第45話 引越開始



「これは…… レビィアタンの卵。もう一つあったのですか?」

「違うよ。これは親方が作ってくれた偽物レプリカ。これを置いておけば、暫く時間が稼げるでしょう?」

「時間を稼ぐ…… どういうことですか?」

 シスターの問いに、ユーキはフニャリと微笑んだ。

「ハンナさんが言ったんだ。この容器が上手く魔の波動を防ぐことができたら、すぐに卵の引越を始めろって。できるだけ少人数で、できればダニューブ川に到着するまでは、卵がここにあるように見せかけるんだって」

「何で、そんな手間のかかることを……」


「ここからは、私が説明します。申し訳ないんだけど、移動しながらで良いかしら?」

 エルマがシスターの横に立った。ユーキ達は容器を慎重に動かし、甕の口を上向きにした。大急ぎで砂を詰め込み中の卵が動かないように、固定すると鉛の蓋をゴトリと閉じた。

 そのまま輿に乗せて、ゆっくりと移動を始める。ゾフィアも輿に付き添うように歩き始めた。エルマの説明が始まる。


 レビィアタンの卵の引越は、すでに大陸間の国際政治問題に格上げされてしまった事。問題はダウツ国内だけでなく、ユーシヌス海までダニューブ川に隣接する十ヶ国の、共通案件として認識されている。

 卵を海まで帰す事にはどの国も賛成するが、卵が通過することはどの国も拒否する。正に総論賛成各論反対で議論は一向に進まない。更に卵を軍事的に利用できないかと、目論む勢力まで現れた。


「レビィアタンは人間が制御できる、生き物ではないと思うのですが……」


「私もそう思う。この厄介な卵を見れば一目瞭然じゃない。そんな馬鹿な事を考えつくのは、現物を見た事もない教主や貴族達なんでしょうよ!」

 エルマは腕を組んで鼻を鳴らす。ユーキ達が運ぶ輿は砂地の海岸を抜ける。足場のしっかりとした防風林の中に、大型の武装馬車が二台止まっていた。レオンとユーキは一台の馬車に鉛の大甕を詰め込みはじめた。


「そういう訳で、ちょっとユーシヌス海まで行ってくるね。みんなには内緒だよ?」


 ユーキは馬車から手を振る。シスターは彼の手を取ると、自分もフワリと馬車に乗り込んだ。ユーキは小首を傾げる。

「あれ? この馬車は、このままイザールへ向かうから街には戻らないんだ。送れないよ」

「この引越チームパーティには、魔の波動を測定できる人材が居ないようです。私は、お役に立てると思うのですが?」

「シスターの申し出はありがたいですが、貴方には孤児院の運営と教会の仕事があるでしょう」

 レオンが困惑した表情を浮かべる。ゾフィアはニコリと微笑んだ。


「孤児院はホフマン夫妻がいらっしゃいます。教会には私の代わりなど、幾らでもおりますから。しばらくウビイを離れる事は、どこかで手紙でも出して知らせますから、大丈夫です」

 確かに彼女は冒険者パーティーでいえば、Sクラスの施療師ヒーラーだ。普通に参加依頼した時に、どれだけの支度金が必要か想像もつかない。

 以前遭遇した宿り茸ファンガスのようなモンスターが出てきた時、どれだけ心強い事か。シスターがいるだけで、この旅の安全性が格段に跳ね上がる。

「しかし、シスターはウビイの重要人物です。そんな貴方に長い間、街を離れていただく事は貧しい人たちにとって、病院を失うことに……」


「大丈夫です。その問題は手紙に書いて、教会に依頼しておきます。それよりも今回の旅は、酷く難しいものになる予感がします。遠慮なさらず、私を使ってください」

 そんな事より聞きたい事があると、ゾフィアはユーキに詰め寄った。

「な、何、シスター。ちょっと距離が近くない?」

「そんな事は、どうでも良いのです。偽物の卵を持ってこられた、筋肉質の男性はお知り合いですか」

「あ、親方の事? シスター、興味あるの?」


 ユーキがフニャリと笑うと、ゾフィアは両手をモジモジと動かした。


「彼に興味が有るというか…… ユーキさんと、ずいぶん仲が良さそうでしたけど」

「うん。あの大甕は親方の工房で、一緒に造ったんだ。鉛の塊を溶かして鋳造してね。ずっと薪を燃やしていたから、部屋は暑かったなぁ」

「や、やっぱり作業中は薄着で、汗だくだったりしたのですか?」

「う〜ん。金属の液が飛び散ると危ないから、溶かした金属を注ぐ時は、皮の上着を羽織るけど。親方は大体、それ以外の時は上半身裸だったかな」

 ヒィと、息を飲むシスター。瞳が妖しく輝き始める。

「そ、その時、ユーキさんは……」

「そんなに大きな工房じゃないから、傍にいたよ?」


 グフッ!


 妙な咳込みをし、口と鼻を押さえるゾフィア。ブツブツと何かを唱え始めた。何の詠唱かとエルマは耳を傍立てる。

(蒸し暑い部屋で筋肉隆々の大男と、ユーキさんが汗をかきながら作業をしている。ふと彼らの身体が触れ合い、二人の目が合う……  どっちが攻めで、どっちが受けなのですか? ユーキさんが攻めですか。それで大男をヒィヒィ云わすのですね。そうですよね、分かります。 ……あぁ神よ)



 エルマは幸せそうに目を瞑るシスターを見て、ジンワリと痛む頭を押さえるのだった。……これさえなければ彼女は、ウビイで聖女の称号すら手に入れる事ができるだろうに。







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