第34話 奴隷と主人
世界有数の大都市、東京。その下町の人口密度は日本一高い。老朽化したアパートの中には地権者や所有者の権利が複雑に絡まり合い、塩漬けにされた建物も多かった。特に路地裏の狭小住宅は、工事車両が通行できる道自体が無い。取り壊すことも出来ず、淀んだ空気を未だに吐き出し続けている。
悠樹達は、そんな狭小アパートの引越を地方裁判所から依頼された。住んでいる人がいるのに、強制的に退去させるハードケースである。当然、引越業者ではなく司法公務員や警察官が先に、建物に立ち入った。
「まだ、中に人がいるのかなぁ?」
「荷物を動かせと言われないから、そうなんじゃないか」
アパートの入り口にワゴン車を停め、待機していた悠樹はチリに質問した。チリは咥えていた煙草を、車内灰皿に押し付けると肩を竦める。今回は荷物が少ない関係で、二人だけの作業になる予定だ。
警察や裁判所からの依頼で働ける、引越作業員は限られている。刺青が見える所に入っている者、半グレ構成員や執行猶予中の人員は、当然の様に働く事ができない。見た目がゴツく本職のヤクザの様に見えるチリは、実はインテリで大学も卒業している。もちろん前科も無しだ。
「それなら人を出してから、呼んでくれればいいのにねぇ」
「強制執行してから、時間を置くと面倒事が起きるんじゃないか? 執行官も速攻で片付けたい案件なんだろう。お、人が出て来たぞ」
アパートの玄関から薄い色の作務衣を着た、三人が警官に付き添われて建物から出て来た。若い女性二名と男性一名だったが、化粧気などまるでなくガリガリに痩せて、髪もパサパサで艶が無い。性別や顔つきは違っているのに、不思議と似た雰囲気を持つ若者たちだった。
三人ともボンヤリとした目付きで、空を眺めている。
「何か危なそうな人たちだねぇ」
「余計な事に気を回すな。おら、呼ばれているから行くぞ」
悠樹達はワゴン車を降り、アパートに入って行く。
「うわぁ。何もないねぇ」
アパートの室内は個室の壁をぶち抜き、広いワンフロアになっていた。広い室内には折りたたまれた布団以外、生活感のある物が殆ど見られない。壁の一角が本棚となり、難解な書物や勧誘のパンフレットが詰め込まれていた。
「お金になりそうで別に運んでもらう物には、この札を貼って行きます。それ以外は処分をお願いします」
強制執行係の男性は手慣れた様子で、札を持ち部屋を見回り始める。しかし彼の手は殆ど動くことが無かった。悠樹とチリは黙々と処分品をダンボールに詰め込み始める。
「作業は楽で良いけど、何でこんなに物が無いのかねぇ」
「あ、ここ、新興宗教の道場なんですよ」
執行係が気さくに返事をしてきた。
「何でもお金は不浄な物だから、持っている物は全て道場に献金するのが教義らしくてね」
「うわー。今時、そんなベタな宗教があるんですねぇ」
「今、退去させられた若者たちも、有り金全部貢いでいるんでしょうね。親や親類からも縁を切られているって話だから、これからどうするのかな?」
かなり深刻な内容だが執行係は、まるで天気の話題のように気軽に話す。きっとこんな過酷な仕事を毎日していると、神経のどこかが擦り切れてしまうのだろう。その時、建物の外側から女性の叫び声が響いた。
慌てて外に飛び出す執行係の後に着いて、悠樹達も表に顔を出す。三人の若者が警官達に取り押さえられ、叫び声を上げている。彼らの視線の先には、同じ色の作務衣を着た初老の男性が立っていた。
「
「良いですか、これは法難です。この困難を乗り越える事で、我々の目標にもう一歩近づく事ができるのです」
導師と呼ばれた男は、テンプレートの文章でも読んでいるように、妙に手慣れた口調で若者たちに話しかけた。暫くすると導師だけが、警察の指揮官に促されて、パトカーの中に入っていく。
「あー、あれが教団幹部だね。他の現場でも見た事があるよ」
執行係はイヤなものでも、口に入れたような顔をする。舌打ちしながらパトカーへ歩いて行った。運転席側をノックして、内部の警官に耳打ちする。暫くすると、ニヤニヤしながら戻って来た。
「さて、どうなるかな?」
パトカーのスピーカーからカチリという音がして、声が流れ始めた。
『では、貴方がこの団体の責任者ということで宜しいですね』
『イヤイヤ、私は本部の使い走りといった所です。教祖はこんな下々の所に、足など運びませんよ』
どうやら車内の会話をマイクが拾っているらしい。導師の声が聞こえた事で、若者たちが暴れることを止めた。
『建物接収はもうすぐ完了します。中に居た彼らは、これから生活する場所が無いとの事でした。貴方がたが引き取りますか?』
『もう彼らに資産価値はありません。女性の方も風俗に売る事が出来ない位、体力が落ちています。そちらで対処をお願い致します』
「うわぁー。絵に描いたようなクズだねぇ」
悠樹の独り言に、執行係とチリが肩を竦めて返答する。導師の言い様に指揮官は、二の句が継げないようで沈黙が続いた。
『そういう訳で、私は失礼しますよ。確かに道場は明け渡しました』
パトカーの後部座席扉が開く。初老の男は若者たちへ、慈愛に満ちた笑顔を向ける。当然、彼は直前の会話が、若者たちに聞かれていることを知らない。
「一緒に頑張りましょう。君たちを応援していますよ」
その場にいた三名の若者以外は、化け物でも見るような表情で導師を見つめた。
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