第38話 ダニューブ川の畔にて


 渡河用の艀は、行きの倍以上のスピードで両岸を移動した。どうやら船体の下にケルピーや、配下のモンスターが陣取り、艀のスピードを上げているらしい。更に船上は風に吹かれても、ピクリとも揺れなかった。

「全員、渡り終わったわねぇ。日没にも間に合った。これで半日は時間を稼げたねぇ」


 銀髪の美女はニタリと笑った。ウビイの騎士団や侍女達が慌ただしく、野営準備を始める。ユーキはテント設営を手伝っていたが、ケルピーは片時も彼の傍を離れなかった。甲斐甲斐しくロープを張ることを手伝ったり、テント生地を広げたりしている。


「まぁ明日でお別れだものね。ユーキもアーチャンに付き合ってあげたら」

 エルマにまでそう言われ、ユーキは進退窮まった。夕食が終わり、早めの就寝となる。ユーキの眠るテントにはレオン、オットー、ノアがいた。ケルピーは、そのテントの中にまで入り込もうとしてくる。


「ちょっと! このテントは男性専用だよ。入ってこないで」

「性別の区分けは人間の基準じゃ。私達モンスターには関係ないわい。それに明日から四カ月以上、会えなくなるんだぞぇ。ユーキは寂しくないのかい? 私は寂しいねぇ」

 ヨヨョと泣き真似をするケルピー。見かねたオットーが、テントが狭くなりそうだからと、出て行こうとする。ユーキはオットーに、しがみ付いた。

「僕を見捨てないで!」


「人聞きの悪い。ユーキの夜の安全位、私が護れる。何しろ私は、この辺りで一番高位のモンスターなんだからねぇ」

 いつの間にかスルリとテントに入り込んだケルピーは、当然の様にユーキの近くに陣取った。二人の間に寝ていたノアを、片手で持ち上げて横に退かすと、ピタリと彼に密着する。モンスターの特性なのか彼女の個性なのか、遠慮と羞恥心が微塵にも見られない。

 テントの中にいる他の住人が邪魔であることを、態度で隠そうともしなかった。


「早く寝るが良いぞ。明日は早かろう?」

「ど、どうして僕の耳元に息を吹きかけるの」

「それはね。私の声が、良く聞こえるようにだよ」


「どうして僕の目に、貴方の顔を押し付けてくるの」

「それはね。私の顔が、良く見えるようにだよ」


「どうして僕の両手をギュって握り締めているの」

「それはね。ユーキをシッカリ掴んで逃げられないようにする為さ」


「どうして僕の口に口を近づけて来るの」

「それはねぇ、ユーキの……」


「うるさーい!」

 テントの入り口の布が、乱暴に払われた。月明かりを背にエルマが腕を組んで仁王立ちしている。

「いつまで遊んでいるの! これでお別れだと思って、大目に見ていたら! 静かに出来ないなら、アーチャンは外に出なさい」

「い、いやこれはユーキと別れの親睦をだねぇ。……分かった、外に出るわさ」


 以外にスンナリと、ケルピーはテントの外に出た。彼女の視線の先には、退魔の杖を豪快に素振りしているシスターがいた。

(あんなにゴツイ杖を頭でも喰らったら、いかに私とは言え命が危ないぞぇ)

 素振りの手を止めて、ケルピーにニコリと微笑みかけるシスター。全く目が笑っていないのが良く分かる。それでも銀髪の美女は粘った。


「あぁ、ユーキ。夜中にトイレに行きたいようなら、私に声をかけるが良い。深夜は足元が暗いし危なかろう……」


 ブン!


 退魔の杖が起こす激しい風音。ケルピーはスゴスゴと川へ消えて行った。



 翌日。


 夜明けと共に、馬車隊は出発する。ケルピーは川の畔で彼らが見えなくなるまで、手を振って見送った。馬車の中には寝不足で、フラフラになったユーキが居た。

「ねぇ、ユーキ大丈夫?」

 ノアが心配して、声をかける。

「一晩中、寂しい。川岸に来いって、アーチャンの声が聞こえるんだ。全然眠れなかったよ」

「僕は何も聞こえなかったけど?」


「おそらく思念波をユーキさんにだけ、送ったのでしょう。モンスターとしては大変な高等技術だと思います」

 シスターは感心した様に説明した。ユーキは思い出したように、ツナギの胸ポケットを探った。

「そう言えば借りていた、魔除けのネックレスを返さなきゃ。いつの間にか、音が鳴らなくなっちゃってたけど」

 銀のネックレスを受け取ったシスターは、眉を顰めた。ネックレスの一部に大きなひびが入っている。

「驚いた。魔除けのネックレスが壊れています。近くにいただけで、これが壊れるとは……  ケルピーは本当に魔力の高い、恐ろしいモンスターなのですね」


 シスターの見立てに、ユーキは震えあがった。慌てて左右を見渡すが、誰も彼に視線を合わせようとするメンバーは居なかったのである。

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