第13話 ハインリヒの厄災



「こっちの話も聞いて貰えるか?」


 レオンは上気したエルマの頭を、ポンポンと叩きながら話し始める。

「ハインリヒがシスターを嵌めようとしていたのには、額面通りではない裏があった」

「彼がシスターと結婚したいんじゃないの?」

「奴はガチガチの独身主義者で有名だ。身内でも妻でも信じられないんじゃないか?」

「凄い人生。何のためにお金を集めているのかねぇ?」

 レオンは肩を竦める。

「さてな。奴はこの街の顔役から依頼を受けて、シスターを嵌めようとしていた。顔役の息子がシスターに偉くご執心でね。ハインリヒが彼女をある程度追いつめた後に、息子が現れ金の面倒を見て、シスターを絆す手筈になっていたようだ」

「兄さん、顔役って?」

「ほら、ヴォルフの所の……」

「完全なギャングじゃない! シスターも大変な人達に目を付けられたわね」


 ヴォルフ一家は城塞都市ウビイにある、暗黒街を取り仕切っている。収入源は飲食店のみかじめ料の徴収、違法薬物やモンスターの売買など、多岐に渡っていた。ウビイだけではなく、ダウツ国中の暗黒街とも交流があるらしい。

 ヴォルフの影響力はウビィ領主にも及んでおり、悪い噂は後を絶たない。


「ヴォルフの息子さんは、ミサの時にシスターを見初めたらしいわよ」

 ハンナも珍しく眉を顰める。影に日向にしつこく誘いを繰り返したらしく、ご婦人方の評判も右肩下がりだ。

「出来損ないの息子はどうにでもなるとして、問題はヴォルフ家の方だな。派手に方を付けると彼らの沽券に関わってしまう」

 カールが腕を組んで眉を顰めた。ユーキが首を傾げる。

「ギャングの沽券を傷つけたら、どうなっちゃうの?」

「陰日向に嫌がらせが始まる。どうしても思い通りにならない時、今回の場合は孤児院に火をつけかねんな」

「僕が居た世界のヤクザや半グレ集団みたいだねぇ。この街に警察はいないの? 彼らは警察には弱かったみたいだけど」

「警察がどういうものか知らんが、街の秩序は騎士団が護っている」

「じゃあ、騎士団に言いつけたら良いのじゃない?」

 カールとレオンが何とも言えない表情を浮かべた。レオンが気まずげに咳払いする。

「騎士団は領主の配下になる。領主はヴォルフ一家とズブズブの関係だから、騎士団は奴らに手を出さない」

「どこの世界も同じだねぇ。どうしたら良いんだろう?」

 ユーキは頭を抱えた。


「私に考えがあるのよ。少し時間を貰えないかしら?」

 ハンナがニッコリと微笑んだ。それを見てカールは氷の塊を、丸呑みした様な表情を浮かべる。ユーキがそれに気づく。

「あれ、カールさんどうしたの?」

「い、いや、何でもない。何でも無いと良いのだが……」



 シュルツ家での打ち合わせから三日後、ハインリヒは覚えのない悪寒に身震いした。悪い予感だ。こんな時には、商売を休んで静かにしているに限る。彼は自分の第六感を強く信じていた。

 この能力が無ければ、これまでの危うい商売を乗り切ることは出来なかった。ヴォルフ一家のバカ息子との会談を終えたら、ウビイの街から離れることも悪くない。さて、どの街に逗留しようか思いを馳せていると、事務所の扉が蹴破られた。


 分厚い扉が派手な音を立てて開く。衝撃が強すぎたのか、蝶番が一つ外れて扉がプラプラと揺れていた。ズカズカと人相の悪い輩が、事務所に入り込んでくる。一番最後に小柄なデブが現れた。三十代後半の、少し薄くなり始めた頭髪が怒りに揺れている。疑り深そうな小さな瞳に、上を向いた鼻。もとは黄色く脂ぎった顔を真っ赤にして、ハインリヒを睨みつける。

 この程度の修羅場には馴れっこの彼は、顔色一つ変えずに慇懃に礼をした。


「これはこれは、ヴォルフ一家の御面々。ご子息様も御来光いただき、恐悦至極に存じます。扉の鍵は開いておりますから、蹴破らなくても結構でございますよ」

「お前、俺を騙したな!」

「はて、何のことでしょう?」

「シスターを横取りして、お前が彼女と結婚しようと考えているだろう」

 バカ息子は彼を指差し、盛大に唾を撒き散らした。ハインリヒは素早く頭を働かせる。

「ひょっとしたら偽契約書の件ですかね? それなら幾らでも挽回できますから……」

「それだけじゃない! これに覚えがあるだろう!」

 執務机に叩きつけられた紙切れを、ハインリヒは拾い上げた。一読して目を見開いた。

「こ、これは一体……」


 紙切れはシスター・ゾフィアに宛てられた恋文だった。書き手の署名はハインリヒになっている。この手紙の中でハインリヒは、非常に甘い文体で熱烈にシスターを求めていた。

 恋文の筆跡および署名は、完全にハインリヒのものだった。無駄であることは分かっているが彼は一応、否定の声を上げた。

「……こんな手紙を私は書いておりませんが」

「これだけじゃない! お前、シスターに資金を援助していたろう。一万Gを渡していたらしいな」

「それは百万Gの契約書を偽造する種銭で……」

「この俺を馬鹿に…… ヴォルフ一家を虚仮にしたな!」

 バカ息子は地団太を踏む。その音が合図だったようで、人相の悪い手下たちがハインリヒに掴みかかろうと近づいて来た。彼は顔色も変えずに肩を竦める。

「一応、確認させてください。今回のご依頼は無かった事となるのでしょうか?」

「お前から話を壊しておいて、何を言っているんだ! おい、お前ら! こいつを家に引っ張って来い。俺たちを馬鹿にしたら、どうなるか身体に叩き込んでやる」


「折角の御招きですが、ちと所用がございまして」

 輩の指がハインリヒの襟元に届く一瞬前、彼は執務机のキャビネットの一つを叩いた。


 ボフン!


 キャビネットとシャンデリアが小さな爆発を起こし、自分の鼻も見えなくなるような黒煙が湧き出て来る。ハインリヒは入り口から、一番遠い壁に体当たりした。壁はクルリと回転し、彼の身体を隠してしまう。内部は階段になっており、人知れず外部に脱出が出来るようになっていた。

「ゲホゲホ。早く窓を開けろ!」

 窓を開け外の風を入れると、煙幕が薄れてくる。執務机の向こう側にいたはずの男が消えていた。バカ息子と輩たちは辺りを見回す。

「ハインリヒ、何処に隠れた! この街に居て、逃げ切れると思っているの……か?」

 身体が思うように動かない。輩たちもバタバタと倒れ始めた。バカ息子は歯ぎしりも出来ずに、床に昏倒してしまう。


「本当はバブルスライムの粉でも仕込んでやりたかったのですが、運が悪いと死んでしまいますからねぇ。あんな馬鹿でもヴォルフ一家の跡取りです。殺してしまっては後生が悪い。

 今回はしびれクラゲの粉末で、勘弁しておきましょう。麻痺が取れるまでの半日で、さて何処まで逃げられますやら」

 馬小屋の奥から姿を現したハインリヒは、秣の中から金貨の入った袋を取り出す。

「しかし私を嵌めるとは、大した御仁もいるものですねぇ。何時か借りは返していただくとしましょう」


 非常事態への備えが十分な効果を発揮した。これも後ろ暗い商売をしている者の宿命と、ハインリヒは苦笑いする。慣れた様子で馬に跨ると、彼は何処へと姿を消した。


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