第9話 大切な銀貨



 翌朝のホフマン氏新居に、エルマの姿は無かった。ユーキとレオンは大物家具の設置を完了させ、梱包資材を片付け始める。女性作業員は開梱作業を始めていた。

「エルマちゃん、来なかったねぇ」

 新居にエルマの姿は無かった。エルマの行った作業は、お婆さんに確認しながら、ユーキが処理を進めた。

「昨日の件が応えたかな。まぁ、まだ学生だから、今日は学校なのだろう」


 開梱作業は順調に進み、夕方には引越作業が完了した。本当なら作業終了時間は明日の夕方なのだから、丸一日早く終わったことになる。終業時間には少し早いが女性作業員を帰し、ユーキは空き箱になった木箱を馬車に戻し始めていた。 

 石畳に足跡が響き渡る。振り返ると通りの向こうから、エルマが走ってきた。ユーキは両手を振って声をかける。

「あれぇ、学校は終わったの?」

「今日はサボった! 引越は終わったの?」

「今、片付けの最中だよ」

「間に合った!」

 エルマは、老夫妻の新居へ飛び込んで行った。


「いや、こんなに早く引越が済むなんて思ってもいなかった。割れた食器や無くなった小物も無いようだ。儂らだけではこうはいかん。料金は幾らになるかな?」

「今まで、このような商売がなく、相場が分からないのですよ。一応計算してきたのですが、初めてのお客様ということで、千Gで如何でしょうか?」


 レオンは昨晩、夕食の後にユーキと一緒に旧ホフマン邸で、大急ぎで作った料金表をお爺さんに手渡した。引越や片付けのサービスもない世の中で、そのサービスに対する見積もりや料金表など、存在しない。ウビイの街における商取引の料金形態はアヤフヤであり、その時次第で、請求金額も変動するのが一般的だった。

 料金表の作成を渋るレオンに、ユーキは問いかける。

「仮に料金が前後しても、大体の金額が分かった方が、お客さんも予定を立てやすいでしょう? 幾ら何にかかったか分かった方が、新しい商売では理解してくれる人が多くなると思うんだ」

 初めての仕事だから、少しぐらい間違っていても大丈夫といわれ、レオンは寝るまでの間、書類の前で唸る羽目になった。


 レオン渾身の詳細に目を通した後、お爺さんは微笑んだ。

「良い仕事だ。何にどれだけ費用が掛かるのか、良く分かった。お前さん達の新しい商売は、きっと上手く行くぞ。それではこれで」

 お爺さんが皮袋から金貨を取り出した時、エルマが部屋に飛び込んできた。

「ホフマンさん! これ!」

 エルマが大きめの紙袋をお爺さんに差し出した。お婆さんが受け取り、中を確かめる。

「あらあら、まあまあ!」


 紙袋の中には大振りのストックブックが入っていた。不思議な顔をしながら、二人は冊子を開く。

「……これは」

 中には孫の書いた似顔絵、息子夫婦からの手紙、家族全員で言った旅行先の印刷物などが、整理されて収められていた。聞けば、あの木箱から抜粋して選び出した思い出の品をまとめた物らしい。

 しばらく無言で言葉を探していたエルマは、決心して口を開いた。

「悲しい思い出を忘れて、前を向くことは大切なことです。でもご家族は貴方達だけにでも、覚えておいて欲しいと考えていると私は感じました! 勝手な事をしてゴメンなさい。私は彼らの思い出を捨てることは、間違っていると思います!」

「……勝手なことなんかではないが。おい、黒髪の若いの」

 いつの間にかユーキが部屋に入ってきていた。下を向いて立ち尽くしている。

「どうしてお前さんが先に泣くんじゃ。儂らも、まだ泣いとらんのに」


 ユーキは切れ長の瞳から、ボロボロと涙を流していた。形の良い鼻梁からは、情け容赦なく水鼻が垂れていて、折角の美貌が台無しである。いや、そういう趣向の御仁には御褒美であろうか。

「だって、お爺さん達の気持ちも分かるし、エルマの強さと優しさも分かるんだもの。彼女は昨日の晩から今まで、学校を休んでそれを作ったんだよ、きっと」

 ユーキはツナギの袖で、豪快に涙を拭った。埃まみれのツナギの汚れが、透き通るように白いユーキの顔に一本の線を引いた。


「全く……。儂らが泣くタイミングを失ってしまったではないか。この冊子を返すこともできなくなるし……」

 お爺さんはストックブックをお婆さんに渡すと、エルマの頭に手を置いた。

「本当に、ありがとう。この冊子は大切にする。息子達や孫のことも忘れん」

 お爺さんは皮袋から銀貨を三枚取り出すと、部屋に残っていたレオン達に一枚づつ渡した。慌ててレオンは銀貨を返そうとする。お爺さんは首を振った。

「これは今日の良い仕事に対する対価だ。是非受け取って欲しい」

「しかし、引越料金は既に頂きましたし……」

 レオンが差し出す銀貨を持つ手を両手で包んで、お婆さんは頭を下げた。

「今、私たちが現わせる感謝の気持ちよ。返すなんてしないでね」


「ヴワーン! アリガドウゴザイマジダァ!!!」

 ユーキは鼻水をレオンの肩口に擦りつけながら、涙声をあげた。

「うわっ、汚な! 何すんだ、ユーキ!」

「もうダメ…… 泣き過ぎて気持ち悪い。帰ろう」

「そうしなさい。もうすぐ暗くなるぞ。城内だから大丈夫だろうが、気をつけて帰ることじゃ。今日の仕事ぶりは、知り合いに宣伝しておく。また何かあったら、宜しく頼む」

「……分かりました。本日は大変ありがとうございました」

 三人は深々と礼をして、新居を後にした。目をパンパンに腫らしたユーキを何とか馬車に押し上げて、三人は帰路につく。エルマは握りしめた銀貨を、息を詰めてジッと見つめている。


「ん? どうした、エルマ」

「兄さん、お金を稼ぐって大変なんだね。何気無く使っていたお金だけど、この銀貨は重過ぎて使えないよ」

「そうだな。まぁ、その話はその位にしておけ。ユーキに聞かれたら、また泣き始めるぞ」

 レオンは肩を竦めて、泣き疲れて眠るユーキを見た。エルマも苦笑いする。出会ってまだ大して日は経っていないのに、ユーキの存在は彼らの中にしっかりと根を下ろしていた。

「本当に不思議な人。一体何処から来たのかしら?」

「まぁ、何処から来ても変わらないさ」

「?」

「ユーキは俺たちの友達だ。それは変わらない。そうだろ?」

 

 二人は心の底から微笑んだ。石畳を進む馬車は、優しい夕暮れに包まれて徐々に姿を消して行った。


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