第2-8便:シルフィとミーリアの縁(えにし)
それに社長は社交辞令的に私に声をかけたのかもしれない。そのまま間に受けて良いものだろうか?
――と、私が迷いつつ考え込んでいると、社長はキョトンとして軽く首を傾げる。
「もしかして僕たちに対して変な気でも遣ってる?」
「あ……は、はい……。おふたりの邪魔するのは悪いかなって……」
「やっぱりそうか。ないない、僕とルティスはそういう関係じゃないから。だからこそシルフィがいてくれた方が誤解を生まなくて済んで、僕としては助かるわけだし」
するとその言葉を聞くや否や、ルティスさんが眉を吊り上げながら社長の頬を人差し指で突く。
「フォレス、事実だとしても今の言い方はちょっと酷い。もう少し配慮があってもいいと思うな。親しき仲にも礼儀ありだよ。――あ、そういう失礼な態度を取るなら、私にも考えがあるけど? 別に私は周囲の誰に関係を誤解されても構わないわけだしぃ? 困るのは誰かなぁ?」
「う……ごめん……。お願いだから胃が痛くなるようなことはしないで……」
「ふふっ、よろしいっ。反省しているなら許してあげます」
すっかり平身低頭している社長と満足げなルティスさん。これじゃ、どっちが上司なんだか分からない。ただ、熟練の夫婦みたいに息がピッタリで、お互いに気が許せる仲なんだなってことは伝わってくる。
これで恋人同士じゃないなんて、にわかには信じがたいなぁ……。
いずれにしても、社長は結婚したら奥さんの尻に敷かれっぱなしになるのは間違いないと思う。それを想像して私は我慢しきれずに頬を緩めてしまう。
「シルフィ、そういうことだから僕たちに対する気遣いなんて全く無用だよ」
「はいっ! それならぜひご一緒させてください! あとで経費の精算をするのも面倒臭いですしね」
「よし、決定だ。じゃ、30分後にロビーで待ち合わせよう」
社長の言葉に私とルティスさんは頷くと、その場で一旦解散した。
こうして私は社長たちと別れ、着替えなど自分の荷物が入ったカバンを自室へ運ぶ。
なお、私の部屋はレイナ川に面した側の3階。窓を開けて外を眺めてみると、対岸にある家々の灯りが川の水面に映ってキラキラと輝いている。その景色は思わず息を呑むほどの美しさだ。
また、海も間近にあるということで、吹いてくる風には潮の香りが混じっている。程よく涼しくて心地良い。
そして右側に広がるその海へ視線を向けてみると、手前には川を航行する船の発着場とは桁違いに大規模な港が広がっている。そこには近海向けの小型漁船はもちろん、外洋を渡る大型船などが所狭しと停泊している。
そういえば、私は海を経由する路線を運航したことがない。
ソレイユ水運が運航している定期航路は川が主体だから、当然といえば当然なんだけど。ただ、共同運航路線の一部には海にも乗り入れているものがあるし、貸切船や臨時運航路線なら営業水域は問わない。
もちろん、プライベートでは海を航行したことがあるから、川とは船の操作性も運航環境も何もかもが違うのは分かってる。だからこそ大海原の航行に慣れておきたいし、その経験がきっと船の整備にも役立つはず。
短距離航路でも良いから、いつか海も運航してみたいな……。
「おい、シルフィ。外なんか眺めてボーッしてないで、さっさとロビーに行こうぜ」
「っ!? あっ、う、うん!」
足下でクロードに制服のスラックスを引っ張られ、私は我に返った。
相変わらず船のことを考えるのに夢中になって、ついつい時間が過ぎるのを忘れてしまっていたらしい。もっと気を付けないといけない。でも分かっていてもこのクセは直らないんだよね。
私は心の中で舌打ちをすると、自分の頭を軽く拳で叩いて自省を促した。そしてクロードを肩に載せて部屋を出ると、階段の方へ向かって通路を歩いていく。
するとその時、前方にある部屋のドアが開いて見知った人物が目の前に現れる。
「あれ? もしかしてミーリアさん?」
思わず足を止めた私がキョトンとしながら声をかけると、彼女はゆっくりと視線をこちらに向けた。直後、小さく息を呑んでから、花が咲いたような笑顔になる。
「シルフィさんにクロードちゃん! こんばんは!」
「こんばんはです! ミーリアさんもここに部屋を取ったんですか?」
「えぇ、そうなんです。でも先月まで私はこの町に住んでいたので、こうして宿に泊まるなんて変な気分ですけどね。ふふっ」
「あっ、なるほど。そうかもしれませんね」
納得してポンと手を叩く私。確かに引っ越して間もない今なら、落ち着かない気持ちになるのも分かる。この町で休息をとる場所は『以前に住んでいた部屋』という感覚が残っているだろうから。
私だってリバーポリスで宿に泊まれって言われたら、きっと調子が狂うと思うもん。それと同じようなことだもんね。
だから新たな環境に慣れるまで、彼女はしばらくそういう違和感が続くかもしれない。
(つづく……)
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