第64話 逆襲
ユーシヌス海の色は黒い。
伝説によると遥か昔、地球上全ての生物を皆殺しに出来る聖剣が、存在したそうである。その存在を母なる海の精霊が危惧し、聖剣を奪いユーシヌス海に隠した。その噂を聞きつけ、剣を盗み取るためにモンスターや人間が多数、海に出入りする事になる。
海の精霊は悩み聖剣が見つからないように、青く澄んでいた海の色を黒くした。と伝えられている。
朝日が昇り、海の色がはっきり分かるようになった頃、ユーキの声が海上に響いた。
「アーチャン。やっぱりダメだって」
ザワリ
青年士官は風が変った事を察知した。この海域では朝日が昇るまでは東風が、その後は正反対の西風が吹くことが多い。……しかし、この風は違う。
ザワザワザワ
帆は風を孕んで膨らんでいるのに船が留まった。常識では考えられない事だ。船縁に取り付く青年士官。船壁には巨大な蛸の脚が何本も絡みついていた。
「クラーケン!」
青年士官は大声を上げる。クラーケンとは大蛸の形をした水妖で、全長三十二フス(約十メートル)にまでなる大物モンスターだ。滅多に海上までは浮上せず、深海で暮らす水妖だが、稀に船を襲う事がある。
小舟なら一撃で木端微塵だ。しかし襲って来るのが一体で、大型で頑丈さが売りのこの船なら何とか凌げるかもしれない。
しかし彼らは群れで行動することが多いとされている。早めに船に獲り付くクラーケンを切り離し、この海域から脱出しなければならない。さもなくば船の竜骨を締め折られ船は海の藻屑となり、乗員は水妖達の餌食となるのだ。
彼の声に反応して、船員たちが槍や斧を手に船縁へ殺到する。
ビンッ
その船員の何名かが、弓矢を受けて甲板に転がる。矢が飛んで来た船首の先を見ると、海上で巨大な白馬に立ち乗りした、赤毛の女傑が大弓を弾いていた。彼女が弓を鳴らす度に、バタバタと船員が倒れる。迎え撃とうと弓矢を持った兵士が、船首に向かう。しかし彼らは弓を構える前に、次々と打倒された。
反対の船尾からは大柄な戦士が、水上を滑るようにして接近して来る。舌打ちをした兵士が矢を射かけるが、巨大な戦斧を回転させ、全て海上に叩き落した。船尾に近づくと、その巨体が浮き上がる。
「ヴォジャノーイ!」
大柄な二体の半魚人に押し上げられた巨漢は、空中で身体を一回転させ、猫のようにしなやか動きで甲板に着地する。殺到する兵士を見て巨漢は不敵な笑みを浮かべた。彼の戦斧が唸りを上げる度、船員や兵士は甲板に叩きつけられる。
「な、なんだ。何が起きているんだ!」
弾除けの盾にしようと、ユーキに掴みかかる調教師。しかし彼は足を払われ、見事に顔から甲板に激突する。金髪の偉丈夫が美青年に苦笑を飛ばす。
「お見事。ユーキの狙い通りだな」
「レオン、助けてくれてありがとう。このオジサン、男でも女でもモンスターでも手込めに出来る、ド変態なんだって」
珍しく顔を顰めたユーキは、調教師を指差した。
「そ、それは聞き捨てなりません」
灰色の修道服姿のシスターは、髭面の中年男をロープで拘束する。その後、男の顔をマジマジと見つめた。それからレオン、ユーキの順に視線を飛ばす。
グフッ!
ゾフィアは下を向いて鼻と口を押える。しばらくして何かを、ブツブツと呟き始めた。
「髭面豚野郎に、ねちっこく辱められるユーキさん。それを助けたレオンさんとの絡み合う視線。彼が強めに豚野郎を成敗したのは、嫉妬心からですよね。ええ、分かります。レオンさんだって同じ事がしたいのに、我慢していたのですから……」
半魚人に押し上げられたエルマは乗船した途端、トランス状態に陥っているゾフィアを目の当たりにする。彼女の呟きが耳に入り片手で額を抑える。
「シスター。その癖は、どうにかならないの?」
「……何の事でしょう。報われない哀れな子羊の、せめてもの救いなのですが」
「あぁ、そう…… 話が長くなりそうだから、後にしましょう」
静かであるが圧倒的な迫力の前に、エルマはゾフィアの追及を断念する。
ユーキ達のパーティーがキャラック船の制圧を確信した時、見張り台の上でも動きがある。青年士官がコッソリと見張り台内部に立ち、救援筒に火を点けようとしていた。
(これで僚船に助けが求められる!)
そう確信した青年士官の首筋に、ナイフが突きつけられた。息を呑む彼に向かって、ハインリヒは囁くように話しかける。
「こんな所で、何をなさっているんです?」
彼は青年士官の手から、発煙筒を奪い取る。それからニヒルな口元を歪めた。
「発煙筒は良い考えでした。しかしですねぇ、残念ながらお仲間はもう、花火が見えない所まで進んでしまったのではないですか?」
青年士官はガックリと膝を着いた。
兵士の抵抗は疎らになり始めた。最後まで抵抗を試みたオーク族も、甲板上に銀髪の美女の姿を見た瞬間に戦意を喪失した。調教師は罵り声を上げるが、陸上のモンスターが海上で水妖達に敵うわけもない。
「フン!」
調教の魔術をケルピーに飛ばした。銀髪の美女はフラフラと調教師の傍に近づいてくる。
「ぐふふふ。儂に掛かれば、こんなもんじゃ。さて、ケルピーや。儂のロープを解いてくれ」
ケルピーは右手を髭面の中年男の頬髯に当てた。
ブチブチブチン!
彼女の手には調教師の頬髭が、ゴッソリと握られていた。余りの激痛に甲板で、のた打ち回る中年男。銀髪の美女は、その髭を一息で吹き飛ばす。
「私ら水妖を甘く見るな。余り舐めた事をしていると、お前の髭を全部毟って髭剃りの手間を無くしてやるぞぇ」
このケルピーの一言で、船上における闘争の決着は完全に着いたのだった。
「この大型船を、その人数で操船できるのか?」
青年士官の声に銀髪の美女は、苦笑で答える。
「この私を誰だと思っておるのじゃ。水の上でお前らに出来て、私に出来ぬことなぞ無いわ」
ケルピーが右手を振ればキャラック船の船首は右へ、左手を振れば左へ動き出す。青年士官は目を剥いた。それから船縁へ走り出し、船壁を覗き込んだ。
「……クラーケンか」
「ご名答。わが眷属がおるから、お前らなぞ必要ない。ん? あぁそうか」
クラーケンの脚がフラフラと揺れている。それを見て銀髪の美女は申し訳なさそうに、彼に話しかけた。
「悪いが帆は降ろしてくれるかの。変に力が掛かって船体のバランスが悪くなるそうじゃ」
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