第3-3便:発せられた救難信号

 

 ただならないことが起きているかのような雰囲気。そりゃそうだよね、こんな時間に訪ねてくるくらいなんだから。しかもそれが分別のあるアルトさんとなればなおさらだ。


「どうしたんですか、アルトさん――って、えっ? ディックくんッ!?」


 よく見ると、アルトさんの背中にはおんぶされたディックくんの姿があった。


 顔は真っ赤で全身に大汗をかき、呼吸も弱々しくて苦しそう。一目で具合が悪そうなのが分かる。演技で私を騙そうとか、そういう空気は一切ない。


 何が起きているんだろう? 私は戸惑いつつ、息を呑む。


「シルフィ様っ、こんな夜分に申し訳がありませんっ! ですがっ、緊急事態なのですっ! どうかディック様をお助けください!」


「何があったんですかっ?」


「就寝中だったディック様が、先ほど急に苦しみ出しまして! 実はディック様は元々ご病弱なのです。お父上のマーク侯爵こうしゃくを始め、王都で暮らすご家族と離れてこの地へ移ってきたのも療養のため。自然に囲まれ、のんびりと生活できる環境ということで当地が選ばれたのです」


 それを聞いて私は思わず息を呑んだ。心当たりがあったから。


 マリーお婆さんの家で一緒に食事をした時、ディックくんは一瞬だけど苦しそうな表情を見せた。やっぱりあれは私の気のせいなんかじゃなかったんだ。それは病弱な体質に起因するものだったに違いない。今回の体調不良と関係あるかは分からないけど。


 彼がずっと偉そうな態度でいたのは、私たちに弱みを見せないようにするためのブラフ。例え苦しくなった瞬間があっても、きっと必死に我慢していて……。


 それにしても、ディックくんが貴族の子って話は聞いていたけど、まさか侯爵家の子だったなんて驚いた。侯爵は爵位第二位。爵位第一位である公爵の次に位置する身分だから、ご先祖様が王族に繋がるとか、それに近い人たちってことになる。


「今さら言っても仕方ないですけど、なぜ左岸側にあるお屋敷にしなかったんですか? あちら側なら大きな施療院がありますし、お医者様もたくさんいるのに」


「街の中心部は人が多く、ディック様の精神に大きなストレスが掛かってしまいます。ディック様は人混みが苦手で、それが病弱なお体にもあまり良くない影響があるとのこと。そこで人の少ない右岸側のお屋敷が良いだろうということになりまして」


「……そうでしたか。確かにここは住民が少ないですもんね。それなのに渡し船に10分くらい乗るだけで繁華街に出られる。左岸側へ行けば大抵の生活必需品は手に入りやすいし、お医者様もいらっしゃる」


「はい、市役所の隣にある王立施療院の医師が定期的に当家へ往診にいらっしゃいます」


 そうか、リバーポリス市の右岸側はディックくんの療養にとって有利な条件が揃っている場所だったんだ。住む場所に困らない貴族の子がなぜ閑散としたこの地域に移り住んできたのか、その理由がようやく分かった。


 普通の貴族なら、左岸側の中心部にあるお屋敷を選ぶはずだもんね。


「アルトさん、薬は持ってないんですか?」


「服用させましたがあまり効果が出ず……。このままではディック様のお命に関わります! 早く医師に診せなければなりません! ですからシルフィ様にお願いに参ったのですッ! どうか左岸まで船を出していただけないでしょうかっ!!」


 アルトさんはディックくんを背負ったまま両膝をついて、深々と頭を下げた。瞳には涙が滲み、体も小刻みに震えている。



 平民の女子で、自分の孫ほども若い私に対してこんなにもへりくだるなんて……。



 でもアルトさんがディックくんを想う気持ち、痛いほどよく分かる。主人と使用人という立場の差があったとしても、ふたりは『家族』だもんね。私としてもなんとかしてあげたい。


 だからこそ、どうにもならない現状に胸が苦しくなる。


「もちろん、ディックくんのその苦しそうな表情を見れば急を要するのは分かります。すぐにでも力になりたい。でも……今夜は無理なんです……」


「なぜですっ!?」


「アルトさんはご存じないのかもしれませんが、魔導エンジンの燃料である魔鉱石は月の影響を受けるんです」


 私は船の動力について、概要と要点だけをかいつまんでアルトさんに説明した。特に魔導エンジンの仕組みと満月の日は魔鉱石から魔力が抽出できないということなどを集中的に。


 当然、それを聞いたアルトさんは愕然とする。端的にでも構造を理解し、船を動かすことが出来ないと悟ったのだろう。


 こんな状態でさらに絶望に突き落とすようなことを伝えなければならないのはツライけど、状況をしっかり把握してもらうためにも私は心を鬼にして話を続ける。


「それにこの地において、今日は特に条件が悪いんです」


「と、おっしゃいますと?」


「レイナ川は最終的にストローム海へ流れ着きます。それはご存知ですよね?」


「えぇ、まぁ……」


「満月と新月の日の前後は潮位の変化が最も大きくなるのですが、そこへ満潮の時間帯が重なった時にストローム海からレイナ川へ水が逆流する現象が起こるんです。私を含め、川に関わる人たちは『遡潮流そちょうりゅう』と呼んでいます。その波の高さと勢いは、河川を航行する船に支障が出る規模なんですよ」


「そんなっ!? 河口からリバーポリス市まで100キロメートル以上も離れているのに!」


「季節とタイミングによっては、もっと上流まで影響が出ますよ。満月の日に渡し船が運休になるのは、魔鉱石からエネルギーを抽出できないという理由のほかに、その遡潮流そちょうりゅうも原因なんです。で、もうすぐその現象が起きる時間帯に入るんです」


「では、やはり船を出すのは……」


「自殺行為ですね。この暗さでは流木などと衝突する危険性も高いですし。それに渡し船で使っている船は遡潮流そちょうりゅうの流れに抗って進めるほど、魔導エンジンの出力が高くありません。下流にある左岸から上流の右岸へ移動するなら、遡潮流そちょうりゅうの先端が過ぎ去ったあと、流れに乗る形で移動できるチャンスもあるかもしれませんが」


「…………」


 アルトさんは言葉を失っていた。悲しみを押し殺すように奥歯を噛みしめ、すすり泣きしている。心なしか、背中にいるディックくんも呼吸がさらに弱まったような気がする。



(つづく……)

 

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