第14話 ユーキの変身



 ハインリヒが街から姿を消した晩、シュルツ家ではシスター・ゾフィアが夕飯を共にしていた。重厚なテーブルの上には、様々な料理が並ぶ。

 仔牛肉を薄く叩いて揚げ焼きにした肉料理には、大量のジャガイモとレモンが添えてある。マジュラムの香りが効いた、小指サイズのソーセージは何本でも、食べられてしまうくらい美味しい。


 食卓で食前の祈りを奉げたゾフィアが、口を開く。

「ハインリヒさんが失踪しました。これで百万Gの返済は無くなるのでしょうか?」

「さて、偽とはいえ契約書を持ったまま消えたようですから、どうなる事ですか」

 カールは肩を竦める。レバー団子の入ったスープを並べながら、ハンナは微笑んだ。

「ヴォルフ一家と揉め事を起こしたのだから、ウビイに数年は戻って来れないのじゃないかしら」

「一体、何があったのでしょう?」

 ゾフィアが心配そうに質問する。

「何でもハインリヒさんが、シスターに横恋慕していたそうよ。シスターに宛てたラブレターが見つかったのですって」

「ハインリヒさんが、私にラブレターですって? そのような物は頂いたことがありませんが……」

「本当にねぇ。どこから出て来たのかしら?」

 ウフフと微笑むハンナを、気味悪そうにレオンが見つめた。ふと気が付いたように、ポケットから請求書を出す。

「母さん、代筆屋から請求書を預かったんだ。えらく高い金額だけど、これどうしたの?」

「あらあら、ありがとう。凄ーく特殊な代筆をお願いしたの。本当に良い仕事をしてくれたわ」


 ハンナのあどけない笑顔を見て、カールは身震いをする。

「今回の一件から情報を集め始めたのだが、ハインリヒの評判がえらく悪い。これ以上、彼の評価は下がりようなど無かった筈なのだが……」

「何でも、奥様方が噂しているようよ。偽造した契約書を振りかざすとか、ギャングと美女の取り合いをしているとか、余所者の美青年と懇ろの関係だとか」

 ダウツ国周辺では、同性愛は禁異とされている。出産率も低く、モンスター等の外敵も多いため、人口増加の妨げになるからだ。しかし禁じられれば禁じられるほど、興味を持ってしまうのが人間である。例えば、エルマのように……


「最後の噂の余所者って、僕の事かな」

 ユーキは小首を傾げる。ハンナは彼に黒パンを取り分けながら、微笑んだ。

「さぁ、誰の事かしら? でも、ユーキ君の評判は良いわよ。奥様方でファンクラブを作る話まで出ているみたい。貴族の子女にも話が回り始めているようだし」

「本当にユーキさんは素敵です。私たちを救ってくださいましたし、子供にも優しいです」

 シスターの熱っぽい視線が、ユーキに絡みつく。エルマは面白く無さそうに、ユーキの背中を小突いた。僕は何も悪くないのに、とも言わずユーキは肩を竦めて食事に集中する。このような時には何も言わないのが、身を護ることになるのだ。元の世界で体得した、彼の処世術である。


「それじゃあ孤児院は、もう大丈夫なのかしら?」

 エルマがユーキを小突くのに飽きて話し始めた。ハンナは首を振った。

「まだ、ヴォルフ一家の息子さんがねぇ…… お話がこじれて、シスターや子供たちに火の粉がかかるかも」

「その件に付いては、前からハンナに言われて場所を探していた。ホフマンさんの旧宅が空いているそうだ。シスターと子供は暫く、城外に身を隠しておいた方が良いだろう」

 カールは引越の算段を進めていく。シスターは眉根を顰め、ため息をついた。

「大変申し訳ありませんが、引越代金をお支払いすることができません。今日も教会の別の者が子供たちを見てくれていますが、その代償も渡すことが出来ないのです」

「代金については後程、ご相談しましょう。商売は只では出来ませんので」


『父さん!』


 レオンとエルマが同時に、非難の声を上げる。ケチだ守銭奴だと非難されても、カールは全く動じない。これが厳しい商売の現実なのだろう。ハンナはカールを非難せず、彼に向かって軽くウィンクした。

「ヴォルフ家の息子さんの件は任せてね。そうねぇ。二週間もあれば形になるかしら? ウフフ」


ゾワン!


 何やら異様な雰囲気が漂い始めた。全員の目がハンナに釘付けとなる。バカ息子は、ハインリヒと同じような目に合わされるのであろうか? 何となく全員が、哀れな彼の未来を予測し始めた。

 その空気を祓うように、黙っていたユーキが突然、口を開く。

「それなら、今から引越そう。出来るだけ急いだ方が良いよ」

 彼はスプーンを置いて、レオンとエルマに耳打ちを始めた。



 軽い打ち合わせの後、ユーキはエルマの部屋に入る。しばらくエルマのアーでもない、コーでもないという声が響き渡る。十分後、扉が開いた。食堂に残っていた三人の目が大きく見開かれる。食堂の入り口には、エルマの服を着た黒髪の美女が立っていた。

 艶やかな黒髪は後ろで軽く結ばれている。磁器のような白い肌と、アーモンドの形をした大きな瞳。スレンダーな体をシンプルだが、良い縫製の衣服に包んでいた。くるりと一回転すると、スカートがフワリと揺れる。


「お前、ユーキか!」

 レオンが苦い物でも飲み込んだような声を上げた。着付けを施したエルマは未練がましく、彼の服装の乱れを直している。もう少し時間があれば、お化粧だって出来たのになどと、呟いていた。


「これなら僕って分からないでしょう?」


 ユーキはフニャリと微笑んだ。心なしか上気した頬を抱えて、シスターもカクカクと頷いた。


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