第71話 クルトの怒り
ボトリ
握り締めていた数本のソーセージを、少年は取り落とした。ポカンとした表情でクルトを見つめ直す。小作りな男は顔を真っ赤にして、下を向いていた。恐らく照れているのだろう。
「……オッサン。アンタ馬鹿だろう?」
「な、何を根拠に、そんな酷い事を仰るのです。大体、馬鹿でイザールの家宰職になんて就けないんですからね」
「火災だか家裁だか知らねーけど、そんな事できる訳ないだろ!」
「何で、そんな事が言い切れるのですか?」
真剣な表情のクルト。馬鹿馬鹿しくなったハインリヒは横を向いて、
「俺を見ろ。それでも足りなかったら、同じようなガキを幾らでも連れて来てやる。この街は腐っているからな。親が居なかったり、その親に叩き売られたガキなんて山ほど居る」
「そこです」
クルトはパシッと膝を叩いた。
「まずは無戸籍児の数的把握から、行わなければなりません。ハインリヒ君。私の計画を手伝って頂けませんか?」
大人や権力者からの目では、弱者の本当の実態を知る事は難しい。それなら目端の効く当事者からの、情報の方が早くて正確だろう。無戸籍児たちが、何に怯え本当は何を欲しているのかなど。必要な情報は少なく限りがない。
ただ彼らを引き取り孤児院へ放り込めば全てが、解決する訳ではないことを小男は力説した。その熱量に少年は軽く引き気味になる。
「大体、何で俺なんだよ」
「貴方は年の割に、しっかりと自分をお持ちです。それに頭の回転も早い。私は人を見る目だけは確かなのですよ」
胸を張るクルト。そしてどうか、計画を手伝って欲しいと、深々と頭を下げた。
「……そんな事できる訳ない」
彼は小さな声で呟いた。それを耳にしたクルトは、顔を赤くして今度は怒り始める。
「やってもいないのに、どうしてできないと分かるのですか。君は悔しくないのですか。私は領地の子供たちが困窮しているのを、見るのが本当に悔しい!」
小男の剣幕と顔を見て、少年は思わず吹き出した。ガキである自分が聞いても、荒唐無稽な話を本気になって語る小男。こんな大人は初めて見た。
「やっぱりオッサン、イカれてるぜ!」
彼は腹を抱え笑い転げた。終いには椅子から転がり落ちたが、それでも涙を流しながら笑い続ける。
少年の笑い声と涙は、それからとても、とても長い間、止む事が無く続いた。
「そうですか。この地区には、このくらいの人数と。やはりスラム化が進んでいる所は、無戸籍児が多い様ですね」
王宮にあるクルトの執務室。彼はテーブル一面に、イザールの地図を広げている。傍にはハインリヒが立っていた。彼が報告する数字や詳細が、その地図に細かな書き込まれていく。
あの時から少年は小男の仲間となった。街のアンダーグラウンドな情報を、彼は次々と拾ってくる。目線が異なるからか、本職の諜報員とは異なる報告が多かった。それが意外と役に立つのである。
「ハインリヒ君、ありがとうございます。今回も大変役立つ情報でした。そういえば、この前の提案は考えてくれましたか?」
「俺が
少年の表情は明るい。食うや食わずやの生活から、曲がりなりにも給料を貰える立場になっていた。
「俺はそんな柄じゃねぇよ。それに今みたいな情報を集めるんなら、貧民窟に住んでいなきゃ信用ゼロだろ?」
「それで身なりも変えないのですね。ご苦労をかけ、申し訳ありません」
小男は深々と頭を下げた。それを見たハインリヒは、胸の前で両手を振る。
「そんな真似、辞めてくれよ。俺たち仲間だろ? それより俺に考えがあるんだ」
少年は子供の作業者を、増員したいと切り出した。
「女の子の仲間が必要だと思うんだ」
いつの時代も初めに犠牲になるのは子供。特に女性である。自分は男であるため、女性の本当に困っている事が、把握できない事が分かっている。しかし女性を仲間にする事が、有益なのは分かっているが問題も多い。
「仲間に入って頂く女の子の、身の安全を確保するのが難しいですね」
「そうなんだよ。クルト様」
「あの、様は止めて貰えませんか。私は只の事務屋で、偉くも何とも無いんですから」
小男は少年を見つめて、眉根を下げる。言われたハインリヒは唇を尖らせた。
「だって、飯も喰わせて貰ってるし、給料だってくれてるじゃないか。上司みたいなもんだろう?」
「イヤイヤ。私たちは仲間です。上司も部下もありません。さぁ、作業を続けましょう」
二人の目はまた、イザールの地図に向かい始めた。
「さて、この建物ですかな?」
二人は貧民窟の一角に立っていた。この辺りはまだ治安の安定した所であるが、危険過ぎて夜に出歩く者などいない地域である。ハインリヒが先に立って歩く先には、派手な外装の娼館があった。
夜になればそれなりに如何わしい外観なのだろうが、陽の光に照らされた建物は言いようのない侘しさを纏っていた。
手慣れた様子で中に入る少年と、興味津々の様子で辺りをキョロキョロと見回す小男。
「こんな時間に何の用だい? ウチが開くのは夕方からだよ」
階上の廊下から、蓮っ葉な口調の声が掛けられる。驚いたクルトが見上げると、金髪碧眼を持つ十代後半の美少女が二人を見下ろしていた。
「マレーネ姐さん、こんにちは。ちょっと話を聞いてもらいたいんだけど」
「何だガキかい。何だか最近この辺りをウロチョロしている様だが、まだ店に揚がるにゃ早すぎるだろう」
「客じゃないよ。この前、話しただろう? クルトさんを連れて来た」
胡散臭そうな表情を浮かべて、マレーネは階段を降りてきた。小男はピエロのように大仰な一礼をする。
「これはこれは、美しいお嬢さん。私はイザール家宰、クルトと申します。どうか以後、お見知りおきを……」
ガシャン!
小男の無駄に長い挨拶が終わる前に、二人が入ってきた扉が乱暴に叩き開けられた。見れば人相の悪い三人組の男が、品の良くない薄ら笑いを浮かべて侵入してきた。
「おい! 酒だ! それからこの店で、一番器量の良い女を連れて来い!」
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