第5話 秋祭り

 町を吹き抜けていく風が冷たくなり、じきに冬がやって来ることを告げる。

 これからますます寒さが増していくが、この町では本格的な冬の訪れの前に秋の収穫祭があった。

 この町の人々が信仰している神は複数おり、祈り方や祀り方もその神ごとに異なる。

 秋祭りで人々が感謝と祈りを捧げている神は、豊穣を司る女神だ。

 一年の実りの感謝を女神に捧げ、次の収穫期もまた豊かな実りを享受できるよう願い祈るのが秋祭りの趣旨である。

 サクはこの町で育ち、幼い頃から町をあげて祝うその祭りが年に一度の楽しみであった。

 しかし、今年はそうはいかない。

 なぜなら、アルバイト先の花屋の露店で働くという使命があるからだ。

 初夏頃から働き始めたサクにとっては、露店での接客はこの秋祭りが初である。

「露店めぐりや人形劇……毎年楽しみにしてたんだけどしかたないや、お仕事頑張ろうっと! ……でも、初めてだから緊張するなあ……」

 浮き足立つ町の中央広場の空気に飲まれるサクの表情は、いつもより緊張したものだ。

 そんなサクを見て、花屋の店主は柔和な笑みを浮かべる。

 店主は六十代の、白髪頭に白いひげの男だ。 

「サクちゃん、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。普段と同じようにしてくれればいいんだから」

「は、はい! 頑張ります!」

 サクは若干硬い笑顔を浮かべながら、店から運び出した鉢植えや花束などを並べていった。

 しばらくして祭りの準備が整う頃には、祭り会場に人々の姿が増え始める。それはたいそう賑やかなものだった。

 沢山の子ども達、親子連れ、カップル、老夫婦……通りには様々な人々が行き交い、各々祭りを楽しんでいる。

 サクが働く花屋の露店にも、花束や鉢植えなどを求めるたくさんの客がやってきた。

 気がつけば、サクは休憩をとる暇もなく接客をしていた。だが、時刻が十五時を過ぎると、広場に集まる人々は幾分減ってくる。

 ようやく一息ついて、サクはしみじみと晴れ渡る秋の空を見上げた。

「はあ、忙しかったなぁ……緊張するのも忘れるくらいだった」

「サクちゃん、お疲れ様。ほら、これ買ってきたから少し休憩しなさい」

 店主はサクに労いの言葉をかけ、露店で入手してきたパイと果汁を薄めたジュースを笑顔でサクに示した。

「わあ、嬉しいです! ありがとうございます!」

 と、サクが表情かおを輝かせた瞬間、背後に人の気配が立った。

「こんにちは」

「わあ! いらっしゃいませ!」

 サクは条件反射的に営業スマイルを浮かべ、声の主を振り返る。

 あれ? そういえば今の低くて落ち着いた声は……

「あ、やっぱりサメゾウさん」

 雑貨店のユニフォームである執事服に身を包み、なにやら買い物をした後らしく、サメゾウは膨らんだ紙袋を片手に抱えていた。

「随分たくさん買ったんですね……いったい何を買ったんですか?」

 思わず尋ねたサクに、サメゾウは無言で紙袋から乾燥した小魚が入った袋を取り出して見せた。

 サクの脳裏に、艷やかな白い長毛を輝かせた猫の姿が浮かぶ。不貞腐れた表情が忘れられない、おそらく飼い主のサメゾウにしか懐いていない猫。

「あ、もしかしてそれ、ヒトデちゃんのおやつですか?」

「そうですよ……これ、頂けますか」

 サメゾウは小魚を紙袋に戻しながら、陳列されているドライフラワーのリースを指差した。

 明るい薄紫と鮮やかなブルーの花が全体的に配置され、アクセントとしてところどころに赤い実がデザインされている。

「あ、こちらですね……はい、ありがとうございます」

 サクは少し恥ずかしげに微笑み、リースを手提げ袋に入れサメゾウに渡した。

 それを大切そうに受け取るサメゾウの黒髪を、秋風がフッと揺らして通り過ぎる。

 サクの視線は自然とその様に釘づけになった。

「なにか、気になることでもありましたか?」

 リースの代金をサクに渡しながら、サメゾウは首を傾げる。その表情はいつも通り、無そのものである。

「あっ、いえその……いつ見ても、サメゾウさんの髪ってきれいだなあって……艶があってサラサラしてて……私の髪とは大違い」

 サメゾウからの問に答えながら、サクは段々と体が熱くなってくるのを感じていた。

「あぁ、なるほど」

 俯いてドギマギしているサクの髪の毛を、サメゾウはジッと見つめる。

 色は明るい茶色で、強い癖のある緩やかなウェーブを描く髪。サクは、肩より長く伸ばしたその髪を、今は後ろで一つにゆわいていた。

 留めきれていない部分の髪が、秋風にふわふわと揺れている。

「……傷んでパサついていますね、髪」

「うっ……そんなにはっきり言っちゃいます? でも……はい……そうなんですよ。特に秋冬は空気が乾燥しているからか、いつも以上に髪がパサパサになっちゃうんです」

 サクは、はぁと重苦しいため息を吐く。

「髪質は、シャンプーを変えるだけでも変わってくるものですよ」

 淡々としたサメゾウの言葉に、サクはふと以前お披露目会に参加した時に見た妖毛シャンプーを思い出した。

「あの……サメゾウさんは、あの新作の妖毛シャンプーを使っているんですか?」

「いいえ、私には不必要な成分が入っていますので、あれは使っていませんよ」

「え? じゃあ、市販のを使っているんですか?」

「いいえ、自分用に開発したものを使っています」

「えっ⁉ そうなんですか! そんなのがあるなら、私もそれが欲しいです!」

 サクは思わず叫んだ。髪の毛が伸び、自由自在に操れるという新商品の妖毛シャンプーの利点は、サクには必要ないのである。

「サクさんの髪質と私の髪質は違うと思いますので、私と同じものを使ってもどうかと思いますよ」

「あっ、そう言われてみればそうですよね……私、すごいくせ毛だし、サメゾウさんはストレートぽいし……」

「髪の毛は見た目にとても影響を与えますから、毎日のケアは大事ですね」

「あの、私の髪質に合ったシャンプーを作ってもらうことはできませんか?」

 諦めきれないサクの問に、サメゾウは顎に手を当てて考え込んだ。

「あ、無理にとはいいませんが……サメゾウさんの貴重な時間を奪うのも申し訳ないですし」

「いえ、お力になれそうな品があることに気がつきました……その件はまた後日、こちらにいらした時にお話致しましょう」

 では、とサメゾウはさっと踵を返した。

「あ、はい、またお店に行きますね! ありがとうございました!」

 サクはどこかホッとしながら、遠ざかるサメゾウの背に小さく手を振ったのだった。

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