おまけ ハインリヒとクルトさんの話
第70話 二人の出会い
「さぁ、どうだい? この膏薬を使えば、どんな切り傷だって立ちどころに直っちまうぞ!」
煌びやかに着飾った人々が笑いさざめく。地方からこの街に出てきたら、今日が何かの祭日であると勘違いしてしまうほどの賑わいだった。
此処はイザール。
幾つもの国と国境を接する、ダウツ国で有数の国際都市である。現国王の出身地でもある、この街の華々しい表通りから、一本入った裏通り。そこには明日をも知れない貧しい人々が、石畳の上に呆然と腰を下ろしていた。力無い咳を繰り返し、人が通る度に木桶を叩き、中に小銭や食べ物を入れるように催促する。
まさに光と影。
富める者も持たざる者も、それぞれの才覚で生きるために鎬を削る。強烈な
「小僧! 待ちやがれ」
中年の商人が大声を上げて、十代前半の少年を必死に追いかける。シルバーブロンドの髪に、氷のように青い瞳を持つ少年は、皮袋を掴んで軽快に走っていた。逃亡している彼の足には、まだまだ余裕があるようだ。追いかける商人は、ゼイゼイと荒い息で足元が覚束無い。もうしばらく走れば逃げ切れるだろう。
小馬鹿にしたような表情を浮かべ後ろを振り返り、商人の姿が小さくなって行くのを再確認する。
ボスン!
視線を前方に戻した瞬間に、何かに優しく抱き止められた。急いで身体を離そうとするが、どうしても振り切ることが出来ない。
「クソ! 離せ」
「ホホホ。これは元気の良い少年ですね」
三十代の何処かに見える、チョビ髭を生やした男が微笑む。小役人風の正装を纏った小太りな小男で、全てにおいて小作りを追求したような風貌であった。背丈など少年とほとんど変わらない筈なのに、余程の膂力があるのだろう。押さえ込まれた彼は、身動き一つ取れなかった。
「おぉ、すまねぇな。泥棒小僧を捕まえてくれて、助かったぜ」
商人は忌々し気に、少年から皮袋を取り返した。袋の中身は今日の稼ぎである。この中から仕入れの支払いも行う予定だったので、取り返さなければ大赤字の所だった。
「小僧。騎士団に突き出してやるからな。百叩きでも何でも喰らうがいい!」
商人の拳が少年に伸びる。しかしその手は、彼に届かなかった。小男が身体を動かし、少年を庇ったのである。
「まぁまぁ、少し落ち着いてください」
彼はニコニコ笑って、商人に話しかけた。
「こんな小僧を庇うとは、どういう風の吹き回しだ? 何の役にも立たねぇぞ」
「お腹立ちはご尤もです。これは些少ですが……」
商人にソッと銀貨を握らせる小男。複雑な表情を浮かべた商人は、彼の顔と銀貨を交互に眺める。
「大したお大尽様だねぇ。この小僧に、こんな価値があるとは思えないがな」
袖の下の金額に満足した商人は肩を竦めると、二人から離れて行った。
「身銭を切るくらいなら、俺を捕まえなければ良かっただろう。俺はお宝を取り返されて、今晩も飯抜きだ。どこかでもうひと稼ぎしなくちゃな」
「いや、チョットお話がありましてね。お付き合い願えませんか? 私はクルトと申します。君のお名前は?」
「何で教えなきゃいけないんだ」
「だって、お話し辛いじゃないですか」
大袈裟に両手を振る小男を見て、少年は鼻を鳴らす。
「好きに呼べば良い。
「そんな記号みたいな、お名前無いでしょう。そうですねぇ。それでは君の事はハインリヒ君と呼ばせて頂きます」
突然の命名に、キョトンとした表情を浮かべる少年。考えてみればその日一日を生きて行くのに精一杯で、自分の本名など忘れていた。いつも犬コロやクソガキと呼ばれて、それに慣れ過ぎてしまっている。
「……変わったオッサンだな」
「オッサンとは酷い呼び方です。これでもまだ独身なんですけどねぇ。お腹が空いているようなら、近くの食堂にでも参りましょう」
クルトはスタスタと裏通りを歩き始めた。このまま逃げても夕飯の当てが無い少年は、暫くして小男の後を追って歩き始める。
昼食と夕食のどちらとも付かない時間帯に、彼ら二人は席を取った。その食卓には、豪勢な料理が並ぶ。
指の太さでハーブの効いた、茹で立ての小型ソーセージ。酢漬けのキャベツには、カリカリに炒めたベーコンが添えられていた。ジャガイモで作った
初めは警戒していたハインリヒも、ソーセージを齧った瞬間に用心のタガが外れた。パリパリの皮から溢れ出る肉汁。口から溢れても物ともせず、並べられた料理を貪り始める。
「空きっ腹へ急に物を入れると、体調を崩します。初めは良く噛んで、ゆっくり呑み込んで下さい」
ハーブを煮出した茶に、大量の砂糖を放り込んだ物を啜りながら、クルトは注意を促した。それを聞いて少年は鼻を鳴らす。
「俺たちみたいのは喰える時に、腹に溜めとかなきゃ生きていけないんだよ。 ……それにしてもオッサン、変わっているな」
「何がです?」
「ここは居酒屋だろう? 普通はエールや濃い酒を呑むもんじゃないのか」
ハインリヒの指摘に小男は肩を竦める。
「体質的にアルコールが苦手なんです。呑み会は大好きなのですが、小さなコップ半分も呑むと倒れちゃうんですよ」
「何のために金を使って、俺なんかに飯まで食わせるんだ? ……まさかオッサン、変態ペド野郎なのか」
疑わし気な少年の視線を受けて、クルトは両手を胸の前で振り回した。
「イヤイヤイヤ、何を仰るんですか。全然違いますから! 君をお誘いしたのには、ちゃんと訳があるんです」
小男は振り回していた両手を、自分の膝に置くと下を向いて黙り込んだ。チラチラとハインリヒを見ては、何か言いたそうに口をパクパクとさせる。
「笑いませんか?」
「何だよ、気持悪いな。言いたい事が、あるならサッサと言えよ」
クルトは手に持っていたカップを食卓に置くと、背筋を伸ばして少年を見据えた。それから決心したように口を開く。
「私はこの国を ……イヤイヤ、言い過ぎました。少なくともイザールを、良い街にしたいんですよ。困窮で泣く、子供が居ないような街に」
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