シャークサメゾウの店にいらっしゃい
鹿嶋 雲丹
第1話 癒やしのゴム手袋
そこは禁断の店。
シャークサメゾウの店、との看板の横に、いらっしゃいませ、ようこそ、そして不思議な日用雑貨あります、の文言がある。
看板の文字は、癖が少々あるものの、美しく読みやすい文字だ。
この店の主人の手書きなのだろうか。
今年十六歳になる町の娘サクは、その敷地に足を踏み入れるかどうか躊躇していた。
サクには、旅に出なければならない理由があった。
隣町にお使いに出た幼馴染が町に戻らないのだ。
既に、帰宅予定の日時から半年もの月日が経過している。
彼の家族は、きっと外にいるモンスターの餌食になってしまったのだろう、と日々悲しみに暮れていた。
どうしても、その生死を確かめたい。
サクは旅に出る決意を固めた。
しかし、町の外にいるモンスターに素手では挑めない。防具も必要だ。そして、薬草などの雑貨もあると心強い。
サクは大事な貯金を握りしめ、最低限の武器と防具を買い揃えた。
そして店の主人に、オススメの雑貨店はあるかと聞いてみたのだ。
「この町の外れに”シャークサメゾウの店”っていう雑貨店があるよ……」
店の主人は、なぜか声を潜めてサクの問いに答えた。
「一見、ちょっと変わった店だけどね……一度行ってみるといいよ」
そこに微かな凄みを感じながら、サクは頷いた。
そして店の主人に描いててもらった店までの地図を手に、この不気味な雑貨店を訪れたのだ。
門から小さめの屋敷風の家屋までは、さほど距離があるわけではない。
門に掲げられた看板は古びていて、今にも落ちてしまうのではないかと思うほどに傾いていた。
「ど……どうしよう……」
未だ入店を迷うサクの足元で、突然ガサリと音が鳴った。
「ひっ!」
思わず体が反応し、気がつけばサクは店の敷地内に足を踏み入れていた。
「あ……入っちゃった……なんだったのかしら、あの音……」
音の原因はなにかとサクが目を向けてみれば、そこには不貞腐れた
真っ白な毛足は長くつややかで、飼い主が丁寧に手入れをしているのがよくわかる。
しかしそれよりサクが気になったのは、妙に立派な体つきだった。
「あの
とりあえず猫で良かったと、安堵のため息をつくサク。
「いらっしゃい……」
「ひぃっ!!」
突然真後ろから響いてきた低い声に、再びサクの心臓が震えた。
恐る恐る振り返ると、そこには執事服に身を包んだ青年の姿があった。
まっ黒で真っ直ぐな短髪。切れ長の涼やかな瞳。透き通った白い肌に美しい鼻梁。
すらりとした長身の青年は、間違いなく美青年の域に入る。
しかし青年は、それを凌駕する不気味で陰湿な空気を纏っていた。
なんてもったいない……というか、なんなのこの人……
「……いらっしゃいませ、でよろしいのでしょうか?」
青年は再びサクに向かって言い、足元にすり寄ってきた先程の不貞腐れた
あ、いらっしゃいませって言うのだから、きっとこの人はお店の関係者なんだわ……
「あ、あの……ここ、雑貨店……ですよね?」
恐る恐る発したサクの言葉に、青年は黙ったまま門の方向を指差した。
看板をみただろう? ってこと……よね……見たわよ、確かにね……だけど、それが怪しいから聞いたのよ!
「まあ、中でお茶でも……当店の商品をご覧になりたいのでしょう?」
青年は低い声音でそう呟くと、立ち尽くすサクの横を通り過ぎ、奥の屋敷へと歩き始める。
最早ごくりとつばを飲み込むサクを突き動かすのは、便利な雑貨を手に入れたいという気持ちより、怖いものみたさの方だった。
屋敷の中の照明は、サクが想像していたものよりずっと明るかった。
薄暗くなくて良かった……
サクはホッと胸をなでおろす。
それに、なんだかいい匂いがする……爽やかで甘い香り……なんか落ち着くような……
「どうぞ」
青年はサクに椅子に腰掛けるよう勧めた。
テーブルも椅子も、周りの家具全てがアンティーク調の落ち着きあるものだ。
か、金持ちのお屋敷だ……
それに、とサクは思う。
この青年の服装は、執事のものだ。ということは、彼が仕えている主人が別にいるということである。
その主人が、この店の店長なのだろうか。
色々と考え事をしているサクの目の前に、かたりと真っ白なティーカップが置かれる。
「どうぞ」
それを運んできた青年が静かに言った。
湯気と共に広がるお茶の香りは、数種類のハーブをブレンドしたようなものだった。
甘さの中に、すっきりとした爽やかさがプラスされている。
青年は、そのまま店の主人を呼びに行くのかと思いきや、テーブルを挟んでサクの正面に座った。
「この店の主人、シャークサメゾウです」
青年は名乗り、スッと名刺を差し出した。
シャーク……サメゾウ? この人が店の主人なのか……それにしても変な名前……
そう思いながらサクが名刺に視線を落とすと、そこには謝亜久刺目象、という六つの文字があった。
刺す……目……ゾウ?
一瞬、サクの脳内は混乱した。
「私のことは、サメゾウとお呼びください」
ニコリともせずに、青年サメゾウは言った。
「は、はあ……あの、サメゾウさんは執事……ですよね?」
「それは、私が着ているこの服からそう判断したのでしょうか?」
サメゾウの冷たく光る視線に、サクは身を縮めた。
「は、はい、すみません!」
「謝らなくてもいいのですよ……この服は、単なるユニフォームに過ぎません。私のこだわり、そして周囲へのパフォーマンスです」
「ぱ、パフォーマンス?」
「執事服は、一部の女性受けが非常に良いのです。仮に私の服装がランニングシャツに短パンだったら、どう思いますか?」
そうサメゾウから問われ、サクは思わず想像した。
わ、笑えなくもないけど……この人の前では笑えないわ……
「このお屋敷に、似合わないと思います」
「そうでしょう? イメージを統一する、というのは、非常に大事なポイントです。お店のイメージにも関わりますしね」
名前は、気にしないんだな……
サクは胸中で呟いた。
「この店は、私のこだわりが詰まった商品を販売していましてね。コンセプトは、日常と非日常どちらでも役に立つ日用雑貨、です」
「そ、そうなんですか……」
「なので、薬草だの、毒消し草だの、そういった類のものをご希望でしたら、他のお店に行ってください」
サクは黙り込んだ。
お茶まで頂いておいて、商品を見もせずに帰るのは、なんだか失礼な気がした。
「あの……買うかはわかりませんが、一応、商品を見てみたいな、と思います」
サクはおずおずと言った。
「……わかりました」
サメゾウは立ち上がり、奥の部屋へと姿を消した。
はあ、とため息をつき、サクはティーカップのお茶に口をつける。
あの男が目の前にいると、なぜか少し緊張してしまう。あの冷たい印象の無表情のせいだろうか。
「お待たせ致しました」
奥の部屋から戻ってきたサメゾウが手にしていたのは、一双の薄いグリーンのゴム手袋だった。
「……ゴム手袋……」
それは、主に台所や清掃などで活躍するアイテムだ。
「色は、ピンク、白、グリーン、サイズはSMLとあります」
「はい……」
サクは、目の前に置かれたゴム手袋を、まじまじと見つめた。
まさか、ゴム手袋が出てくるとは思わなかった。
「ちなみに、お嬢さんは手が小さめのようにお見受けしましたので、Sサイズをお持ちしました。どうぞ、お試しください」
私の手、見てたのか……
そっとゴム手袋に手を伸ばしながら、サクは少しゾッとしていた。
ゴム手袋は少しだけ指先に余裕があったが、他はまあまあフィットした。
「こちらの商品は、日常ではお掃除や水仕事で役に立ち、非日常……つまりモンスターとの戦闘などでは、ヒーリング機能を発揮します」
「え……ヒーリング機能ですか?」
「はい。つまり、薬草や毒消し草の代わりになるということです」
「えっ、毒消し草の代わりにも? 超便利じゃないですか!」
サクは手に嵌めたゴム手袋をじっと見つめた。
「えっと……これ、どうやって使うんですか?」
「信じて、念じるんです」
「それだけ?」
「それからゴム手袋に覆われていない、体の部分に触れてください」
サクは騙されたと思って、サメゾウの言う通りにしてみる。
治れ、治れ、治れ……
そうしている内に、手のひらがほわりとあたたかくなってきたような気がしてきた。
「そうだ、この間の虫刺され……これで試してみよう」
サクはすぐに目に入った、腕の虫刺され跡に触れてみる。
あったかい……
じんわりとしたあたたかさをしばらく堪能した後、サクはそっと手を離した。
「虫さされの跡が消えてる……すごい……」
目を丸くして感嘆の声をあげるサクに、サメゾウは満足そうに目を細めた。
あ、ちゃんと笑うんだこの人……良かった、人っぽくて……
「あの、ちなみにこれおいくらですか?」
サクからの問にサメゾウは再び無表情に戻り、数字のかかれた紙片をサクに示した。
「高っ!」
サクの瞳に映った数字。
それは、一般のゴム手袋の市場価格の数十倍の
「販売価格の中には、私のアイディアと技術力が含まれているんです。ですので、この金額は正当な価格なのですよ」
「あ、そうですよね……でも、正直今の私には難しいかな……」
「そうですか……それは残念ですが、お値引きには対応しておりません。気が変わりましたら、また来てください。私はいつでも、ご来店をお待ちしておりますので」
「うっ……」
愛想のかけらもないサメゾウの言葉に、サクは返す言葉が見つからなかったのであった。
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