第2章 怒りを祓う引越

第10話 ひったくりの少年



 レオンとユーキが作成した引越作業料金表は、カールに添削され徐々に力を発揮し始める。この時代の報酬体系は弱い者からは厚く獲り、強い物からは薄く獲ることが一般的だった。

 それを一律料金とし、見積もりの概算を始めに提示することにする。どの位の金額が必要であるかを顧客に示すことが、信用に繋がったらしい。

 途切れ途切れだった引越の依頼が、コンスタントに入ってくるようになった。


「少し人手が足りなくなってきたかなぁ?」


 ユーキは肩を回しながら夕焼けを眺めた。今日の仕事もほぼ終わり、片付け作業に入っている。小物の梱包と開梱を担当する女性作業員は、作業に大分慣れてきたようで無駄な動きが少なくなってきていた。

 エルマも手伝ってくれるが学業優先になるため、レギュラーメンバーとまでは行かない。

「新しい作業員を入れるか?」

「うーん。でも信用できる人が、すぐ入る訳じゃないよねぇ」

「まぁそうだな。親父に声をかけておくよ」

 レオンは馬車の荷台に空の木箱を乗せようとする。その時、足元に少年がぶつかった。音を立てて木箱が石畳に転がる。跳ね起きた少年は物凄い勢いで馬車から離れようとした。


「ダメだよぉ」

 いつの間にか少年の傍にユーキが立っており、彼を優しく抱き上げていた。何とか逃げ出そうとジタバタと手足を動かすが、少年はユーキに抱きしめられ離れる事が出来なかった。

「この子がどうしたんだ?」

「ほらこれ」

 少年が握りしめた革袋をレオンに渡す。彼の顔が引き攣った。

「俺の財布だ。全く気が付かなかった」

「この子、小さいのに手慣れているねぇ。掏摸やかっぱらいは、この街ではどうなるの?」

「常習者なら利き手の切断。初犯なら何十回かの鞭打ちじゃないかな」

「だってさ。どうする?」

 ユーキは震える少年の耳元で囁く。少年は歯を喰いしばって、泣くのを我慢しているようだ。二人は肩を竦める。ユーキは少年を降ろし、屈んで目を合わせた。

「どうして、こんな事するの?」

「……」

 少年は下を向いて何も言わない。レオンは、この少年をどう扱うか持て余している。ユーキはツナギの胸ポケットから銀貨を一枚取り出し、少年の手に握らせた。ポカンとした表情を浮かべる少年。

「何か訳があるのでしょう? これでしばらくは悪いことをしなくても大丈夫かな?」

「おいユーキ、その銀貨は!」

「もしお金が足りなかったら、シュルツ商会のユーキかレオンを訪ねて。出来ることはするから。その代わりもう、悪いことをしちゃ駄目だよ?」

 少年はユーキの目を見つめて、小さく頷いた。それから踵を返して駆け出そうとする。

「あっ、僕はユーキ。君の名は?」

「……ノア」

 夕暮れの石畳に少年の影が、小さくなって消えて行った。


「あの銀貨、ホフマンさんから貰ったものだろう? いいのか?」

「だって僕があげられるものって、あれ位しか思いつかなかったんだもん」

「だから給料を出すって言ったじゃないか」

「えー、でも住まいも食事も出してもらっているから、要らないよ」

「……次にノアみたいのが現れた時は、どうするんだ?」

「じゃあ、銅貨とか小銭を頂戴! そんなに多くは要らないから」

 ユーキはビックリした様に両手を上げた。レオンはガックリと肩を落とす。その後、マジマジとユーキの顔を見つめた。彼は鼻の頭を埃で汚し、ヘラヘラ笑っていた。

「お前は本当に変わっているな。 ……まぁいい、帰るぞ」

資材をまとめ終わった二人は、シュルツ家へ帰って行った。



 翌日は小雨の降る、この地方の季節としては珍しく薄ら寒い朝だった。珈琲に黒パン、チーズとハムの朝食を摂りながら、本日の打ち合わせを行う。

「これじゃ、家具を運んだら濡れちゃうから、大物の運搬は明日にしようか?」

「うーん。だが明日、雨が止むかどうかは分からないしな」

「じゃあ、今日のメインは小物の梱包にして、雨が弱くなったら家具を運搬しよう」

「そうだな。その判断はユーキがしてくれ」

 二人の話をカールとハンナはニコニコしながら聞いている。今の所、遊びに毛が生えたほどの利益しか出していないが、この景気が悪い世の中でそれでも黒字だ。規模を広げれば利益も上がるかもしれない。

 今までレオンは、家業を継ぐより冒険者になりたかったらしく、商売に関心が薄かった。しかしユーキと組んで仕事を始めてから、カールに商売の質問を重ねてくるようになる。その質問も人件費や減価償却の分割方法など、商売の本質に係わる事柄が多い。

 家業の教育にもなるので、カールは大満足だった。


「あの旦那様、お客様が……」

 シュルツ家に住込みのメイドが不審げな顔をして、リビングに入ってきた。

「こんなに早くに誰だね?」

「それが……」

 メイドの後ろから、ノアが顔を出した。雨の中を歩いて来たのだろう。ずぶ濡れになっている。彼の首には乾いたタオルが掛かっていた。メイドも見かねて家の中に入れたのだろう。少年は握りしめた銀貨をユーキに差し出した。

「ユーキ、昨日は御免なさい。このお金は返す! だから助けて!」

「あらあら」

 ハンナとエルマは少年に歩み寄る。タオルで濡れた髪を拭き、濡れた上着を脱がしにかかる。カールは腕を組んでノアを見つめた。

「昨夜話を聞いた少年だね。……これは事情を聴かなければならないようだ」


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