第47話 ケルピーの言い分



「私たちは、こんなに恐ろしい物を運ばなければいけないのですか。自分で言い出しておいて何ですが、見なければ良かったですよ」


 ハインリヒは青い顔をして、額から流れる汗を拭った。ほんの数秒、卵の一部を見ただけで、この衝撃である。運搬容器がなければ目的を達成するために、どれほどの人間が瘴気の犠牲になるのか、想像もできなかった。

 神も仏も勿論、人間ですら信じないハインリヒ。そんな彼でさえ、これは人間が安易に触って良い物ではない事が分かったのである。


 ケルピーの震えは止まらない。心配したユーキが水を飲ませたり、身体を摩ったりし始めた。

「確かに、これはレビィアタンの卵に違いないわさ。この私ですら見ただけで、震えが止まらん有様じゃ。並みの眷属では近づく事すら出来ないねぇ」

 ケルピーはユーキから身体を離すと、フラフラと立ち上がった。クルトを見つめると憎々しげに表情を歪めた。


「こんな物騒な物を、船に乗せて川を流すとは…… 誤って川に沈んだら、ダニューブ川の生き物はどうなると思っておるのじゃ」


 これが今回の旅の秘策だった。陸路を行けばモンスターよりタチの悪い、人間たちの迎撃を用心しなければならない。しかし川の道を行けば多少、遠回りにはなるものの敵対勢力からの襲撃を受ける心配は激減する。

 何より川の流れに沿って進めば手のかかる、動力源としての馬を利用しなくても良くなるのである。少人数で移動を行う際に、この利点は計り知れないほど大きい。


 卵の厄介な性質や取り巻く環境。ハンナの報告を受け取ったクルトは、頭を抱えてこの作戦を絞り出した。厄介ごとには関わらない主義の彼も、少しは本気で動いていたのである。

「イヤイヤ、そうならないためにあなた方へ、お手伝いをお願いしたんじゃないですか!」

 ケルピーの苦言に、クルトは慌てて両手を振った。彼女は鼻を鳴らす。

「手伝う事はやぶさかでないが、私ら眷属には何の利も無いではないか。イザールの住人は労力提供も犠牲と無いとくる。そちらに都合が良すぎるのではないかぇ?」

「イヤイヤ、そんな。物資や人材を集めたじゃないですか! 各国との調整は、これからも続きます。これにも労力や資金が必要なんですよ」


「とにかくこんな恐ろしい物を、川へ流すことを眷属に説明出来ないわい。私は関わり合いになりたくないぞよ」

「今更、何を言っているんですか! これは私たちの国だけの話じゃないんですよ」

 クルトは顔を真っ赤にして言い募る。しかしケルピーは彼に、冷めた目を向け続けた。

「これが隣国の依頼で、ノルマン海に卵を戻すことになったら、お前はどうするのかぇ」

「わが国には関係無い事ですから、遠回りをしてもダウツは、少なくともイザールには入って頂きたくは無いですねぇ…… あっ!」


 慌てて自分の口を押さえるイザールの家宰。ケルピーは冷笑を浮かべる。

「他人の苦労など知った事では無いし、自分が一番可愛い。人間なぞ、そんなものじゃ。だがな、それは我らの眷属や魔族も変わらん。関係のない厄介に私等を巻き込んでくれるな」

ケルピーは震える身体を抑え、川の方へ歩き始める。彼女の最もな言い分に誰も反論をする事が出来なかった。


「アーチャンたちが納得できる、お礼ができれば手伝ってくれるって事かな?」

 ユーキの独り言に、ケルピーは足を止めた。

「一体、お前に何ができるんじゃ?」

「僕に何ができるかどうか分からないけど、希望があれば教えてくれない?」

 ケルピーは口角を上げて、ニヤリと笑った。


「そうじゃのぅ。今、思いつくのは二つある。先ずは眷属たちを納得させる要求じゃ。人間に危害を与えた眷属は仕方ないが、レベルアップの経験値集めの為だけに、ホイホイ弱い個体を狩るのを辞めて貰えんかねぇ?

 忘れているかも知れんが、私らも生きておるし切られれば痛いんじゃぞ」

 ケルピーの提案を聞いて、またもクルトは頭を抱えた。モンスター討伐は冒険者たちの、主たる収入方法だ。これを禁止されると全世界中において、健康で戦闘能力の高い無職が無数に出現することになる。


「約束は出来ません! ですが、イザール領の一部に人間立ち入り禁止区を作ること位であれば、時間をかければ何とか……」

 銀髪の美女は苦笑する。

「確かに、その辺りが落とし処じゃの。自分でいうのも何じゃが、この難問に対して瞬時にそこまでの対案が出せるとは、流石は名高いイザールの切れ者。気に入ったぞぇ。

 さて約束じゃから、始まりと終わりがある。期限じゃが……」

「イザールという都市が存在する間は何とか」

「無理をする事は無い。お主が生きている間だけで良い。 ……もし約束が破られたら、お主に責任を取ってもらうからの」

 ケルピーの流し目を見て、クルトは震え上がった。本気の目だ。問題があったら、一体どう責任を取らされるのだろう。


「もう一つは何?」

「ユーキ。お主は私の友人なのだよなぁ」

「うん、そうだよ」

 ユーキはフニャリと笑った。クルトに注がれていた流し目が、今度はユーキに移った。



「私らの友人関係は、今を持って終わりじゃ。ユーキ、お前は私の稚児になれ」


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