第63話 玉掛け



 卵の移動は、皆が考えていたよりも難航した。何しろ八百五十マーク(約二百キロ)もの重量がある鉛の大甕である。中身の卵と砂の重量を加えれば、九百四十マーク(訳二百二十キロ)にはなる筈だ。

 足場は波で濡れて揺らされ、安定していない。この海域で卵を落としたら絶対回収不可能であるため、作業は慎重に行わなければならない。陸上の移送とは全く勝手が違う為、悪戯に時間ばかりが経過した。


 いつの間にか夜も明け、分厚い雲の切れ目から朝日が登る。明るいところで見るキャラック船は流石の迫力であった。大きさもさることながら、船壁には火矢避けの鉄板が張られ黒光りしている。


 川船の船尾で居眠りしていた、ユーキの顔に日光が当たった。伸びをして周りを見ると多数の船員が四苦八苦しており、キャラック船の上からは調教師が怒鳴り声を上げている。

「いつまで時間をかけているんだ! とっと卵を引き上げろ! それから僚船は国に帰せ。もう目的の物は手に入った。浮かんでいるだけでは経費と時間の無駄遣いだ」


 言いたい放題の髭面の中年男の命令を、能面のような表情で黙々と熟す青年士官。海の男として、この海の守り神であるレビィアタンの卵へ、手を出す事に納得できずにいた。ふと川船に目をやると、ユーキと名乗った青年が手を振っている。

「ねぇねぇ、そっちに余ったロープある?」

「それは船だから幾らでも積んでいるが。どうするんだ」

「そっちの船に、卵を積むのを手伝おうと思って」


 美青年はキャラック船に乗り込むと、次々とロープを引っ張り強度を確認し始めた。それから、パラパラとロープを川船に投げ落とす。

「ちょっと、ごめんねぇ」

 三本のロープを*状に組み、中心に船倉にあった毛布を敷く。鉛の容器を何人かで運び、毛布の上に置いた。

「驚いた。アンちゃん優男の割に力持ちだな」

 船員たちに褒められても、ユーキはヘラヘラ笑っているだけだ。彼の手は黙々と動き、鉛の容器を縛り始める。


「器用に結ぶなぁ。これ何て言うんだ」

「これはねぇ、『玉掛け』っていうんだ。重たい物を持ち上げる時のやり方だよ。これで真っ直ぐ持ち上げられれば良いんだけど、重いからねぇ」

「おいユーキ! 重さはどれ位だ?」

 調教師はキャラックの船縁から顔を出す。

「二百二十キロじゃなかった、うーんとね。九百四十マーク位かな」

「何だ、そんなものか」


 髭面の中年男はパチンと指を鳴らす。彼の後ろから筋肉質で、大きな身体のモンスターが二体現れた。下顎が張り出し牙が見える。額には小さな角が左右に二本生えていた。

「うわぁー、大きいねぇ。なんていう種族なの?」

「こいつらはオーク族だ。頭は弱いが力は強いぞ。お前の細腰なんぞ、片手で締め折ってしまうからな」


 美青年が投げたロープを受け取ると、二体のオークは軽々と鉛の容器を引き上げ始めた。ユーキと青年士官は容器の下部に結びつけたロープを張り、容器の態勢を調整する。

「こんな感じで良いのかな?」

「うん。上手上手。船縁を越える時が、一番不安定になるから気をつけてね!」


 オーク二体の気合の声。フワリと鉛の容器は、キャラック船に積み込まれた。川船とキャラック船の両方から、歓声と拍手が沸き起こる。下部のロープを操作していた青年士官とユーキが海船に乗り込むと、ニヤニヤした調教師が鉛の容器の周りを歩き回っていた。

「鉛が魔の波動を遮るとは。凄い発見だな! ダウツの奴らも侮れん」

「オークって力持ちなんだねぇ。ほとんど二体で引き上げていたみたい」

「どうだ、凄いだろう。力だけでいえば、これより強いモンスターとているが、船上では一番の怪力だろう」


「もっと力持ちがいるなら、その種族を連れてきた方が良いんじゃない?」

 美青年のもっともな指摘に、髭面の中年男は肩を竦める。

「陸のモンスターは大抵、船に乗りたがらん。特に沖に出ると岸に戻せと、大暴れする個体もおる。自分の縄張り以外に行きたくないのだろうな」

「じゃあ、オークは勇気があるんだねぇ」

「そうとも言うかもしれんが実際の所、恐れを感じる知能が無いのかも知れん」

 調教師は小馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。


 ユーキはオークたちの太い腕をペチペチと叩き、フニャリと笑っている。調教されている為、問答無用で人間を襲う事は無いが、この鬼のような見た目である。大抵の人間は好んで彼らに近づきはしない。しかし妖精のように、美しい美青年は物怖じをしなかった。

「凄い力持ちなんだねぇ」

 等と、彼らに話しかけ始めた。オークたちもどう対応するべきか戸惑い、目をキョロキョロとさせている。


 その様子を見た髭面の中年男は、舌打ちをしながら美青年を彼らから引き剥がした。

「余り調子に乗るなよ。調教をかけているとは言え、こいつらは生粋のモンスターなんだからな。奴らの気が変われば、お前なんぞボロボロにされるぞ」

「あ、そうなんだ。ゴメンねぇ」

 フニャリと笑うユーキ。彼を見ていると怒気が続かない事に、調教師は気付く。

「何だか調子が狂うな。ひょっとしてお前、調教師の才能があるんじゃないか? ちょっと部屋に来い。ぐふふふ、色々視てやろう」


 明らかに他の用事がありそうな、悪い笑顔を浮かべて髭面の中年男は美青年の手を引く。アラアラと引っ張られたユーキは、ピタリと足を止める。

「見てもらうのは嬉しいんだけど、卵はどうするの?」

「そんな事、今はどうでも良かろう。ホレ、儂の部屋へ行こう」

 調教師は太くて短い腕を、美青年の肩に回し自分に引き付けた。これが元の世界ならハラスメントの名称が、幾つも付きそうな態度である。


「調教師殿。私もレヴィアタンの卵に、手を付けるのは反対です。どうかご再考を!」

 青年士官は直立不動で髭面の中年男に具申した。キーフ大帝国の軍律において、上官に反対意見を述べるのは違反事項である。良くて営倉行き、悪ければ無礼打ちだ。この場合、彼の上官はキャラック船の船長であるが、調教師は船長より上位の扱いとなっていた。

 その為、青年士官にとって決死の覚悟の意見であると言える。髭面の中年男は面倒臭そうに片手を振った。


「これは儂だけの立案じゃない。本国の上級貴族も関わった大作戦だ。仮に儂が、ハイそうですかと言ったところで、することは変わらん。別の調教師の仕事になるだけだ」

「僕も卵は海に還してあげた方が、良いと思うんだけど」

「お前、儂の話を聞いていたのか? こればっかりはどうにもならん。卵は本国へ持ち帰る」

「どうしても?」

 調教師はユーキに回していた腕に力を籠める。

「どうしてもだ。さぁ、儂の部屋へ行くぞ」

 美青年は短くて太い腕をスルリと抜け出すと、海に向かって声を掛けた。


「アーチャン。やっぱりダメだって」

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