第3話 妖毛シャンプーお披露目会
サクの周りには、人が一人もいなかった。
その状況に、サクは少々居心地の悪さを感じている。
サクは、シャークサメゾウの店の新作である、妖毛シャンプーのお披露目会に来ているのだ。
三択ある日程の内、サクは一番最後の日を選んで店を訪れていた。
前回店を訪れた際、サクの他にも客はいると思わせるようなサメゾウの発言があった。
自分以外の客がいることに、ほっと安堵していたサクだったのだが……
あれ……嘘だったのかしら……
サメゾウが奥の部屋から出てくるのを待っている間に、サクの胸には前回のサメゾウの発言を疑う気持ちがじわじわと湧き上がってくる。
傍らに置かれたティーカップからは、くゆりと白い湯気が立ちのぼっている。
空中で霧散する煙と共に広がるハーブの香りは、いつもと同じかすかな甘さと頭がすっきりとするようなものだった。
「お待たせしました」
低い声音が聞こえ、サクはハッと視線を上げる。
そこには不思議な雑貨店シャークサメゾウの店の主、サメゾウの姿があった。
いつもの無表情にいつものユニフォーム。
ちなみにユニフォームとは、彼のこだわりでもある執事服だ。
白手袋を嵌めたサメゾウの手には、ラベルが何も貼られていない白いボトルがあった。
あれが、妖毛シャンプー……
サクはドキリと胸を高鳴らせた。
きっとあのシャンプーは、妖しい香りがするに違いない。そして、そのシャンプーで洗髪するとほのかに香るその匂いで、モンスターが近寄らなくなるとか……
サクは自分なりに、妖毛シャンプーとはどういったものか、あれこれ予想していた。
「こちらが、新作の妖毛シャンプーです」
いつものようにサクの正面の椅子に座り、サメゾウは無表情で白いボトルを紹介し始める。
「こちらは、髪にとても優しい成分でできています。市販のものは洗浄力が強すぎて、髪の毛に必要なものまで落としてしまいますが、こちらにはその心配がありません。手肌にも優しいです」
サメゾウの言葉に、うんうんとサクは頷いた。
日常でも非日常でも役に立つ雑貨。それがサメゾウの店の取り扱い商品だ。
「では次に、非日常時のお勧めポイントを……こちらを使いますと、髪の毛を自分の思うように伸び縮みさせ、操ることができます。モンスターへ遠隔攻撃をしたい時、両手が塞がっている時などに、大変便利です。香りは、柑橘系をセレクトしました」
サクの思考回路が固まった。
髪の毛が……なんだって?
「私の説明では、少々わかりにくいかと思いますので、実際にお試し頂くのが早いかと」
「お試し?」
「洗髪台がありますので、お試し頂けます」
うーん、とサクはうなった。
「そのシャンプー使ったら、ずっとそのままなんですか?」
もし使ってみて、その効果が嫌なものだった場合、持続性があると困ってしまう。
「髪の毛の操作可能時間は約十二時間、香りは約二十時間、保湿は直射日光にあたる時間の長さなどの状況により、変わります」
サメゾウはサクからの問に対し、丁寧に説明したのだが。
サクにとって一番の問題はシャンプーの香りや保湿の持続可能時間ではなく、サメゾウの店特有の効能の持続可能時間のことだ。
サクは真っ白な壁に掛けられた、アンティーク調の時計を見た。
現在、時刻は十六時だ。
先ほどサメゾウは、髪の毛の操作可能時間は約十二時間と言った。ということは、今使うと明日の四時に効果が切れるということだ。
「あの……さっき、自分の思うようにって言ってましたけど、本当ですか? 勝手に髪が伸びたりしませんか?」
「しませんよ。先程、私は自分で使ったばかりです。どうです、髪、伸びていないでしょう?」
「サメゾウさん、自分で使ったんですか! じゃあ、実演してくださいよ!」
「いいですよ」
サメゾウがあっさりと頷くと、その艷やかな黒髪が伸び、テーブルの端に置いてあったティーポットを掴んだ。
「うわあ……本当に伸びたあ……」
サクはそれを目の当たりにして、口をあんぐりと開けた。
サメゾウは髪で掴んだティーポットから、そのまま自身のティーカップに紅茶を注ぐ。
あらたなハーブティーの香りが、白い湯気と共に立ちのぼった。
そして、再びポットをテーブルの端に置くと、サメゾウの髪の毛は元の長さに戻る。
サクはサメゾウの黒髪をまじまじと見つめた。
そういえば、サメゾウさんの髪の毛がいつもよりサラッとツヤツヤしてる気がする……
サクの頭に浮かんだのは、羨ましいという感情だった。
サクの髪の毛は、地が明るい色で癖が強く、それが嫌で美容院で染めたりストレートパーマをかけたりしていた。
髪、けっこう傷んでるんだよなあ……いいなあ、サメゾウさんの髪の毛、きれいで……
「便利で、なおかつ美容効果もありますので、特に女性の方にはオススメです」
「んー……便利……なんでしょうけど、なんだかモンスターみたいですよね……」
「慣れですよ」
「慣れですか」
「他の方から見たら、その方にはない能力を不気味だと思われるかもしれません。ですが、それが色々と役に立つとわかってもらえたら、見る目が変わるはずです」
例えば、とサメゾウは続ける。
「お花屋さんでお仕事中、店先でお婆さんが転びそうなのが目に入る……普通は手助けできず、お婆さんはそのまま転んでしまうでしょう。ところが、このシャンプーを使うことにより髪の毛が自由自在に動けば、お婆さんの体を支え、お婆さんは転ばずに済みます」
「なるほど……確かにそうですね……」
サクはそのシチュエーションを頭の中に描いた。
「両手が塞がっている時に、手を使いたいと思う瞬間は日常にけっこうあるのではないでしょうか? 特に小さなお子さんを抱っこしていたりすると、その場面は多々ありますよね」
「あー……そうかもしれないです」
パッとサクの記憶から浮かんだのは、近所に住む若い母親の姿だった。まだ歩けない小さな子どもを抱っこしていて、たまたま落とした何かを拾って渡したような気がする。
「あなたの目的は、旅でのお役立ちアイテムを探すことでしたよね? 野営をご予定でしたら、ドライタイプもありますよ。ドライタイプですと、シャンプーを洗い流す必要がありません」
そうだった……旅のこと、すっかり忘れてた……
「こちら、商品のラインナップです」
サメゾウから差し出された紙片に目を落としたサクは、がっくりと肩を落とした。
やっぱりお高かった……ドライタイプは、さらにお高いわ……
その価格が、サメゾウの特殊な開発と製造技術ゆえであることは、サクにはわかっている。
「説明会にお越しくださった方には、十%割引致します」
「!」
いやしかし、それでも今のサクには簡単に決断できる金額ではない。
「あの、割引期間はいつまでですか?」
「一年間です」
長い……
それならば、いつか買える日が来るかもしれない。
サメゾウさんの髪の毛みたいに、サラツヤな髪になりたい……!
サクは密かに、アルバイトを頑張ろう! とやる気を燃やしていたのであった。
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