第43話 高遠城がたどった有為転変




 佳き人を得た至福に浸って城下を進んで行くと、子供衆が輪になって遊んでいた。



 ――いまの高遠でたてられやうか 早く最上の肥後守さまへ……



 曰くありげな唄声に耳をそばだてた知恵が、意を含ませた視線を欣之助に送ると、

「現今の主膳正しゅぜんのかみ(鳥居忠春)さまと入れ替わりに出羽山形に転封された肥後守さまが領民に慕われておったその証しでござろう。まこと民百姓はいささか過ぎるほどの正直ゆえ、憤懣やるかたなき思いを里謡に託したのでござろう」心得顔に首肯した。


 先代の鳥居左京亮忠恒が御公儀の「末期養子の禁令」に触れたため、弟の主膳正忠春を新たな城主とした鳥居家が出羽山形二十四万石から高遠三万二千石に減封入封になったのは、いまから二十二年前の出来事だった。


 御家取り潰しは免れたものの、八分の一に減封された主膳正は、失った石高を取りもどそうと、二度に渡る芝増上寺の警備、江戸城西ノ丸の石垣修理、御留守居役と大手門の警備、朝鮮通信使の滞在費負担、大坂加番など莫大な費用を中央職務に遣う。


 その一方、派手な茶屋遊びで散財を重ねたので、領内の経営は、たちまち財政難に陥ったが、年貢の増徴と賦役で補填しようとしたため、領民の不満は頂点に達した。


 承応三年(一六五四)六月、知恵と欣之助が探索に訪ねる四年前に、三千人の百姓が申し合わせて隣り合った木曾(尾張徳川家領)に逃散ちょうさんする事件を引き起こした。




      *




 寛文二年(一六六二)、鳥居主膳正は侍医・松谷寿覚に斬られて客死。跡を継いだ左京亮忠則は、元禄二年(一六八九)、高坂権兵衛事件(江戸城馬場先御門の警備を執務中の家臣・高坂権兵衛が琴の音に誘われて幕府御側衆・平岡頼恒の屋敷を伺ったところを捕縛)の責を問われて閉門となり切腹したため、鳥居家は再改易となった。


 かくて廃領となった高遠は、しばらくは御料(天領)とされていたが、元禄四年(一六九一)二月に、河内富田林から内藤駿河守清枚が三万三千石で入封。それから二十三年後、駿河守が病に倒れ、子の伊賀守頼卿に後継する直前、人気歌舞伎役者・生島新五郎との不義密通容疑で捕えられた大奥大年寄・絵島を預かる仕儀となった。





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