第36話 引越しの慣例


 用意万端でウビイの隊列が出発した。程なく城塞都市の大門が見える。事前に触れが回っていたのだろう。沿道には見物客が詰めかけていた。


「チョット、停まって!」


 ユーキの合図で車列が止まった。ユーキが用意していた大きな鏡を、オットーが刃渡り六.五フス(約二メートル)はある、大太刀を背負って先頭を歩き始めた。大太刀の重さは二十五マーク(約六キログラム)あり、常人では両手持ちでも満足には扱えない代物だった。


 ユーキが大門を潜った所で、鏡を空に持ち上げた。その動きに合わせて、オットーが大太刀を、片手で一挙動に引き抜く。まるで小刀でも扱うように軽々と大太刀を振り回すと、ピタリと頭上で刀を停止させる。

 その所作に、見物人から感嘆の声や拍手が浴びせられた。馭者台でクルトが目を瞠る。


「驚いた! イザールの引越作法じゃないですか。今時、流行らないと思って通達していませんでしたが、良く調べた物です。

 大鏡は魔を照らし出し、大太刀はモンスターを打ち倒すと。古臭い迷信かもしれませんが、他都市であるウビイのお姫様もイザールの仕来りを重んじる。これは庶民の好感度が、かなり上がったんじゃないですかねぇ?」


 元の世界の引越でも、実は地方によって様々な仕来りがあった。車で移動する時、絶対バックしてはいけなかったり、初めに糠味噌を新居に入れる風習があるような地方がある。

 場所に拠っては、それらの仕来りが非常に重要視された。従わないと常識がない人間と見なされ、後々の商売に支障をきたす場合があるのである。悠樹は東京から、それぞれの地方に転勤する顧客に依頼されて、トラックの荷台の一番後ろに鏡台や味噌樽を積み込むのだった。

 これは荷台を開けた時に、一番初めに必要な物が取り出せる工夫である。それでも間に合わない時は、ドライバーに無理を言って助手席へ慣例に必要な品物を積み込む時すらあった。


 今回の行動も引越作業を円滑に進めるための、ユーキの工夫であった。このデモンストレーションが功を奏しイザールの地を離れるまで、ユーキ達は陰日向に様々な配慮を得ることが出来たのである。


 カタリーナはイザール城に着くと、直ぐにクルトと共にお披露目の間に移動した。凄味のある美女の登場に、イザール城が揺れる。数段高くなっている王座の横では、気弱そうな王子が愛想笑いを浮かべて彼女を出迎えていた。



 ユーキ達は武装馬車から荷物を降ろし、開梱作業を進めていく。クルトの部下に指示された部屋へ木箱を運び込んだ。籾殻に包まれた件の花瓶は城の外で開梱され、傷一つない状態で取り出される。

「運ぶのを手伝うぞ」

「途中で通路が狭くなっているから、一人で大丈夫」

「おいそれ、二百十マーク(約五十キロ)はあるだろう!」

 レオンに声をかけられた、ユーキはフニャリと笑う。一度屈むと花瓶の括れた所に腕を回し、難なく立ち上がった。


 うぉぉ……


 遠巻きに作業を眺めていた、イザールの守備兵達から驚愕の声が上がる。それはそうであろう。女性の様に華奢な美青年が、自分の体重と同じくらいの荷物を軽々と運んでいるのだから。体格で勝る彼らでも、この巨大な花瓶を一人で傷つけずに運ぶことは出来ないに違いない。


 イザールでの滞在時間は、あっと言う間に過ぎて行った。レオンとエルマはカールに依頼された物品購入に余念が無かった。これは帰りの武装馬車の空きスペースに、ウビイでは手に入れることが出来ない、イザールの特産品を詰め込む為である。


「帰りの馬車が空荷になるのは、勿体ないですよねぇ」


 ウビイを出発する前に、ユーキがカールに提案した案件であった。確かにその通りなので、カールは子供達に膨大な購入物リストと資金を渡したのである。

 その買い物を手伝うため、エルマに腕を引っ張られたユーキは、フラフラと後に着いて来た。

「何よ、元気が無いわね。顔色も悪くない?」

「……良く眠れなくって」

 何でもイザールの街に滞在してから、毎晩の様にケルピーが枕元に立つようになったらしい。そして、こう哀願するのだそうだ。


「ユーキ。友人関係も良いが、貴方がイザールを離れたら会う事が出来なくなってしまう。やはり、私の主となりウビイへ連れて行ってはくれまいか……」


「連れて行ってあげればいいんじゃない?」

「でもねぇ。イザールとウビイじゃ、文化や気候も大分違うし。アーチャンもストレスを感じると思うんだ。それに……」

「何よ? キョロキョロして」

 ユーキはビクビクしながら、エルマに耳打ちする。

「彼女はこの街にいる間、僕がどこで何をしているか、全部分かっているみたいなんだ。今もどこかで僕達を見ているかも知れない……」

「え、それって!」


「……凄く怖い」


 キョロキョロと辺りを見回す二人。彼らから少し離れた建物の影で、銀髪の美女がニタリと笑っていた。

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