第12話 怪しい契約書



「こちらにはこの契約書があるのですから、それこそゾフィアさんの一方的な言いがかりです。さて、これからの事を相談する事といたしましょう」

 彼はゾフィアの肩を抱かんばかりに近づこうとした。二人の間にフラリとユーキが入り込んだ。

「契約書って普通、対になっているよね。シスターは持っている?」

「このような契約書は…… あっ、お金をお預かりした時に、預かり証にサインをしました」

 ハインリヒから逃げるように、建物に駆け込むゾフィア。舌打ちをした彼は、ユーキを頭から足元まで睨め回した。


「君は…… 変わった格好をしているが、女性で間違いないのかな?」

「よく言われるけど、野郎ですよー。ハインリヒさんは悪い人なのですか?」

 一瞬、何を言われたのか理解できず、彼はユーキの顔を見つめた。それから微苦笑する。

「これは失礼した。しかし君も可愛い顔をして、言いにくい事をはっきり言うね」

「僕は昔、散々酷い目に合わされて来たので、悪い人の事は何となく分かるんですよー」

「確かに君なら好事家に高く売れそうな……」

 唇を歪めて微苦笑するハインリヒと、ヘラヘラ笑うユーキ。二人の間に、何やら特殊な磁場が発生し始めた。エルマは、そんな二人を薄気味悪そうに眺めている。

 そのうちゾフィアが預かり証を持って、戻ってきた。確かに預かり証には、一万Gを預かる事が記載されている。ユーキは書類の裏表を見た後、ハインリヒの契約書を見直す。

「やっぱり。これ『写し』ですよね?」


 ギクリとしたハインリヒは、思わず契約書を引っ込めた。エルマは首を傾げる。

「『写し』って何?」

「多分だけど預かり証の下に、この契約書を忍ばせたんだ。間に文字が写る特殊な紙を挟んで。ここを見て」

 ユーキは二つの書類のゾフィアのサインを指差した。

「どんなに書き慣れたサインだって、少しは形が異なるのに、この二つは大きさも形も完全に同じでしょ。それに上のハインリヒさんの署名はインクで書かれているのに、下のゾフィアさんのは鉛筆っぽい素材だよね?」

 それから、と預かり証の裏側を指差す。

「何か黒いものが付いているでしょ。契約書の署名と同じ素材だから、調べれば分かるんじゃないかなぁ」

「何を言っている!」

 ハインリヒはゾフィアの預かり証に手を伸ばす。しかしユーキが間に入り、それを阻む。

「ねぇ、エルマ。この国の詐欺や文章偽造の罪って、重いの?」

「良く分からないけど、被害金額の倍は請求されるのじゃないかしら?」

 百万Gの詐欺なら、賠償金は二百万Gだ。エルマは人の悪い笑顔を浮かべた。途端にハインリヒは無表情になる。


「飛んだ言いがかりだ。仮に何かの間違いであったとしても、一万Gは返してもらう。今日は、これで失礼する」

 ハインリヒは踵を返して、孤児院を後にした。彼の背中にアカンベーをするエルマ。振り返ると、ゾフィアがユーキに抱きついている。

「ちょっと! 何してんの……」


「親切なお金持ちだと思っていたのに、騙されていたなんて…… 」

 急激な展開に目眩を起こして、倒れそうなゾフィアをユーキは支えた。

「親切なお金持ちなんて、この世に居るのかなぁ?」

 元の世界でも、異世界でも通じる真理を呟きながら、ユーキはハンカチを取り出した。そっとゾフィアに手渡す。

「怖かったですよね。涙を拭いてください」

「……ありがとうございます」

 

 その時、孤児院の内扉が開き、子供たちがワラワラと飛び出してきた。

「あっ、シスターが泣いてる」

「シスター、泣かないで!」

「このオレンジの変な奴が、泣かしたんだ!」

 ユーキはゾフィアから離れて、ブルブルと首と両手を振る。

「僕は何もしてないよー」

「悪い事をした奴が、何かしたなんていうもんか! やっつけろ!」

 またも含蓄の深い真理を叫ぶ子供たちに、ユーキは追いかけ回される。オロオロするゾフィアと、いい気味だという表情を浮かべたエルマの周りを、ユーキと子供たちは走り回り続けた。

 


 その日の夕食時、シュルツ家では今回の件の情報を付き合わせていた。

「契約書の件ではビックリしたわ! どうしてユーキは、あんな事を知っていたの?」

 エルマの問いに、ユーキは肩を竦める。

「昔、怪しい芸能事務所に連れ込まれて、契約書に署名させられたんだ。数日後、変な動画を取ることに合意した契約書を持ってこられて……」

「へ、変な動画って、具体的にどんな……」

 思わず前のめりになるエルマの耳元へ、ユーキはコショコショと何かを呟く。一瞬ごとにエルマの顔色は、赤や青に変化する。

「そ、そんな事やあんな事があったら、絶対に忘れられないわね! ……ちょっと見てみたかったけど、そんな魔窟から良く逃げられたこと」

「事務所にはバイトの先輩のチリさんが、同席してくれたんだ。その時に『写し』も教えて貰った」


 ユーキの耳打ちで、エルマが異常に興奮したため、シュルツ家の打ち合わせは一時中断となった。彼女は大騒ぎした後、下を向いてブツブツ何かを呟き始める。

 その姿をシュルツ家の家族とユーキが、痛ましそうに見つめていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る