は抵抗を諦めて、両手を挙げた。女ボスであるマレーネが、彼に近づいて来ている。
「とりあえず、有り金残らず出してみようか?」
スキンヘッドにガッシリと肩組し、マレーネはニッコリと微笑んだ。その笑顔を見て、スキンヘッドばかりか周りの女たちも震え上がる。
結局三人の闖入者は、尻の毛まで毟られて、店の外に叩き出された。唯一怪我をしていない、スキンヘッドが仲間を引きずりながら、必死に娼館から遠ざかろうと足掻き、捨て台詞を残す。
「お、お前ら覚えてやがれ! 月夜の晩ばかりじゃねーからな!」
それを聞いた娼館の女たちは三人組を指差し、ゲラゲラと笑声を挙げるのであった。
「別に助けくれなんて、言ってないんだけどねぇ」
マレーネはクルトの応急処置を終えて呟く。スキンヘッドのナイフは小男が着込んでいた、プロテクターに当たり彼に大きな傷を与えることはなかった。しかし多少なりとも出血はしている。刃に毒でも仕込まれていたら、下手をすれば死んでしまう様な一大事であった。しかし手当は早急に、しかも適切に行われる。
「いや、面目無い。自分の実力も弁えず、ご迷惑をお掛けしました」
クルトは後ろ頭をポリポリと掻き、苦笑する。
「クルトさんは頭脳労働者なんだから、余計な真似をするなよ。まぁ、首から上だけ動けばいいんだから、まだ働けるよな」
ハインリヒは青い顔で悪態を付いた。少年は彼が蹲った後、小男にむしゃぶりつき自分の身体を盾にしたのである。やっている事はクルトと同じであった。
「随分、酷い事を仰る。しかし、終わり良ければ全て良しと申します。皆さんにお怪我が無くて何よりでした」
「……飛んだ茶番だよ。あの三人組も仕込みかい?」
マレーネは白けた顔で小男を見下ろした。キョトンとするハインリヒと、気まずそうな表情を浮かべるクルト。
「姐さん、何言ってんだよ?」
「この御仁の身体付きをご覧。小作りながら鍛え上げた筋肉だよ。これだけ鍛えて居たら、あんなへなちょこナイフ、どうでも凌げる筈さ。あのハゲ野郎がナイフを構えた時からの体捌きだって、素人じゃなかったしね」
「え、それじゃ……」
「この御仁は、わざと自分の身体でナイフを受けたのさ。最も自分の被害が少なくなる、肩のプロテクターに当ててね。あんな雑魚のナイフの軌道を読むなんて、普通じゃ絶対にできない芸当だよ」
「でも、ここに来ることは、話してなかったんだぜ。王宮でクルトさんを娼館なんかに、案内するなんて言えなかったから」
ハインリヒは口を尖らして反論した。マレーネは肩を竦めて小男を睨みつける。
「娼館なんかとはご挨拶だね。しかしそれじゃあ、三人組の仕込みは無かったのかもね。一体、どうゆう心算なんだい?」
「イヤハハ、バレてしまいましたか。流石はハインリヒ君が、推薦するお方です。大した御慧眼ですなぁ」
取ってつけたような笑い声をあげて、小男は頭を下げた。ポカンと口を開ける少年と、鼻を鳴らす美女。
「我が身を捨てて貴方をお守りすれば、貸しを作ると申しますか、お話を聞いて貰い易くなるじゃないですか。あ、でもあの三人組は仕込みじゃないですよ。これだけは誓って言えます」
「……クルトさん?」
「イヤイヤ、ハインリヒ君を脅かそうとした訳じゃないんですよ。ただ説明する時間が無かっただけで……」
「もういい!」
顔を真っ赤にした少年は、ドスドスと大きな足音を立て、部屋を飛び出してしまう。残されたクルトとマレーネは、視線を重ねて肩を竦める。
この後、小男は娼館を飛び出した少年の、曲がった臍を直すのに相当の苦労をするのであった。
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