第2話 妖毛シャンプーの予告

 町の娘、サクは花屋でアルバイトに精を出していた。

「ありがとうございました」

 花束を購入した客に笑顔で商品を渡しながら、サクは思い出す。

 あの、滅多に笑わないヘンテコな雑貨店の主、シャークサメゾウの事を。

 サクがアルバイトに精を出すのには、理由がある。

 約半年前から行方不明になっている幼馴染を探す為、旅に出ることだ。

 旅に出るには、たくさんのお金が必要である。

 町の外に潜むモンスターと戦う為、武器や防具、薬草などの雑貨を買い揃えなければならないからだ。

 あの癒し効果のあるゴム手袋、高かったな……

 サクは、先日初めてサメゾウの店を訪れた際に紹介された、とある商品を思い出していた。

 それは、体力や傷の回復効果のあるゴム手袋だった。もちろん、台所や水仕事などにも使える。

 日常でも、非日常でも役に立つ日用雑貨。

 それがサメゾウの店で製造販売されている品々のコンセプトだ。

 サクはあの日以降、サメゾウの店を一度も訪れていなかった。

 ゴム手袋の値段が高いと言ったサクに、値引きはしないとサメゾウがぴしゃりと言い放ったからだ。

 でも、あの便利なゴム手袋が欲しい……

 そう思ったサクは、仕方なく花屋のアルバイトを始めたのだったが。

「確かに疲れるんだけど、不思議な充実感があるんだよなぁ……」

 サクは初めてのアルバイトで、想像以上の楽しさと苦労を体験していた。

 今まで知らなかった店側の世界を見、手足を動かす。始めはうまくできなかったことも、回数をこなす内にコツを掴めてきた。

 そうなってくると、苦労は楽しみに変わっていく。

 接客にしても、緊張でガチガチだった笑顔が自然なものに変わり、雇い主や客に“いい笑顔だね!”と言われるようになった。それがサクの自信にも繋がっている。

「ありがとうございました!」

 サクは満面に笑みを浮かべながら、ペコリと客の背中に向かって頭を下げる。

 あの人も、もう少し愛想良くすればいいのに。あの猫は、無理そうだけど。

 サクは不貞腐れた表情かおの猫を抱くサメゾウの姿を思い出しながら、そう思っていたのだった。


「相変わらず、不気味なんですけど……」

 サクはサメゾウの店の門から敷地内の屋敷を覗き見た。

 庭はさほど広くはないが、あっさりとした印象ながらきちんと手入れがされているように見える。

 門には、シャークサメゾウの店、との看板の横に、いらっしゃいませ、ようこそ、そして不思議な日用雑貨あります、の文言がある。

 看板の文字は少々癖があるものの、美しく読みやすいものだ。

 字がきれいで読みやすいっていいな……私、字を書くの下手なんだよな……

 看板の文字をしげしげと見つめ、サクはしみじみとそう思っていた。

「あなたは、そこでなにをしてるんですか?」

「うわあ!」

 突然背後から声がかかり、驚いたサクは店の敷地内に足を踏み入れていた。

 サクが恐る恐る声の主を振り返ると、そこには容姿端麗、眉目秀麗を体現したような男が立っている。

 上品でピシッとした印象を見る者に抱かせる執事服が、ことさらにそれを引き立てていた。

 その手には、膨らんだ紙袋が抱えられている。

「サメゾウさん、脅かさないでくださいよ……」

 未だドキドキする心臓あたりを押さえ、サクは小声で言った。

「そうは言いますが、背後から見たあなたの姿は不審者そのものでしたよ」

 相変わらずサメゾウは、客であるサクにニコリともしない。

「あ……まあ……そうだったかも……」

 サメゾウの言葉に、サクは自身の行動を少し反省した。

「今日は、どういったご用件で?」

「あっ、その……バイト代が入ったので、こないだのゴム手袋を買おうかなと思いまして」

「そうですか……では中でお話をしましょう。お茶でもお出ししますから」

 どうぞ、とサメゾウは重厚な造りの扉を開けた。

「お邪魔します……」

 サクはその後に続き、屋敷に入る。

 しんとした廊下を歩きながら、前に来た時にはなかった花瓶にサクの目が止まる。

 あの花……うちの店にあったのと似てる……え、まさか買いに来たんじゃ……

「花が気になりますか?」

 思わず足を止めたサクを振り返り、サメゾウは訊ねた。

「あっ……私、今お花屋さんで働いてるんですよ」

「えぇ、知っていますよ。花屋のご主人から聞きましたから」

 あ……この花、やっぱりうちの店の花か……

 サメゾウの口調から察するに、サメゾウはサクのいない時に来店したのだろう。

「ご主人はあなたのことを、愛想がよくて本当に助かると言っていましたよ」

 椅子に座ることを勧められたサクの前に、サメゾウはかたりとティーカップを置いた。

 そして、サクと向かい合うように席につく。

「そ、それほどでも……」

 サクは、えへへ……と少し気恥ずかしそうに笑った。

 この目の前のイケメン鉄面皮なサメゾウに、自分の接客態度を褒められたような気がしたからだ。

「私は褒めていませんよ。あなたを褒めたのは、花屋のご主人です」

 しかしそんな甘酸っぱい感情は、平坦な口調のサメゾウの言葉によって簡単に霧散した。

 それに代わる羞恥心が、すぐさまサクの心を占拠する。

「す……すみません」

「謝らなくてもいいのですよ。それに、私から褒められるより、雇い主である花屋のご主人から褒められた方が、あなたのやる気が出るでしょう?」

 ティーカップから、湯気と共にハーブの甘くすっきりした香りが漂ってくる。

 それもそうか。

 サクはすぐに気を取り直した。

「あなたが従事しているような接客業では、笑顔を作るのが苦ではない、というのは大変重要なポイントです」

「そうですね……え、でも、サメゾウさんも接客業……」

 言いかけ、サクは口をつぐんだ。

「私にも、もっと愛想良くしろと?」

「……すみません」

 サメゾウの声が、心なしか少し怒っているような気がして、サクは身を縮めた。

「別に私は怒っていませんよ。あなた以外のお客様にもよく言われますからね。仏頂面するなとか、怒っているのか、とか、馬鹿にしてるのか、とかね。どれも的はずれなご意見ですが」

 あ……サメゾウさんのお店、私の他にもお客さんがいるんだ……

 サクは、心の隅で少しホッとしていた。

「私は、接客より開発と製造に力を入れています。エネルギーをどこに振り分けるかの問題です。私は、あなたのように、自然に笑顔を作れるようにはできていないので」

「なるほどです」

 サクは納得した。

「お客様に、便利で快適な商品を提供するのが私の仕事です」

 言うサメゾウの膝に、不貞腐れた表情かおの猫が飛び乗ってくる。

 ペットって飼い主に似るっていうけど、ほんとうよね……

「その猫、名前あるんですか?」

 ふと気になり、サクは訊ねた。

「ありますよ、ヒトデといいます」

 主人がサメだからか。

 サクは、なんとなく納得した。

「話が大分逸れてしまいましたが、ゴム手袋をご用意してよろしいですか?」

 そうだった、あの癒やしのゴム手袋を買いに来たんだった。

 サクはようやく当初の目的を思い出していた。

「あ、はい、お願いします」

「サイズはSでしたね……今、全色お持ちします」

 サクが頷くと、サメゾウは奥の部屋へと姿を消した。

 サクはホッと小さくため息をついて、ティーカップに口をつける。

 程よく冷めたハーブティーからは、爽やかさな甘さが感じられた。

 ティーソーサーにカップを戻しながら、サクは思う。

 前回よりかは、幾分緊張していないな……少しサメゾウさんと会話したから、慣れたのかな私?

 ふと足元を見ると、サメゾウの愛猫ヒトデがじっとサクを見つめている。

 この不貞腐れたような表情かおの猫も、見慣れてくれば、愛着が湧くのかもしれない。

 サクはヒトデのブルーの瞳を見つめ返しながら、そんな期待を抱いた。

「お待たせしました。色は三種類、ピンク、白、グリーンがあります。どちらがお好みですか?」

「えっと、じゃあ……ピンクで」

 少し迷った後にサクが品を選ぶと、サメゾウはピンクのゴム手袋を紙袋に入れ、サクに差し出した。

 サクは、以前提示された金額の通りの紙幣と硬貨を木製のトレイに置く。

「ありがとうございます。こちら、領収証と新商品のお知らせです」

「新商品……」

 呟きながら、サクは渡された大きい方の紙に視線を落とした。

「妖……毛……シャンプー? なんですか、これ……また、お値段もすごいけど……」

 およそシャンプーに似つかわしくない、妖の文字にサクは眉根を寄せた。

「ご興味が?」

「え、あ、はあ……買うとは限りませんけど……」

 おずおずと、サクは言った。

「でしたらぜひ、新作発表会にお越しください。日時は、下に書いてあります」

 見ると、日時は三択制になっていた。

「予約した方が、いいですか?」

「いいえ、予約はいりません。そこに書いてある日時であれば、いつでもどうぞ」

「わかりました」

 このヘンテコな店主サメゾウが開発・製造したシャンプーだ。

 それに、妖という、なんとなくイメージがつく文字も気になる。

 妖毛シャンプーの効果をあれやこれやと想像し、少しワクワクするサクなのであった。

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