第4話 毒吐きマスク

 すっかり冷たくなった秋の風が、ゆるやかに店先の通りを吹き抜けていく。

「あぁ、冬が近づいてるなあ……」

 ぼそりと呟きながら、サクは店頭用の花束を準備していた。

 その後ろを、若い男女が楽しそうに語らいながら、通り過ぎていく。

 思わずその背に視線を奪われ、サクはため息をついた。

 彼女は十七歳。恋の一つや二つ、していたところでなんら不思議ではない。

 隣町にお使いに出たまま帰ってこない、幼馴染を探す為、町の外に出る。

 そう決心してから既に半年が経ち、幼馴染と最後に会ってから約一年が経過していた。

 お兄ちゃん……

 その優しい笑顔を、サクは思い出す。

 サクよりニ歳歳上で、近所に住んでいた。物心ついた時からずっと近くにいたし、一緒に遊んだり困った時は互いに助け合ったりしてきた。

 幼馴染は上背も筋肉もあり、力仕事もしていたから、武器や防具もそれなりのものが装備できた。

 この町から隣町までは、徒歩三時間ほどでさほど遠くないし、あまり危険なモンスターは生息していない。

 おかげで、町には様々なものが溢れている。町の外から品物が搬入、そしてこの町からも品物を搬出することができるからだ。

 そういった状況から、幼馴染がお使いから戻らなくなるなど、彼の両親や弟、サクを含めた友人知人は誰一人予想できなかった。

 こんなことになるなら、お使いになど行かせるのではなかった。

 泣き崩れる彼の母親。それを慰めるように寄り添う彼の父。そんな光景を何度も目の当たりにして、サクは胸が押しつぶされそうだった。

 サクは隣町とを行き来している商人達にも、なにか知らないかと聞いて回ってみたが、結局足取りはなにも掴めないままだ。

「サクちゃん、こっち頼めるかい?」

「あ、はい、今行きます!」

 店内からかかる店主の声に、サクははっとして笑みを浮かべた。

 その脳裏には、なぜか無表情の雑貨店店主、シャークサメゾウの顔が浮かんでいたのだった。


 あたたかな湯気をたてるティーカップが、かたりと小さな音をたてる。

 白い湯気と共に漂う、甘く少しスパイシーな香りがサクの鼻孔に届いた。

「いつものお茶と、違うんですね」

「えぇ、最近少し冷え込むようになってきましたのでね。体が温まる効果のある、ハーブをブレンドしているんですよ」

 日常でも非日常でも役に立つ、が売り文句の日用雑貨店店主、シャークサメゾウが言った。

 そのユニフォームはいつも通りの執事服で、すらりとした長身のサメゾウに、とても似合っている。

「あ……そうなんですか……細やかな心遣い、私も見習いたいです」

 サクが店内に案内された時に渡された、大判の膝掛けにしてもそうだ。

 以前サメゾウは、自然に笑顔を作れないから接客は不得意だと言っていた。

 でも、サメゾウさんはサメゾウさんなりの接客スキルを持っている。笑顔をつくれないから、ダメではないんだ……

「それで……今日は、どのようなご用件で?」

 サクの正面の椅子に腰掛け、サメゾウはサクをじっと見つめた。

「あの……最近寒くなってきたので、あったかくなるようなグッズなんて、あるかな……って思って……」

 そのサメゾウの視線から逃げるように、サクは俯いた。

「……秋冬向け商品は、いくつかありますが……」

 サメゾウは、サクの問いに答える。

「その前に、なにか私に話したい事があるのではないですか? この店に来た当初の目的である、旅にも出ていないようですし」

 さすがサメゾウさん……するどいわ……

「そうなんです……旅に……出てないんです……片道たった三時間の、旅なのに」

 自嘲気味な笑みをうっすらと浮かべ、サクは話し始める。

「行方不明になっている、私の幼馴染の話……サメゾウさん、覚えていますか?」

「ええ、覚えていますよ」

 頷くサメゾウの膝に、いつものように不貞腐れた表情のヒトデが飛び乗り、そこで体を丸めた。

「異性か同性かで、ニュアンスが違ってきますね。私はあまりそういった詮索は好きではないので、しませんでしたが」

「二つ歳上の、私にとってはお兄ちゃんみたいな人で……大切な、人なんです」

 なぜか胸がドキドキして、顔が熱い。

 こんな話をして、サメゾウさんはさぞかし迷惑しているだろうな……でも、どうしても話してしまいたい。

 サクは自分の行動を止められなかった。

「兄のように思っていた気持ちが変化して、恋になったと……そう解釈して良いですか?」

「……はい……」

 そうなんだけど……サメゾウさんにはっきり言われるとなんだか恥ずかしい……でも……

「私、絶対にお兄ちゃんを探し出してみせるって、あんなに意気込んでいたのに……最近、良くわからなくなってきちゃって」

 私……本当にお兄ちゃんのこと、好きなんだろうか?

 今振り返って考えてみても、行方不明当時と比べ、幼馴染のことを思い出す回数は明らかに減っている。

「なるほど……それは、あなたが幼馴染の彼を思い出すのを忘れるほど充実した日々を過ごしている、とは考えられませんか? それは、けして悪いことではないと思いますよ。それに、彼のことを完全に忘れていないから罪悪感に駆られているのでしょうし」

「その……私、薄情なんじゃないかなって……」

「あなたが彼をどうでもいいと言うのならば、薄情とも言うのでしょうが、あなたは彼を大切に思う心を失っていない。ただ、日々の新しい記憶や感情の中で、ぼやけているだけです」

 だから、とサメゾウは言った。

「彼を探す旅に出ることをためらっているとしても、あなたはけして薄情ではありません。他の誰がなんと言おうと、あなたは自分の気持ちを信じてください」

 サクはテーブルから視線をあげ、サメゾウの黒く切れ長の瞳を見つめた。

 冷たい……ような……でも、今は少しだけあたたかく感じる……気のせいなんだろうけど……それに、なんだか話せてすっきりしたような気がする……

「サメゾウさんは……ほんとに大人ですね……」

 返す言葉が見つからず、しばらく探してようやくサクはぽつりと呟いた。

「まあ、伊達に歳は重ねていませんよ」

「……そういえば、サメゾウさんはおいくつなんですか?」

「……企業秘密です」

「……」

 ズルい答えだ。嘘でも、二十歳くらいとか答えればいいのに。

「サクさんはまだまだ若いですからね……色んな感情を味わうといいですよ」

「……はあ……っていうか、私の名前、なんで知ってるんですか」

 すっかり冷たくなったティーカップに口をつけながら、サクは訪ねた。

「以前言ったように、お花屋さんのご主人から聞いたのですよ」

「でもそれ、だいぶ前の話ですよね……」

「得体のしれない異性に、自分の知らないところで名を知られたら、気味悪いと思うでしょう?」

「はあ、まあ、そうかもしれませんね」

「あなたは今日、あなたにとって大事な話を私にしました。だから、あなたの名を口にしたのです」

 あぁ、そういうことか……信頼度の問題ね……

「さて、気持ちは落ち着きましたか? 秋冬雑貨のご紹介はどうしましょう?」

「あ、はい、ぜひ聞きたいです」

「では、毒吐きマスクなどいかがでしょうか?」

「毒吐き……マスクですか?」

 サクは思わず想像した。

 毒々しい花のようなモンスターが、牙の生えた大きな口から毒の息を吐く様を。

 旅の必携書に載ってたのよね……この町の近くにも出没するって書いてあったから、よく覚えてるもんね。

 そのモンスターが吐く毒の息を吸うと、痺れたり呼吸困難に陥ったりするらしい。

 え……まさか、あれを吐けるようになるとか……ありえる……サメゾウさんの造ったマスクなら……

「マスクには、保湿や保温効果、風邪や花粉予防などの効果があります。日常で、これからの季節は特によく使われますよね」

 サメゾウの言葉に、うんうん、とサクは頷いた。

 サクも毎年、風邪が流行る時期と花粉が飛ぶ時期にはマスクを装着していた。

「非日常時……つまり、モンスターや不審者に対しては、吐く息を毒にして吹きかける事ができます。ただし、かなり肺活量がないと遠距離からの攻撃は難しいです。遠距離攻撃に使いたい場合は、予め風船などに貯めておくなどの使い方をオススメします」

「サメゾウさん……私、あまり非日常的な使い方はしないかもしれないです」

「私がサクさんにこの商品をオススメしたいポイントは、もう一つの効果の部分です」

 ん? サメゾウさんとこのマスクには、第三の効果があるのか……

「もう一つの効果ってなんですか?」

「自分で生み、自分を苦しめる毒を吐くのです」

「自分で自分を苦しめる毒?」

 いったいなんの話だろう? いまいちピンとこない。

「胸の内に貯めた、言葉にしにくい思いのことですよ」

「えっ……それ、さっき私があんな話をしたから……」

 サクはギョッとして、顔を赤らめて俯いた。

「いいえ、言葉にしにくい思いとは、なにも恋愛に関してだけではないでしょう? 例えば、常日頃接客業をしていてちょっとしたストレスなどを感じたことはありませんか?」

「あぁ……そう言われてみれば……まあ……ある、かなぁ?」

「無意識の内に貯まるそれを吐く事ができるのが、当店の毒吐きマスクです」

 特殊だ……あまりに特殊すぎる……ということは当然……

「あの……ちなみに、お値段はおいくらなんでしょうか?」

「今、パンフレットと実物をお持ちします」

 トッと、ヒトデがサメゾウの膝から飛び降りる。

 しばらくすると、サメゾウが奥の部屋から紙片と色とりどりのマスクを手に戻ってきた。

 サクはまず、手渡された紙片に目を通す。

 ……あ、予想してた値段より安い……

「この耳に掛ける紐に、小さなボタンがついています。このボタンを押すと、毒吐きモードになります」

 サメゾウは、実際にそれを示しながら言った。

 ボタンは小さく、赤と青の二つがあった。

「赤が、対モンスター・不審者用、青がストレス発散用です。赤を押すと、痺れ成分の毒を吐くようになりますので、押し間違えのないように」

「はい、わかりました」

「色は、白・黒・クリーム色・ピンク・ラベンダー、五色あります」

「あの……サメゾウさん」

 おずおずと、サクは切り出した。

「今日みたいに……サメゾウさんに話を聞いてもらえたら、このマスクの毒吐き機能、いらないですよね……」

「確かにそうかもしれませんが、あまり頻繁に来られても困りますので、こちらのマスクをご利用ください」

 やっぱり、そうですよね……

「じゃあ、ラベンダーとクリーム色のマスクを一枚ずつください」

 サクは微妙な感情を胸に抱きつつ、肩にさげたバッグからそっと財布を取り出したのだった。

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