第44話 特別な容器



 シュルツ商会は空前絶後の忙しさに襲われていた。通常業務に加え安定してきた引越業務も、ソコソコの引き合いを受けている。しかし今回の事件で、それどころでは無くなっていた。

 断れる仕事は断り、どうしても行わなければならない業務は同業他社へ斡旋した。何しろ卵を輸送するために通過を予定している、周辺城塞都市や近隣他国との折衝、人員確保など行わなければならない。迅速に決定を必要とする、契約や業務が目白押しだった。


 カールとレオンは対外的な折衝や業務を行い、ハンナとエルマは商会内の調整や準備に追われていた。特にハンナは奥様方のネットワークを駆使して、領主周辺の思惑を調査する。

 どうやら卵の輸送は政治的な案件に格上げされたらしく、ダウツ国内だけでなく通行予定の国々で大変な騒ぎになっているようだ。それはそうだろう。どこの国や都市だって、この厄介な卵が自国に入って欲しくないに決まっている。


 ルートのコースは幾つか候補が上がっていた。陸路を最短距離でユーシヌス海へ向かう訳だが、山や川を迂回するコースが幾つも想定される。川の増水具合や、山の融雪具合が大きな判断要因となっていた。


 自分の領地を通したくなくて、予定通路を他国へ回そうとする交渉が多発した。この厄介な案件処理をウビイ領主は、シュルツ商会に押し付けて知らん顔を通そうと努力しているらしい。ハンナの微笑が絶える日は無かった。


 そのように忙しい日々を送る人々をボンヤリ眺めながら、ユーキは町の鋳物工房に入り浸って過ごしていた。

 轟轟と火を噴く炉。その熱に溶かされた真っ赤な鉛が、大きな鋳型に流し込まれていく。

「ほら、黒髪のアンちゃん。そんなに顔を近づけると危ねぇぞ」

 オークのようにガッチリとした中年男性職人が、ユーキに注意を促した。一辺が六.四フス(二メートル)ある金属の箱には、ギッシリと砂が埋め込まれている。上部の注ぎ口には、まだ赤い色を残した鉛がゆっくりと冷え、固まり始めていた。


「まだ開けちゃ、駄目かなぁ?」

「まだまだ。ここで焦ると、今までの苦労が水の泡だぞ」

 ユーキは金属の箱の周りをウロウロと歩き回る。苦笑した職人が、パンを一切れ投げて寄越した。

「朝から何にも食ってねぇだろ。それでも食って、冷めるのを待っとけ」

「これ岩塩が練りこんであるんだね。美味しいなぁ」

 大人しくパンを食べ始めるユーキ。工員は、その頭にポンと手を置いた。


「ここは年中暑いから、汗を目一杯かくだろう。塩分やミネラルを補給しないと、倒れちまうからな」

 職人はそう言いながら、塩の浮いた干し肉を齧る。

「見た目は細っこいが、力はあるし何より熱心だ。アンちゃん、仕事が無いならウチで働くか?」

「そうだねぇ……  今の仕事が無くなったら、お世話になるよ」

「シュルツ商会からの紹介だからなぁ。アンちゃんも忙しいんだろう。期待しないで待っているよ。そろそろ枠を外してみるか」


 いそいそと留め金を外し、金属板を取り除くユーキ。ここ数日間の作業補助で、段取りが分かっているのか、木槌を持ち出し砂の塊を叩き落し始めた。中からは青みを帯びた灰色の巨大な甕が現れる。

 甕の中の砂を掻き出す前に、ユーキは同じく鉛で出来た蓋を取り付けてみる。気軽に作業しているが、無垢の鉛製だから滅茶苦茶に重い。しかし彼は軽々と作業を続けていた。


「ピッタリ! さすが親方!」

「まぁ、こんな物は何てこたぁねぇが。俺も久々の大物で楽しめた。代金はシュルツ商会に請求でいいんだな?」

 職人は苦笑しながら肩を竦めた。

「うん、そう。あのね、後一つ作ってもらいたものがあるんだ」

 ユーキは職人を海岸線へ誘った。



 卵が海岸に到着してから、一週間が経過した。魔の波動は徐々に、海岸を汚染し始める。卵から半径百メートル圏内の植物は全て枯れ果て、海水の汚染からか魚が徐々に減り始めた。付近で生活している漁師組合から、クレームが出始める頃合いである。


 夜の帳が下りた新月の夜、卵の周辺海岸が騒がしくなった。ユーキ達が八百五十マーク(訳二百キロ)もの重量がある鉛の大甕を、人力で運んでいる為である。台車を使えば、それほどの労力はかからないが、砂浜のため使うことができない。卵を運ぶために設えた輿に大甕を乗せて、えっちらおっちら移動してきたのであった。


「はい、ストップ! 甕を持ち上げるよ。ゆっくりね。落としてぶつけたら、卵が割れちゃうよ」

 ユーキの先導で、シュルツ家の引越作業員たちが協力して卵に甕を被せた。それを見届けて、シスターが前に出る。胸に手を当て詠唱を始めた。ボンヤリと輝く両手から、光が消える。

 驚いたように目を見開いたゾフィアは、再度、詠唱を繰り返す。その後、懐から測定魔道具を取り出し、何やら作業を始めた。


「驚きました! 魔の波動が、ほとんど測定出来ない程に減少しています!」


 ざわつく作業員達。ヘラヘラ笑うユーキの胸倉を掴んで、エルマがガクガクと振り回す。

「ユーキ! 貴方一体、何をしたの!」

「初めに海岸に来た時、飛んでいる海鳥も死んじゃったのに、卵の近くにあった鉛の容器に入っていた昆虫は平気で泳いでいたでしょう? だから魔の波動って放射能みたいな物かなって思ったんだ」

「放射能って何よ!」

「難しいことは良く分からないけど、核兵器が爆発した後に残る毒薬みたいなものかな? 強い放射能を浴びれば死んじゃうし、弱い放射能を浴び続けても身体に良くないみたい。放射性物質は鉛の容器に入れて運ぶんだ。そうすると放射能が漏れださないんだって。 ね? 魔の波動みたいでしょう」


「ユーキさんの仰る事は半分ほど分かりませんが、これで輸送にかかる労力と安全性が格段に向上されました。早速、領主様に報告を……」

「ゴメンね、シスター。この事は皆に内緒なんだ」


 ハンナさんの命令なんだよね。ユーキは呟いた。そして工房の職人が、別の大物を運んで来たのである。

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