第7話 怪光線老眼鏡

 冬はあっという間にやってきて、行き交う人々の装いはすっかり厚手のものになっていた。

「手、冷たいだろう? 大丈夫かい、サクちゃん」

 町娘サクの雇い主、花屋の店主が声を掛ける。

「はい……でも、サメゾウさんとこのゴム手袋してますから、大丈夫です」

 にっこり笑って言うサクの手には、ピンク色のゴム手袋があった。

 サメゾウの店で、サクが一番初めに買った商品だ。

「お高いですけどねぇ、このゴム手袋」

 その価格、実に市場価格の約十倍である。

「まあ、高いなりに役に立つなら、損した気持ちにはならないねぇ……私の傷も治してもらっているし」

 サメゾウの店のゴム手袋は、サクだけではなく店主の日頃の傷をも癒やしていた。

「まあ、からくりがわからないのが不思議で仕方ないけど、特に害があるわけじゃないし」

 そうだ。この不思議だらけの雑貨を製造、販売しているサメゾウとはいったい何者なのか?

 サクは前回店を訪れた際、えいやっと勇気を振り絞って聞いてみたものの、返ってきたのは自由に想像しろとのことだった。

「サメゾウさんは魔法使いに違いないです……ぜったいそう……じゃなきゃ怖すぎる」

 ぶつぶつとつぶやくサクを気にせず、店主は自分の吐く息で真っ白に曇った老眼鏡を外してゴシゴシと拭いた。

「眼鏡……すぐに曇っちゃいますね」

「まあ、冬になるとね、どうしても曇りやすくなって……仕方ないねぇ」

 店主は人懐っこい印象の苦笑いを浮かべる。

 そう言っているそばから、眼鏡のレンズが白くなり始めた。

「そうですね……眼鏡の曇り止めがあるか、今度サメゾウさんに聞いてきますね」

 サクは、脳裏に無表情のサメゾウを思い浮かべながら微笑んだのだった。


「眼鏡の曇り止めですか?」

 サクから眼鏡の曇り止めの取り扱いがあるか聞かれたサメゾウが言った。

 いつものユニフォーム、執事服と白手袋。それが似合う柔らかな物腰。

 これで表情も柔らかかったら、絶対にファンクラブできてると思うのよね。

 サクはテーブルに置かれた、真っ白なティーカップを眺めながらぼんやりと考えていた。

 そこから漂う湯気からは、甘くスパイシーな香りがする。

 サメゾウは、いわゆるモテ要素満載の青年だ。

 高身長に、すらりとしたボディライン、長い手足。サラリと艷やかな黒髪。同じ色の切れ長の瞳は滅多に笑みを刻まない。だが、整った顔立ちの魅力はそれでも十分に伝わってくる。

「笑わなくても、サメゾウさんにはファンの人がいそうだよな……あれ? サメゾウさん、視力落ちたんですか? 眼鏡なんてかけて」

 やばい……サメゾウさん、眼鏡が似合う……知的度が格段に上がってる!

 今日のサメゾウの無表情の顔には、いつもはない銀縁のメガネがあった。

 サクはドキマギする胸をごまかすかのように俯き、ハーブティーを口に運ぶ。

「いいえ、これはサービスです」

 淡々とした口調で、サメゾウは言いきった。

 気のせいか、そこにはかすかな嫌気が垣間見えた。

「サービス……ですか?」

 サクは、きょとんとした表情かおで首を傾げた。

「執事服には、銀縁メガネが必須だとおっしゃるお客様がいるのです。ですから、度は入っていません」

「なるほど……」

 おそらくそれをリクエストした人は、サメゾウのファン……もちろん女性の……なのだろう。

 う、気持ちはわからなくない……かも……

 サクは、なぜか少しソワソワしていた。

「そういえばサクさん、髪、キレイになりましたね」

「えっ! そ、そうですか!」

 突然無表情のサメゾウに褒められ、サクは頬を赤く染めた。

「これはサメゾウさんとこのシャンプーと、ヘアマスクのお陰です! 正直お高くてつらいけど、仕方がないです!」

 サクはシャンプーとヘアマスクのお試しセットを購入した後、通常品を購入していた。

 使い始めてから二ヶ月近く経つが、パサついていた髪がしっとり、張りと艶が出てきていたし、手に感じる洗髪時の泡もふんわりと優しかった。

「常連の女性のお客様から、髪がキレイになった秘訣を聞かれたりしましたよ」

「そうですか、それは良かったです……サクさんには余計なサービスが必要ないので、本当に助かりますよ」

 サメゾウは淡々とした口調で言った。

「もしかして苦痛ですか? そのお客様サービス」

「苦痛というほどではありませんが、商品を買わずにお茶を飲んで会話して終了となると、ここはサロンではないと言いたくなります」

 サクはその場面を想像し、思わず笑ってしまった。

「サメゾウさんでも、愚痴をこぼす事なんてあるんですね……ん? なにか足元がくすぐったい……」

 ひょい、と足元を見ると不貞腐れたような表情のヒトデがすり寄っている。

「ついに! ヒトデちゃんが私に懐いた⁉」

 サクが喜び勇んでその頭を撫でようとすると、ヒトデはさっと身を翻し主人であるサメゾウの元へ向かってしまった。

「なんだ、懐いてくれたんじゃなかったのか……今度おやつでも持ってこようかな」

 サクは小さくため息を吐きながら、視線をサメゾウに戻した。

「まあ、ごくたまに言いたくなりますね。私の大事な開発や製造の時間を、接客に割いているわけですから」

 サクはその言葉にはっと我に返った。

「そうですよね! す、すみません!」

 サメゾウにとっては、今のこの時間も無駄なものなのかもしれない。

「サクさんはいいんですよ。購入するにしろ、しないにしろ、ちゃんと私の商品の話を聞いてくれる。私が不愉快なのは、話を聞いているふりをして、聞いていない人に対してです」

「あ、それなら良かったです」

 そういうの、わかるんだ……流石だなあ、サメゾウさん……

 サクは、ほっと胸をなでおろした。

「そういえば、眼鏡の曇り止めをご所望でしたね。残念ながら曇り止めはありませんが、曇らない怪光線老眼鏡ならあります」

「怪光線⁉」

 いつも通りの、日常と非日常に役に立つサメゾウ印の雑貨である。

「それ……思いっきり、対モンスター用ですよね」 

「まあ、人間相手に使うと間違いなく火傷しますね。ちなみに曇り止めはどなた用なのですか? サクさんは、眼鏡を掛けていませんよね?」

「あ、はい、お花屋さんの店長さん用です」

「なるほど……では、お花の仕入れなどで町の外に行ったりしますかね」

「あっ……そうか……」

 サクは気づかなかった。

 花屋の店主は時折、隣町に行って花を仕入れることがあるのだ。

「モンスターが出ると困るから、隣町に行く時はいつも用心棒を雇うんだ、って言ってた……てことは、サメゾウさんの老眼鏡、役に立つかな?」

「試しにお持ちしましょう」

 言い、サメゾウは奥の部屋に向かった。そして、五本のメガネを手に戻ってくる。

「度数は+1.0〜0.5刻みで、3.0まであります。レンズには、曇りにくく傷がつきにくい、紫外線カット、ブルーライトカットの加工がしてあります。フレームや弦は、しなりに強い素材を使用しています。日常に役に立つのは、このあたり」

 そして、とサメゾウはメガネのレンズ上部にある小さなボタンを示した。

「このボタンを強めに押すと、怪光線が出ます」

 サメゾウがボタンを押すと、レンズが光り、赤い光線が放射された。

「うわっ! サメゾウさん、テーブルが燃えちゃいますよ!」

 サクは慌てふためいて叫んだ。

「大丈夫です。これはテスターなので、ただの赤い光しか出ません」

「あ、なんだ、良かった……」

「もしお花屋さんのご主人にプレゼントされるなら、レンズの度数を聞いてきてください」

「あ、はい……ちなみに、お値段はおいくらですか」

 サメゾウは、さらりとなにかを書きつけた紙片をサクに手渡す。

 これは……いつも通りのまあまあなお値段……でも、いつもお世話になってる店長さんへのプレゼントだからな……ケチケチしたくないし……

「サクさんは、今日私の愚痴を聞いてくださったので、五%お値引きいたします」

「えっ、ほんとですか! やったあ!」

 サクは思わぬ朗報に、パッと表情かおを輝かせたのだった。

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